今年も「恫喝外交」「恐怖政治」が続く


岡林弘志

(2017.2.17)


 2017年、金正恩・朝鮮労働党委員長の仕事始めは、”懐刀”とその部下の粛正・処刑。そして、就任したばかりのトランプ米大統領への”あいさつ”は、中距離ミサイルの発射だった。さらに、異母兄、金正男氏が暗殺されるというニュースまで飛び込んできた。北朝鮮の国家運営の基本は「恐怖政治」と「恫喝外交」だ。やはりこの路線を走るしかない。あらためて内外に知らしめた。今年もきな臭く、物騒な1年になりそうだ。

 「恐怖」の極地、実の兄まで亡き者に?

 「金正男氏、殺害さる」(2・13)-このニュースは、あっという間に世界中へ広がった。金正男(45)は、言うまでもなく故金正日・総書記の長男、従って、母親は違うが、金正恩の実の兄だ。真相は、これから少しずつ出てくるだろうが、率直に言って、ついに実の兄まで手にかけたのか、「恐怖政治」もここまでというのが最初に思ったことだ。

 金正男は、家族が住むマカオに行くため一人でマレーシアのクアラルンプール空港に一人でいたところ、二人の女が近づいてきて、毒物をかがされ、殺害された。マレーシア警察は、女2人、男1人を逮捕し、さらに男3人を共犯者とみて、行方を捜している(2・17現在)。使われたのは、簡単には手に入らない毒ガスだ。日韓のメディアは一斉に、北による犯行を色濃く出して報道した。

 韓国の国家情報院の反応も早く、金正恩は5年前から、金正男について「あいつは嫌いだ。除去しろ」と、殺害を指示していた、これを知った金正男は「私たちには行き場がない。私と家族を殺さないでほしい」という書簡を金正恩に送ったことなどを明らかにした(2・15)。北が認めることはないが、状況証拠から見ると北の犯行であるのは間違いない。金正恩の命令がなければ実行できない性格の工作活動だ。

 金正恩が実権を握って、すでに5年が経つ。金正男の後見人と言われた張成沢をすでに始末し、国内に金正男の政治的な基盤も拠り所も全くない。本人も「政治には関心がない」と繰り返していた。すでに、金正恩体制を脅かす存在ではなくなっている。

 しかし、金正恩の疑心は晴れなかったのだろう。かつては「権力世襲に反対」「中国のような改革開放をすべきだ」と批判したこともあり、海外で自由に動き回る金正男は「目の上のたんこぶ」だ。金正恩を快く思わない中国が、行き詰まったら、金正男を送り込んで、後釜に据えるかもしれない‥‥などなど。考えれば考えるほど、心配は膨らむ。

 このため、家族共々帰国するよう命じた。しかし、自由なところで生きてきた一家が北で暮らすことはできない。それに叔父の処刑をみれば、生命の保証もない。二の舞はご免だ。金正男は応じなかった。金正男は父親から譲られた海外資金をかなり持っている。外貨不足に悩む金正恩がこれに目を付け、返すよう命じたが、やはり応じなかった。また、韓国か米国への亡命する恐れがあった‥‥様々な憶測が飛び交っている。

 父親の誕生日の直前だった

 今回の事件を北朝鮮が公にすることはないし、直ちに現体制へ影響する可能性はほとんどない。また、情報が入り込むのを懸命に阻止する。口にしたら厳罰だ。しかし、人の口に戸は立てられない。すでに、中国との間を行き来する商売人らは、このニュースを知っている。さらに、韓国の脱北者団体はビラを飛ばす。口コミで広がるのは、時間の問題だ。

 人民がこのことを知れば、衝撃を与えるのは間違いない。金正恩が叔父の張成沢を処刑したことはよく知られている。そのうえ、命乞いをした実の兄までとなれば、骨肉の情が深い民族性もあり、金正恩の残酷さはさらに色濃く、印象づけられる。

