「上御一人」の不安は止まらない

(2016.7.11)岡林弘志


 御用だ!御用だ!というわけでもないようだが、米国は金正恩・朝鮮労働党委員長を金融制裁の対象に指定した。時を同じくして、米韓は北朝鮮がいやがる最新鋭のミサイル防衛システムを韓国内に設置することを正式に決めた。ついこの間、金正恩は「ムスダン」の発射実験が成功したと大笑い。「党委員長」に加え、「国務委員長」という新しい肩書きも付けて得意満面だったのに、冷水をかけられた格好だ。どうも、あの手この手の恫喝が効かない。ストレスは貯まるばかりだろう。

ついに「最高権限」も制裁対象に

 「われわれの最高権限に言いがかりを付けたのは大罪中の大罪。われわれへの宣戦布告、超強硬の対応措置を執っていくだろう」(7.7)朝鮮中央通信)。北朝鮮外務省が発表した「特大型の犯罪を働いた米国を糾弾する」声明だ。北朝鮮では、赤子の時から「革命の中央を決死擁護する」よう教え込まれている。お家の一大事、忠誠を誇示するためにも、ここは最大限の表現で、米国をたたかなければならない。

 というわけで、この声明も、米財務省が発表して、24時間もたたないうちに発表された。実に手回しがいい。そして、制裁措置の「即時かつ無条件の撤回」を求め、応じなければ、「朝米間のすべての外交的接触の空間とルートが直ちに遮断される」と宣告。実際に4日後「対米ルートの遮断する」という通知文を送った(7.11)。いま、米朝間には対話は行われておらず、たいした脅しにはならないが、とにかく厳しく追及したというアリバイが必要だ。

 「金正恩政権の下、国民に超法規的な処刑や強制労働、拷問などの残虐行為、苦難を与え続けている」。米財務省は、今回の制裁の理由として「人権侵害」をあげた。例えば、政治犯強制労働所では、8~12万人が収容され、残虐な取り扱いを受けていると指摘している。

 そして、制裁対象として、金正恩をはじめ政権の中枢にいる幹部11人と、党組織指導部、人民保安部、国家安全保衛部など5組織を指定した。米国が金正恩を制裁の対象にしたのは始めてだ。国連や日米韓の独自制裁について、これ以上有効な手立てはないとも言われてきたが、米国としては、制裁の間口を広げたことになる。


 具体的な制裁措置は、対象個人・機関の米国内の資産凍結や米国人との取引禁止、入国禁止などだ。実際には、米国内にたいした資産があるとは思えないが、すでに、世界中の北朝鮮との取引のある事業所などとのドルによる取引を禁止しており、北朝鮮の貿易などが大きく制限される。それにもまして、北朝鮮が怒っているのは先にも触れたように「最高権限」を侮辱されたことだ。

 

最近の動き


5.6~9 労働党大会
5.16  北、南北対話呼びかけ
5.20  北、南北軍事会談要求
5.28  北「200日戦闘」宣言
5.31  北「ムスダン」失敗
6.1    習近平主席・李洙墉労働党副委員長と会談
6.14  中国、対北禁輸拡大
6.22  ムスダン、1発成功
6.29  北最高人民会議
7.6    米、金正恩を制裁対象に
7.7    北「犯罪行為」と抗議
7.8    米韓THAAD配備決定
7.9    北SLBM失敗

 

「ムスダン」などに備えてTHAAD

 米国の金正恩制裁指定の翌々日、米韓は「高高度防衛ミサイル(THAAD)の韓国配備を正式決定」と発表した(7.8)。2017年末までに配備する予定。場所は、中国を刺激しないように、黄海から離れた慶尚北道などの空軍基地を検討しているようだ。

 THAADの配備については、北朝鮮だけでなく、中国が探知の範囲に入ると強く反対、このため韓国は中韓関係の悪化を気にして、乗り気ではなかった。しかし、最近の相次ぐ核・ミサイル実験に危機を感じ、ついに配備に同意した。中距離ミサイル「ムスダン」の実験成功(6.22)は、合意の「引き金」になった格好だ。

 THAADは、敵の弾道ミサイルを素早く探知して、地上に落ちる前に撃ち落とすという米国が開発した最新鋭のミサイル迎撃システムだ。迎撃は、発射直後、大気圏外飛行中、大気圏内再突入-の三段階で行われる。これまでの迎撃システムより画期的に進化したと言われている。対象にされた国にとっては、ミサイルが無力化され、当然抑止力も弱くなる。

 このシステムは、移動式の迎撃ミサイル発射装置と早期警戒用のXバンドレーダーなどからなる。このレーダーの探知可能距離は、半径1800㎞と言われており、北朝鮮全域はもちろん、中国の北京をはじめ東シナ海全域もカバーできる。このため、中国は早くから配備に反対、習近平主席までが韓国政府首脳との会談でクギを刺した。

