「チキンレース」と言うには

(2017.8.25)岡林弘志


 「茶番劇」と言うには、きな臭すぎる。「チキンレース」と言うには、自らの生命をかけるほどの蛮勇はなさそうだ。北朝鮮がICBMの発射実験に成功と大宣伝を展開、米国との間で、戦争前夜とも思われる激しいやりとりが交わされた。この夏、地球のあちこちで異常気象が続く。朝鮮半島をめぐる乱気流も激しく、いまのところ小康状態のようだが、簡単にはおさまりそうもない。

「ヤンキーの行動を見守る」

 「悲惨な運命の分秒を争う辛い時間を送っている愚かで間抜けなヤンキーの行動をもう少し見守る」(8・14、朝鮮中央通信)。金正恩・労働党委員長は、人民軍戦略軍司令部を視察、大陸間弾道弾(ICBM)による「グアム包囲射撃」の準備完了という報告を聞いて、こう語った。

 金正恩は、これで矛を収めたと思われたらいけないと思ったか、「米国がまず正しい選択をして行動で見せるべき」、「挑発行為と一方的強要を直ちに止め」るよう条件を付けた。もし「(米国による)威力示威射撃が断行されるなら、我が火星砲兵がヤンキーの首を絞め、匕首を突きつけるもっとも痛快な歴史的瞬間になる」とすごみをきかせた。

 これでは、暴力団がドスをちらつかせて恐喝するのと変わりがない。「ヤンキー」を連発するなど、言葉の下品さも暴力団並みだ。それはともかく、金正恩の「もう少し見守る」という発言で、エスカレートする一方だった米朝間の角突き合わせが、一旦おさまったのは、間違いない。

 「非常に賢明で熟考した上での決断だ」(8・16)。トランプ米大統領も、思わずほっとしたような感想をツイッターで漏らした。今回「あわや」と思われるような状況をつくった直接の原因は、北朝鮮人民軍が、中距離弾道ミサイル「火星12」による米領の「グアム島周辺への包囲射撃断行を検討」という声明を出したことだ。

「ミサイル4発でグアムを攻撃するぞ!」

 「われわれを威嚇、恐喝している米帝の核戦略爆撃機があるアンダーソン空軍基地を含むグアムの 主要軍事基地を制圧するため、『火星12』型でグアム周辺への包囲射撃検討している」(8・8)。攻撃の目標として、米軍基地のある地名を挙げたのは、刺激が強い。

 「これ以上米国に対する威嚇をしないことが北朝鮮にとって最善だ。世界が見たことのない炎と怒りを受けることになる」(8・9)。トランプは直ちに、核攻撃も含む攻撃もほのめかしながら、北朝鮮を非難し、警告した。具体的な攻撃目標を示しての宣言が、かんに障ったのだろう。

 北朝鮮は「トランプ、恐れるに足らず」と、言いたかったのか、その直後に戦略軍司令官の金絡謙大将が声明を出して、「火星12型の4発同時発射」を検討中と、予定の飛行データを示して発表した(8・9)。「火星12型は、日本の島根県、広島県、高知県の上空を通過するようになり、射程3356・7キロを1065秒間飛行したあと、グアム周辺30~40キロ海上の水域に落ちる」。そして「8月中旬までに射撃方案を完成、(金正恩の)命令を待つ」と、差し迫った時期も示した。

 これには、慎重な発言を続けてきたマティス米国防長官も「北朝鮮は体制の崩壊や人民の破滅につながるようないかなる行為も止めるべきだ」と強く警告。さらには「同盟国の軍事力は、この世で、もっとも正確で訓練された攻撃・防衛能力を持っている」と、もし攻撃したら、北朝鮮はひどい目に遭うぞと付け加えた。

 トランプもこのときとばかりに「軍事的解決の用意は万全だ。臨戦態勢にある」「もしグアムや米国の領土、同盟国に何かすれば、彼はすぐに後悔することになる」(8・11)と、発言をエスカレートさせた。一触即発。

 金正恩は、これ以上進むと一線を越える。「トランプは本気で攻撃しかねない」と危惧したのだろう。そのおびえが「しばらく様子を見る」とタオルを投げ入れさせた。チキンレースは、やはり絶大な軍事力を持つ米国、「何をするかわからない」ということでは金正恩の上をいくトランプにはかなわない。当面、一難去った感じだ。

客観的には戦争はできない

 今回、しばらくぶりで朝鮮半島を巡る緊張が高まったが、ソウルも東京も北京も普段と変わりはなかった。韓国では、合同演習中恒例の緊急避難訓練がおこなわれた(8・23)。しかし、空襲警報が鳴っても、ソウル・明洞は買い物客で賑わい、他でも決まりになっている地下施設への避難をしない人がいるなど、緊張感はほとんどなし。人々は戦争のないことを本能的に感じているのか。