 しかも犯行は、二人の父親である金正日の生誕記念日(2・16)の直前である。前日の中央報告会に、金正恩は珍しく出席したが、終始不機嫌な顔つき、会場からの拍手にも答えず退席した。当日は遺体が安置された錦繍山太陽宮殿に参拝した。金正日は「遺訓」に、金正男に手を出さないよう書き残したとも言われる。父親になんと報告したのか。

 世界が衝撃を受けたのは、権力維持のためには、手段を選ばないという最高権力者のやり方だ。しかも、国外で白昼にである。人の生命を生け贄にして成り立つ国家体制は、いかにもおぞましい。「恐怖政治」の極地である。その直前には、国内でも「恐怖政治」は実行されていた。

 拷問などを理由に”懐刀”を解任

 「秘密警察トップを解任」(2・3)。日韓のメディアは、韓国統一省の発表を一斉に報じた。解任されたのは、北朝鮮の金元弘・国家保衛相(70?)だ。2012年4月、金正恩体制発足してまもなく国家保衛省の前身、国家保衛部長に起用された。その後、張成沢・国防委員長(13・12)や玄永哲・人民武力部長(15・4)らの粛正・処刑の執行人として、国中を震え上がらせてきた。

 韓国統一省によると、「1月中旬頃、労働党組織指導部の調査を受け、大将から少将に降格された後、解任された」。その理由は「国家保衛省が取り調べなどで行った拷問などの人権じゅうりんと、越権や不正腐敗などが原因とみられる」(2・3聯合ニュース)という。

 「秘密警察」と言えば、泣く子も黙る。戦前の日本の「特高」、あるいはナチドイツの「ゲシュタボ」‥‥。いずれにしても、怖いものなし。それをいいことに、自分たちの守備範囲を超え、あるいは、他の組織の幹部も取り締まりの対象とし、容疑がなくとも、気にくわない奴は拷問で罪を着せ‥‥ということをやったのだろう。もっとも容疑の一つ「人権じゅうりん」は、国自体がやっていることで、何をいまさらという感もあるが。

 これだけではわかりにくいが、日韓メディアの解説によると、金正恩の側近である金英哲・党統一戦線部長を捜査し、強制労働につかせた、金正恩の身辺警護を担当する護衛司令部の幹部を不正腐敗容疑で取り調べた、労働党組織指導部の地方幹部を排除した。張成沢から奪った利権を私した‥‥など、様々な”罪状”を上げている。

 熾烈な側近同士の忠誠ごっこ

 金正恩を守る組織、あるいは側近の間での軋轢、恨み辛み、密告、それらを含んだ忠誠ごっこがいかに熾烈か、よくわかる。先に国家保衛部を「泣く子も黙る」と書いたが、それより力を持っているのが、労働党組織指導部だ。今回の金元弘粛正を主導した。

 軍幹部のほとんどが処刑や更迭で次々と代わる中、金元弘は4年半以上も強面の地位に君臨していた。このため、いい気になりすぎ、目に余るまで増長したのかもしれない。そして、組織指導部にまで手を付け、「虎の尾を踏んだ」のか。このため組織指導部によって追い出された、というのはありうることだ。

 今回の騒ぎは、金正恩の最側近でも、ちょっといい気になると排除されるという、厳しい現実がよくわかる。金元弘は、労働党内の序列は10番台だが、金正恩の「懐刀」、最も信頼が厚いと言われてきた。いわば、金正恩の「恐怖政治」の実行役、まさに秘密警察のドンだった。このため、権力上層部の中でも、最も恐れられる存在だった。

 それだけに、ゴマをする、阿諛追従に励む輩も出てくる。もちろん、貢ぎ物や賄賂は付きものだ。俺はえらい。逆らえる奴はいない。知らないうちに尊大になったとしても無理はない。金正恩にさえ忠誠を尽くしておけば、怖いものなしだ。そうなると、自分が見えなくなる。