 配備決定発表の翌日、これに反発してか、北朝鮮は潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射実験を行った(7.9)。日本海側の新浦付近から1発発射したが、水中から出てすぐに爆発、失敗したようだ。SLBMは海中から発射する。バンドレーダーは、方向性があり、一定の範囲しかカバーできないため、移動する発射装置は事前に察知するのが難しく、このシステムの弱点になっている。

「火の海、灰の山にするぞ!」

 SLBMの発射実験は、これまでも金正恩の立ち会いの下に数回行われた。昨年5月、朝鮮中央通信は「水中発射実験に成功」と報じた。今年になっても発射実験を行った(4.23)が、30km飛行して落下している。実戦配備までにはかなりの時間がかかりそうだ。

 今回の実験はおそらく、THAADを配備しても、こちらにはちゃんと備えがあるよ、と誇示したかったのだろう。韓国では「発射技術が進歩しているのは間違いない」(国防部)と見ているが、失敗したことで衝撃度は低い。

 THAADに対する北朝鮮の非難声明はというと、4日後になってようやく出てきた。金正恩制裁に対する反応に比べると、のんびりしている。それも、韓国の聯合ニュースが「3日間反応なし」(7.10)と報じた次の日だ。これで放置したら「忠誠心の欠如」で責任をとらされる。慌ててぶち上げた感もある。

 「横暴な米国とその下手人の侵略的な戦争策動をわずかも許さず、果敢な軍事的措置を連続で取っていくことになる」(7.11)。声明を出したのは、人民軍総参謀部砲兵局。「重大警告」として、「物理的措置」をとり、THAADが配備されたら、命令があり次第「火の海、灰の山にする」という。

「ムスダン」成功で大喜びしてたのに

 「実に痛快ですっきりする。一大壮挙だ。太平洋作戦地帯内のヤンキーを全面的かつ現実的に攻撃できる確実な能力を備えるようになった」(6.23朝鮮中央通信)。戦略ミサイル「ムスダン」の発射成功を現地指導、発射実験に成功したときの金正恩の「喜びに満ちた」談話だ。なんとも無邪気だ。

 「ムスダン」は、この日、2発のうちの1発が、1413.6kmまで上昇し、400km先の目標水域に達したという。このミサイルは、旧ソ連の潜水艦発射弾道ミサイルを改良した地対地弾道ミサイル。射程は2500~4000km、650kgの弾頭を搭載可能と言われている。2007年に実戦配備され、軍事パレードには姿を見せたが、一度も発射実験は行われなかった。

 今年4月になって、急に発射実験を始め、15日、28日、さらに5月31日と続け、計4発を発射したが、すべて失敗。いずれも、金正恩が現地指導をしていた。このため、今回の発射成功は、よほどうれしかったらしく、労働新聞1面には、呵々大笑する金正恩の写真がでかでかと載った。

 しかし、大量破壊兵器の実験成功に大笑いする国家指導者というのは、珍しいのではないか。例えそうでも、他の国なら、こんな写真を公にはしないだろう。大量破壊兵器は、広い範囲を壊滅させ、無数の人間を殺傷する残酷な装備だからだ。また、最高権力者が「ヤンキー」などと軽蔑語を使うのも軽い。無邪気な冷血漢というのは始末が悪い。

 このミサイルは「火星10」と名付けられた。火星まで届くミサイルを作れという意味か。金正恩が「米帝の核脅威から守るため、核攻撃能力を絶えず培わなければならない」と、さらなる核・ミサイル開発を明言したのは、言うまでもない。

今度の肩書きは「国務委員長」

 「ムスダン」の大成功を”祝砲”として、金正恩は最高人民会議に臨んだ(6.29)。憲法が改定され、これまで国家の最高機関だった「軍事委員会」を廃し、新たに「国務委員会」を設置、「最高政策的指導機関」と位置づけた。そして、金正恩は「最高領導者」である「国務委員長」に就任した。

 この間の党大会(5.9)で「朝鮮労働党委員長」になったと思ったら、今度は「国務委員長」だ。日韓のメディアは「党と国家の唯一指導体制が完成した」と解説する。これまでも北朝鮮で最高位にあると思っていたが、これまでの職位では、親父の後追いのようで気分がよくないのか。

 本人がそんなことまで考えたとも思えないが、忠誠心旺盛な側近が、「第一書記、軍事委第一委員長では、第二、第三もありそうで、「唯一領導」にふさわしくありません。もっとはっきりと尊厳を象徴する名称が必要です」などともみ手をしながら進言したのか。考える方も大変だが、金正恩は新しい肩書きにご満悦のようだ。


 「遺訓統治」とも言われるが、どうも金正恩は金正日総書記の決めたことは、お気に召さないようだ。死後を心配して付けてくれた後見人や側近のほとんどは、すでに処刑や粛正などで排除した。旗印だった「先軍政治」もほとんど言わない。それを支えてきた「軍事委員会」も廃止した。まさか神格化の障害になっている在日を母としたことを恨んでいるのか。何か「ファザーコンプレックス」があるのか。