 確かに、米朝とも戦争をやって得することは何もない。米国がシリアに誘導ミサイルをぶち込んだように、一方的な攻撃で終わることはないからだ。米朝を比べれば、軍事力は比較にならない。しかし、北朝鮮も最初の命令でゲリラを潜り込ませ、ミサイル群に発射命令を出すことは可能だ。

 少なくとも軍事境界線からわずか40㎞のソウルには何発ものミサイルが飛んでくる。日本もとばっちりを受ける。グアムに4発同時にミサイルを発射すれば、1発は近くまで行くだろう。韓国と日本には人口密集地が多い。原発もある。1発でも飛んできたら、パニックが起き、経済は大混乱だ。

 「政府はすべてをかけて戦争だけは防ぐ」(8・17)。文在寅韓国大統領は、就任100日の記者会見で、繰り返し戦争を起こさせないと強調した。米朝が争えば、韓国が戦場になるのは100%間違いないからだ。トランプが韓国を説得して戦争を始められる可能性は、北朝鮮が韓国を攻撃してこない限りない。

 もっとも、トランプが懸命に金正恩を脅している最中、文在寅の発言は問題だ。足を引っ張ることになる。「戦争にしないために脅す」というせっかくの戦術が台無しだ。北朝鮮にはただの話し合いの呼びかけは効果がない。軍事力の裏付けがあって初めて外交に効果が出てくる。94年の核危機の時の教訓でもある。今回、金正恩が文在寅の発言を無視したのは幸いだった。

 片や、北朝鮮の方は、戦争が起きたら壊滅的な被害を受けるのは必至だ。第1撃は可能でも、継戦能力は低い。平壌や主要な軍事基地は直ちに攻撃される。もちろん、金正恩の生命は真っ先に狙われる。金正恩が一番よくわかっている。また、最近の中国との関係を見ると、支援に駆けつける可能性は少ない。客観的に見れば、とても戦争どころではない。

 「正恩氏、暗殺作戦を警戒」(8・25朝日新聞)。北朝鮮は、最近旧ソ連の国家保安委員会(KGB)の元要員らを軍事顧問として起用した。米韓の金正恩「暗殺計画」への対抗策として。10人前後を招き、金正恩の身辺警護を担当する護衛司令部要員にテロの事前察知、鎮圧の軍事教練を依頼したという。金正恩は泣く子も黙るという護衛司令部も信用できなくなったか。疑心暗鬼には限りがない。脅しには弱いのだ。

これみよがしの米空軍基地の写真は古い?

 金正恩が「見守る」発言をした際、朝鮮中央通信が配信した写真や朝鮮中央放送のテレビ画面は、これみよがしだ。戦略司令部の指揮所に座った金正恩の机の上には「戦略軍火力打撃計画」と書かれた地図がある。北朝鮮から日本を通りグアムまでの線がまっすぐにひかれている。後ろの壁には「作戦地帯」と書いた韓国と日本の地図。朝鮮半島から北米大陸を含む太平洋一帯の地図。

 さらには、B1B爆撃機が駐留するグアムのアンダーソン米空軍基地の航空写真のパネルも。基地も無傷ではいられないぞ。ところが、この写真を分析した米国の「米国の声」放送(VOA)によると、2011年以前のもの。2012,2015年の工事でなくなった建物や緑地が映っているという。(8・20デイリーNK)

 その通りなら、なんとも悠長な話だ。今時、民間の衛星写真は最新のものがいくらでも手に入るはずだ。最新鋭の弾道ミサイルを撃とうというのに、お粗末としか言い様がない。これでは、こけおどし。本気度が疑われる。

 また、金正恩は国防科学院化学材料研究所を視察(8・23)。このときの写真も公開された。壁には「水中戦略弾道弾 北極星3」というタイトルのパネルがある。おそらく新型の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)、完成間近をアピールしたいのだろう。察知が難しい潜水艦で米本土もミサイル攻撃ができるぞという脅しだ。なおこの時は、固体ロケットエンジンと弾頭カプセルの量産を指示したという。

 しかし、軍事作戦は秘なるが最高。攻撃のコースをはじめ、最新の装備まで公表すれば、相手に十分に反撃の準備を整えさせてしまう。一応はびっくりさせられるが、冷静に考えれば稚拙だ。それに、金正恩は、「火星12」の指揮所視察後、軍の食堂を見て、「実父の心情で気遣い」をして見せ、芸能宣伝隊の公演を鑑賞した。とても戦争前夜の光景とは思えない。

 片や、トランプも北朝鮮に怒って見せたが、北朝鮮の標的にされたグアムの知事に電話した際、「グアムとあなたが世界中で話題になっている。カネをかけずに観光客が10倍になる。おめでとう」と伝えた(8・10共同通信)。誠におめでたい話だ。これでは戦争にはならない。