 一方、権力を振う、あるいは手柄を上げれば、当然被害者、犠牲者が出る。容疑の真偽は別として、やられた方は恨む。恨みが貯まれば、爆発する。韓国統一省によると、金元弘の罷免と同時に国家保衛省の幹部多数が処刑されたという。他の部署から買った恨みがそれだけ大きかったということだろう。

 また、金元弘の粛正は、もう一つ、金正恩の恐怖政治の人民の評判の悪さを挽回するための生け贄という解説もあった。「恐怖政治」は、当然人民の中にも行き渡っている。公開処刑には、多くの人々が動員される。その光景は目に焼き付いているだろう。

 そこで、処刑の責任者である金元弘を処分し、直接拷問などをした担当者を処刑した。「元帥様は、拷問などをやる奴らを許さないのだ」というわけだ。しかし、これで人民も「元帥様は情け深いお方だ」と思うほどウブではないだろう。まして、兄の暗殺といううわさが広がれば、帳消しだ。

 自らが暗殺されることを一番恐れる金正恩にとって、側近の相互監視、少しでもおかしければ、極刑を持って処する。これしか、疑心を薄くする方法はない。しかし、独裁者でいる限り疑心が晴れることはない。従って、「恐怖政治」は、金正恩体制が続く限りエスカレートすることはあっても、なくなることはない。

 「新たな核攻撃手段に大満足」

 「最高指導者同志は、身辺の危険も顧みず、戦略武器組み立ての全過程を指導指揮された」「成功の喜びを禁じ得ず、全参加者を懐に抱き、熱烈に祝賀した」(2・13朝鮮中央通信)。北朝鮮は、2月12日、新型の中距離戦略弾道ミサイル「北極星2型」の試験発射を行い、翌日「成功」と報じた。

 報道から見ると、金正恩は発射前日から現地にいて、二日間にわたって現地指導をしたようだ。身辺警護もあって、続けて同じ場所にとどまるのは珍しい。そして「威力ある核攻撃手段がもう一つ誕生したことに大満足」だったという。よほど力を入れ、うれしかったということだろう。

 中距離ミサイル「ムスダン」の改良型か、という見方もあったが、「新しく設計、製作した自走発射台車」に載せ、「大出力個体エンジン」を備えた新型だったようだ。韓国当局によると、89度の角度で発射し、高度550㎞に達し、500㎞先の日本海に落ちた。角度を調整すれば、2000㎞以上飛行するという。

 金正恩は「水中と地上の任意の空間で最も正確で迅速に戦略的任務を遂行できる」と豪語した。液体燃料は、注入に時間がかかり、一旦注入したら直ぐに発射しないと劣化する。これに比べて、固体燃料は短時間にどこでもセットでき、、機動性に優れている。ミサイル技術が格段と進歩したのは間違いない。

 トランプも脅すしかない

 なぜ、この時期に。一つは、2月16日の父親金正日総書記の誕生日を祝ってのことだろう。もう一つは、トランプに話し合いに出てこいという脅しだ。トランプは選挙中、金正恩と「ハンバーガーでも食いながら会うか」と、米朝協議に応じるかのような発言をした。しかし、就任後、直ちにマティス国防長官を韓国と日本に派遣し、北朝鮮がいやがる恒例の3月からの米韓合同軍事訓練をこれまでにない規模で実施すると明言、同盟強化を確認した。

 金正恩は、新年辞で「ICBMの発射実験が最終段階に達した」と宣言、外務省も「最高首脳部が決心すればいつでも」と、念押しした。同時に、ミサイルを積んだ移動発射台を昼間に盛んに移動させ、米国の偵察衛星に撮影させた。しかし、米国から望むような返事は来なかった。やはり、しびれを切らせたのだろう。

 今回の実験は、新型ではあるが中距離用だったこと。また、「周辺国家の安全を考慮して射程の代わりに高度を高める高角発射方式で行われた」(朝鮮中央通信)。ことなどから、「このくらいにとどめておくうちに、協議に応じた方がいいぞ。さもないと‥‥」と、対米交渉の余地を残している。という見方もある。