ストレスで体重は増えるばかり

 話は横道にそれたが、このところ金正恩は、ムスダン、権威ある肩書きもできて、万々歳のはずだった。ただ、金正恩制裁とTHAAD配備が、おめでたムードに冷水をかけたのは間違いない。しかも、先代、先々代の時代は、かなり効果のあった「恫喝」が効かなくなっている。むしろ今回のように、反対に脅される場合の方が多い。

 「体重130キロ超の金正恩氏、身辺が心配で不眠症・暴飲暴食」(7.19)朝鮮日報は、国家情報院の国会報告の内容を報じた。確かに、北朝鮮からの映像を見ると、このところますます体重が増えているのがよくわかる。金正恩が初めて公の場に出た2012年には90kgだったが、この四年間で40kgも増えたという。

 これは身長171cmとすると「超高度肥満」というそうだ。従って成人病にかかっているはずであり、予備軍であるのは間違いない。国会情報委員会の委員長は「自身の身辺における偶発的な脅威のため、心配している。不眠症になって、軍の周りをチェックしている」と、ストレスの原因を推測する。

 このため、暴飲暴食をするようになった。「今年5月に平壌で会った『金正日の料理人』藤本健二氏に『一晩でボルドーワインを10本も飲んだ』と語った。消息筋は『金正恩氏は夜明けまで酒を飲むといううわさがある』という」(同)。ストレスが貯まると、やけ酒を飲むというのはよくある話だ。もちろん、他にもストレスのタネはある。

経済制裁で深刻な外貨不足、脱北者増

 「北朝鮮 3千万ドル(約30億円)で中国に漁業権売却」(7.1聯合ニュース)これもネタ元は国家情報院だ。今年一年の漁業権で、昨年の3倍、漁船1500隻が操業できるという。北の漁民にとっては、この分の収穫量は減る。「200日戦闘」で、ノルマは増えるうえ、踏んだり蹴ったりだ。

 漁業権売却のせいもあるだろう。ワタリガニなどの最盛期である6月になって、NLL(北方限界線)付近に中国漁船が大挙押し寄せ、乱獲している。中にはNLLを越境する漁船もおり、韓国軍と国連軍が取り締まりに乗り出した。

 漁業権売買は、国連などによる経済制裁が効果を発揮外貨獲得に支障を来しているためだ。「輸出の半分近くを占める石炭の輸出が前年比で約40%減少し、兵器類の輸出は88%減った」(同)。また、手っ取り早い外貨稼ぎだった「朝鮮レストラン」は、海外に100軒以上といわれるが、今年春以来、3分の1が廃業したという。これも、経済制裁の一環として、韓国人や中国人が行かなくなり、客が激減したことと、従業員の集団脱北で、北朝鮮が取り締まりを厳しくしたためだ。

 その脱北者は、金正恩の時代になって、減少傾向にあった。金正恩の命令で取り締まりを厳しくしたからだ。しかし、韓国統一部の発表(7.7)によると、今年上半期(1月~6月)は749人で、前年同期に比べ、22%増加した。このまま行けば、年間1500人になりそうだという。

 脱北者は、2009年に2914人に上ったが、12年に1502人と急減、昨年15年は1276人にまで減った。今年になって、増加に転じたのは、国連制裁で外国における外貨獲得が難しくなり、本国からは「上納金」の取り立てがいっそう厳しくなった。しかし、それだけの利益は出ない。本国へ帰れば、強制労働所必至だ。逃げ出すしかないからだ。

足下も安心できない

 金正恩の得意に水をかけたのは、まずは米韓や中国だが、足下も安心していられる状態ではないのである。核・ミサイル開発を最優先にしている以上、さらなる性能向上を目指して、突っ走るしかない。SLBMも失敗した以上、成功するまで発射実験をやり続けなければならない。担当者は命懸けだ。

 また、北東部にある豊渓里の核施設の活動が活発になっているという衛星情報もある。核・ミサイルは「恫喝」に使う外交手段でもあり、脅しがきかないとなれば、さらに強硬な手段をとらざるを得ない。核実験はもちろん、このところの相次ぐミサイル発射実験は、すでにその悪循環に陥っていることの現れだろう。

 また「核兵器は自衛の手段」という以上、どこまでいってもこれで安心、とはならない。米国が相手だからだ。したがって、核・ミサイル開発には、無限にカネと資源をつぎ込まなければならないのだ。

 金正恩は「並進路線」を繰り返すが、当然人民生活は二の次の「片肺路線」にならざるをえない。「国家経済発展5カ年戦略」をぶち上げた。内容はわからないが、絵に描いた餅になりそうだ。人民の不平、不満は鬱積する一方。肥満した「片肺飛行」では、長くは飛べない。

更新日:2022年6月24日