双方の指導者の危うさ

 といって、絶対戦争にはならないと断言できないのが、今回の危機の恐ろしさだ。先ほど述べたように、客観的に、常識を持って考えれば、戦争は双方にとてつもない損害をもたらす。ところが、米朝双方の最高指導者は、どちらかというと感情的になりやすい。日頃の言動は冷静さとはほど遠い。

 金正恩は、直属の部下を何人も処刑したように、自分の思い通りにならないと、何をするかわからない。もし、自らの生命が狙われていると切羽詰まって、精神の安定を損なえば、米国へ向けて、ミサイルをぶっ放すこともしかねない。その後の人民の生命がどうなるかは眼中にない。人民は自分を守るためにあるのだから。

 また、兵器マニアとしては、最新鋭の装備の実際の効力を試したいという誘惑もある。しかも、「ここは冷静に」と忠告できる取り巻きは一人もいない。むしろ、威勢のいいことを言っておべっかを使う取り巻きだけが生き残っている。独裁体制には、もともと指導者の暴走にブレーキをかける仕組みがない。

 一方のトランプは、当初、北朝鮮のようなちっぽけな国はちょっと脅かせば、すぐ言うことを聞くとタカをくくっていたのではないか。しかし、北朝鮮には常識が通じない。それなら、実際に痛い目に遭わせてやろうではないか。そうなれば軍需産業は喜ぶ。

 また、内政の失敗を繕うため、国民の関心を外に向けるのは、支持率の低い政治指導者の常套手段だ。それに、CNNの世論調査(8・8)では、米軍による北朝鮮の軍事行動について、「支持」は50%、「反対」は43%だった。特に共和党支持者は74%が「支持」だった。米国本土は被害を受けないという思い込みがあるのだろうが、こうした世論は、指導者の誤った選択を後押ししかねない。

米韓演習への非難は控えめ?

 ここまで書いて来て、恒例の米韓合同軍事演習「乙支フリーダムガーディアン(UFG)」(8・21~31)が始まった。北朝鮮が、かねて中止しろと騒いでいた演習だ。ところが、今年は、開始の翌日になって、ようやく人民軍板門店代表が「米帝の好戦狂は‥‥無慈悲な報復と容赦ない懲罰を免れることはできない」と非難の談話を出した。

 昨年、UHGが始まる時は、祖国平和統一委員会、人民軍参謀部、外務省と立て続けに非難声明を出した。そのうえ、演習期間中に潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射実験を行い、直後には5回目の核実験を行った(9・9)。

 今回は、政府の最高部門の声明ではなく、前線の代表の談話だ。あきらかに格が違う。トーンダウンしている。演習は月末まで続くため、北朝鮮のことだから何をやるかわからない。しかし、金正恩が「しばらく見守る」と言った以上、後は何を言っても犬の遠吠え。迫力はない。

 ただ、UFGで昨年と違うのは、参加する米軍の数が7500人少ない17,500人に減ったことだ(韓国軍は5万人で昨年と同じ)。それに、春の演習では大々的に参加した米空母と米戦略爆撃機B1Bが、いまのところ来ていない。米韓軍は否定するが、一定の配慮をしたのではないか。

 ちなみに、B1Bに対する北朝鮮の恐怖感は尋常ではない。B1Bは、超音速で飛行、基地のあるグアムからは、たった2時間で飛来する。攻撃目標を正確に捉えて爆撃し、指揮所などが置かれる地下施設の爆破も可能。しかも、爆弾、ミサイルの積載量は50トン以上と群を抜いている。

 また、超音速のため、北朝鮮のレーダーではとらえにくいようだ。これまでも、北朝鮮上空を飛んだことがあり、北朝鮮軍が気づかないと威嚇にはならないため、わざわざ急上昇などで爆音、破裂音を響かせたなどというエピソードも聞えてくる。金正恩がもっとも恐れたとも言われる。

 このため、金正恩としては、グアム攻撃の予告で米帝は驚いてB1Bの飛来を控えたと判断して、演習非難を控えさせたのかもしれない。それに、米国を本気で怒らせてはまずいと思ったのか。いずれにせよ、今のところ小休止だ。

「何か前向きなことが起きるかも」

 「金正恩は、我々に敬意を払い始めている。私はその事実を非常に尊重する」(8・22)。トランプは、支持者に囲まれた集会ということもあって機嫌がよかった。さらに「何か前向きなことが起こるかもしれないし、起きないかもしれない。彼らは言わないだろうが」と口は軽かった。水面下で、北朝鮮が話し合いに応じるような反応があったのか。