 しかし、脅しで話し合いの場に引き出すことは出来るのか。オバマ政権は「核開発計画の廃棄」を条件に、「戦略的忍耐」と称して、交渉に応じなかった。元はといえば、2009年1月にオバマ大統領が就任したばかりの4月にミサイルを発射、5月には2回目の核実験をしている。これで協議に出てきたら、恫喝に屈したことになる。原因は北にある。

 「大きな問題だ。われわれは非常に強い態度で対応する」(2・13)トランプは、カナダ首相との会談後の会見でこう述べた。今度のトランプ政権は、「アメリカ第1」だ。脅されたから、交渉のテーブルに着くとは、余計考えにくい。対北朝鮮政策の具体的な内容はこれからまとめることになるが、在韓米軍の強化など力を背景とした対応になりそうだ。

 金正恩は、安倍の応援団か?

 「暴挙は許さない。日米は100%共にあることを示す絶好の機会になった」(2・13)。安倍首相は、トランプとの首脳会談を終えて帰国、その足でテレビのインタビューに応じ、高揚した表情で、北のミサイル発射を非難した。ミサイル発射の情報が入ったのは、フロリダで、二人がゴルフを楽しんだ後、食事をしている最中だった。

 安倍は食事後、日本人記者団と会見をすることになっていた。このため急遽、非難声明を発表することになった。これを聞いたトランプも同席すると言い出し、「米国は100%同盟国日本を支援する」と付け加えた。安倍にとっては、こんなにありがたい話はない。

 今回の首脳会談にあたって、安倍はトランプが選挙中に公言した在韓米軍経費の全面負担などを言い出しはしないかなど、安全保障面での不安を抱えての訪米だった。しかし、アラブ7カ国からの入国制限を話題にもしなかった安倍に好感を抱いたのか、トランプは尖閣列島への関与まで明言、日米同盟を再確認できて、一息ついたところだった。

 金正恩は安倍の応援団か?こんな皮肉も言いたくなるほど、安倍にとっては絶好のタイミングで、ミサイルをぶち上げてくれたのだ。安倍の訪米をいっそう意義深いものにする格好になってしまった。

 望みは韓国の融和政権だが‥

 もっとも、北朝鮮に恫喝以外の外交のやり方があるかといえば、現実にはあり得ない。恫喝を止めれば、無視されるだけだ。それに、金正恩が命綱としている「核・ミサイル開発」を放棄しない限り、国連の経済制裁は解除されない。従って、話し合いの場を作ることすら難しい。中国も、不快感を隠さない。

 いま、脅しがいのあるのは韓国だ。朴槿恵大統領は文字通り”死に体”。保守政党もバラバラ。今年半ばにも予定される大統領選では、今のところ対北融和を主張している野党「共に民主党」の文在寅・前代表が独走している。北の挑発は、朴槿恵の対北対応が間違っていたから、と言うのがこの陣営の受け取り方だ。

 そして、大統領になれば、北にとって脅威になる高高度迎撃ミサイルシステム(THAAD)の配備も反故にできる。朴槿恵が中断した北のドル箱だった開城工業団地の再開も視野に入ってくる。北としては一息付ける。いずれにしても、韓国が左右対立などで混乱すれば、南北関係で優位に立つことができる。脅しが効くのである。

 しかし、対北融和政権ができても、今回の金正男暗殺は、大きな陰を落としそうだ。肉親に手をかける残酷さは、同じ民族だけに余計感じる。金正恩が率いる北朝鮮への警戒心はさらに強まる。北朝鮮が犯行を認めないからといって、融和策を積極的に進めるには、世論がブレーキになる。

 「恐怖政治」と「恫喝外交」は、相まって、一層、北朝鮮の外交的孤立を深める。そこから抜け出るために、さらなる恐怖と恐喝と。当面、この悪循環が強まることがあっても、止まることはなさそうだ。

更新日:2022年6月24日