 このほかにも、ティラーソン(国務長官)は、「北朝鮮に一定の自制が見られる」と、国連の新制裁決議(8・5)以来、ミサイル発射や挑発を止めていることをあげた。米韓演習を視察中のハリス太平洋司令官は「外交措置が先行すべきだ。強力な外交手段を強力な軍事力で裏付ける」(8・22)と記者会見で語った。

 米国側から、突然、話し合い機運が出てきたようなコメントが重なった。しかし、北朝鮮は一筋縄でいかない。おそらくトランプが考えているように単純にはいかない。当局のブリーフィングをそのまま、無邪気に表に出すと、後で足をすくわれかねない。

 ただ、今回のチキンレースで、先に怖じけづいたのは、金正恩だったようだ。しかし、それが核・ミサイル放棄につながる可能性はほとんどない。もし、協議が始まっても行ったり来たり、突然方針が変わったり、相手をいらだたせるのは得意だ。簡単には喜ばない方がいい。

「制裁は我々を圧殺する試みだ」

 ただ、北朝鮮にとって、当面の軍事的脅威を免れたにしても、先の国連安保理の制裁強化決議(8・5)が重くのしかかる。今回の緊張のきっかけになった「グアムミサイル攻撃」の予告も、その3日後。国連決議に対抗してのことだろう。

 「峻烈に糾弾し、全面排除する」(8・7)。北朝鮮政府は、素早く声明を出し、「米国が我々を圧殺する試みを辞めないなら、いかなる最終手段もためらわない」と警告した。その第1段が「グアム攻撃予告」だった。いつも、北朝鮮の声明などは大げさだが、軍事的な脅迫も加えての非難を見ると、今回の制裁はこれまでになく重いと受け取っているようだ。

 制裁の柱は、北朝鮮の主要な外貨稼ぎの元である石炭の全面禁輸だ。石炭は輸出総額の三分の一に当たる約10億ドル(約1,110億円)を稼いできた。民生目的などに限定してではあるが、認められていた鉄・鉄鉱石も全面禁輸となった。これも有力な外貨獲得手段である労働者派遣も、国連加盟国に対して、新たな受け入れを禁止した。

 この決議を受けて、中国商務省は「8月15日から石炭や鉄鉱石、海産物などの輸入を全面的に禁止する」と発表した。これらの輸出先はほとんどが中国だ。実行されれば、北朝鮮経済への打撃は大きい。実際に、北朝鮮との間に橋がかかる丹東などでは、トラックの行き来が激減しているという。また、出稼ぎ労働者の滞在期間延長も認めていないようだ。

中国、ロシアも”口撃”の的に

 北朝鮮は、「わが周辺の図体の大きい国々が、米国と裏で、制裁でっちあげを共謀して、朝鮮半島情勢を激化させた」(政府声明)と新決議に賛成した中国、ロシアも非難した。今回の制裁で、米国は石油の対北輸出の全面禁止も提案したが、中国、ロシアの反対で実現しなかった。北朝鮮の生命線を守ってやったのに、こんなことでは、恩を感じないらしい。

 対北制裁は、繰り返し決議されたが、中国、ロシアは時が経つにつれて、なし崩しにして、制裁の効果を半減させてきた。トランプがこれにゴウを焼いて、習近平・中国国家主席に厳格な実施を迫ってきた。

 さらに米財務省は、北朝鮮の核ミサイル開発に協力したという中国、ロシアなどの16の企業、個人を金融制裁の対象にすると発表した(8・22)。北の石炭輸入や労働者受け入れ、マネーロンダリングに関わった企業、銀行などだ。また、東南アジアをはじめ、他の国連加盟国も米国などの働きかけもあって、抜け穴をふさぎつつある。

遠からず話し合い、再危機の分岐点へ?

 「制裁は何の効果もない」。北朝鮮はこれまで、強がりをいってきたが、政府談話からは、悲鳴が聞えるようだ。どこまで耐えられるか。このまま、北朝鮮がおとなしくしているとは考えにくい。黙っていれば、立ち枯れになる。また、核ミサイルの実験を止めれば、注目されなくなる。周辺国が慌てたり、驚いたりしなくては、北の存在感はない。

 金正恩にとって、核・ミサイルは「守護神」だ。手放せば、フセインやカダフィのように、結局亡き者にされる。米国や周辺国にとって、第1歩は、核ミサイルの実験停止。最終目標は、核ミサイルの廃棄。それが実現しないため、北朝鮮と周辺国のせめぎ合いは30年近くも続き、事態は周辺国の望まない方向に動いてきた。

 米国には、米朝話し合いの機運が出てきたような感触があるようだが、北朝鮮に「予測」は禁物だ。ただ、今回の機運が崩れたときは、米朝の指導者のエキセントリックな面がより露わになりそうだ。この夏以上の危機になりかねない。

更新日:2022年6月24日