一年中「戦闘」ではたまらない

(2016.6.13)岡林弘志

 

 「70日間戦闘」が終わったと思ったら、今度は「200日間戦闘」だという。これでは1年の7割以上が「戦闘」になる。先の党大会で、金正恩・労働党委員長が打ち出した「経済5カ年戦略」の初年度に、成果を上げるためだ。人民は高いノルマを果たすため、ほぼ一年中ムチを入れられ、忠誠を試される。人々の悲鳴が聞える。そうしなければ、実現できない経済計画とは、残酷にしていい加減だ。そして、絶えず人民に忠誠を強いなければ安心できない指導者の姿も垣間見える。

「5カ年戦略」を実現するために

 「労働党大会で提示された国家経済発展5カ年戦略遂行の突破口を開く衷情の200日間戦闘が宣布された」(5.28朝鮮中央通信)。労働党、国家、経済、武力機関幹部連席会議(5.26~28)の結論だ。この会議は、36年ぶりの党大会(5.6~9)で決まった「5カ年戦略」を具体的にどう進めるか、実現するかを検討するため開かれた。これからの民生経済発展の青写真が描かれたはずだ。

 報告者になった朴奉珠首相によると、この「戦略」は、「経済強国の建設に拍車をかけ、国家の物質的・技術的土台を築き、人民の生活に転換をもたらす」ものだそうだ。要するに、金正恩が繰り返す「人民生活の向上」という公約を実現するためのものだろう。

 ここに出てくる「衷情」(朝鮮中央通信の日本語ホームページ)とは、聞き慣れない言葉だが、辞書をひくと、「嘘偽りのない心、真心」という意味だ。真心を込めて、200日間、脇目も振らずに働け!ということか。ちなみにこの単語は、修飾語として「衷情の200日間戦闘」などと、ポスターにも必ず付けられている。「戦闘」にまつわるキーワードの一つだ。

 会議では、5カ年間に達成すべき「重要指標別目標」が提起され、「実現のための現実的な対策的問題が討議」されたという。回りくどい表現だが、素直に受け取れば、経済が混迷する現状を改善する行程、目標を定めたことになる。ところが、肝心の各部門の目標の数字や実現方法など、具体的なものはほとんど発表されなかった。

 朴奉珠は、会議の締めくくりで「目標はいくらでも達成できるという確信と楽観を持つことになった」と述べたが、大丈夫か。金正日の時代から何回か、経済再生の「改善措置」が打ち出されたが、すべて失敗。時の首相や経済担当責任者が責任をとらされ、公開処刑などで粛正された。朴奉珠は、先の大会で、5人の政治局常務委員の一人に昇格したが、こんな楽観的な発言をして、失敗の時の生け贄の材料にならないか。人ごとながら、気になる。

 いずれにしても、今回の発表では、具体的な内容はわからない。というより、打ち出せなかったのか、公表できなかったのか。もし、公表すれば、まず、北朝鮮経済の惨状が明らかになる。国連の経済制裁があっても、「何の支障もない」と言い張っている以上、惨めな数字は出せない。

 また、現状が明らかになれば、人民の不満もいっそう高まる。あい続く「戦闘」に動員されても、何の成果もないのでは、くたびれもうけ、指導者が悪いとなる。もっとも、もともとの統計数字がでたらめ、ノルマ達成を装うために底上げの数字を出す。各段階、各部門で、こんな数字を出して、合計すれば、途方もない結果となる。目標数字は出さないのではなく、出せないのだろう。過去にいい例がある。

前党大会の目標は絵空事に終わった

 前回。1980年の第6回党大会では、「近い将来」に実現する具体的な目標がはっきりと示された。「社会主義建設の10大目標」と銘打ち、電力は1千億キロワット時、石炭1億2000トン、化学肥料700トン、穀物は1500万トン(いずれも年間)……。おそらく当時の生産量は、その3-4分の1だったはずだ。

 もし、これが達成されれば、金日成が生涯の目標に掲げた「人民は白米を食べて、絹の着物を着て、瓦葺きの家に住む」ことができたはず。バラ色の数字だった。当時、世界的に経済は右肩上がり。そんなに突拍子もない数字ではなかったのかもしれない。それにこのくらいの目標が達成できなければ、韓国に大きく水をあけられる。

 ところが、それから14年、金日成の存命中、目標は達成できなかった。「5年に1回」開くことになっていた党大会が、その後開けなかった最大の理由でもある。しかも、80年代末の東西冷戦の終わりは、北朝鮮経済を痛打した。ソ連と中国からの特恵、援助が大幅に削減あるいは消滅したからだ。外勢依存という経済構造の限界があらわになったということだ。

 それから、四半世紀。この痛打は今に続く。北朝鮮の経済指標は、おそらく過去最高だった1989年を大きく割り込んだままだ。このためもあって、金正日は「計画経済」は打ち出せず、党大会も開けなかった。混迷は、今も大して変わりない。国力は韓国の20数分の1にまで開いてしまった。

 目標が達成できなかった理由はいくつかある。最大の理由は、経済構造そのものにある。金王朝維持資金・神格化資金が最優先され、続いて軍事、特に核ミサイルにカネやモノが回され、民生はその次だからだ。このため、経済発展の土台となるインフラが整備されないままだ。

 その上、「上御一人」の「現地指導」「現地視察」生産現場を混乱させる。現地に出かけて行って、経済原理に合わない指導を押しつけるからだ。この悪しきやり方は金日成に始まり、金正日、そして金正恩も忠実に守っている。それに土台となる数字が底上げばかり。これでは有効な現状分析、目標は立てられない。

目標達成のため「決死」で働け

 金正恩は、祖父に習ったのだろう。「計画」という言葉は使わなかったが、それらしき「5カ年戦略」を発表した。しかし、数字は出ていない。出たところで、どこまで信用できるかはわからない。達成できなかった時の批判を避けるという思惑もあるのかもしれない。反対に、過剰な数字を出せば、内外から嘲笑にさらされる。

 この会議ではっきり打ち出されたことが一つある。「戦略」を達成するための方法として「200日間戦闘」を展開するという点だ。そして、「万里馬の新たな時代速度を創造する千万の軍民」がいる限り、「戦略目標は必ず遂行される」という。いわば精神論だけはきわめて明確だ。

 金日成、金正日の時代には「千里馬」運動が盛んだった。しかし、目標が達成できず、経済の低迷から抜け出ることができなかった。「千里馬」から「万里馬」へ、スローガンを10倍に加速すれば可能になるというものではあるまい。スローガンで、物事はうまくいくなら、こんな楽なことはない。

 「200日間戦闘」は、6月1日から始まったようだ。あちこちの街角、事業所などにポスターが張り出されている。となると、終わるのは12月半ばだ。金正日総書記の命日(12.17)までか。これから年内いっぱい、人民は「戦闘」にかり出され、「パリ! パリ!(早く、早く)」と尻をたたかれる。5月上旬の党大会に向けた「70日戦闘」が終わったばかりだ、息つく暇もない。

 振り返って、この間の「70日間戦闘」はどうだったか。金正恩は党大会の報告の中で「電力、石炭、金属工業と鉄道運輸部門で増産・超過輸送運動を力強く繰り広げて急速な生産向上を遂げた」と強調した。「千万軍民は党の戦闘的アピールに決死貫徹をもってこたえた」結果である。実際はどうだったかよくわからないが、「決死」の覚悟で臨まなければ、貫徹できないことはよくわかる。従って「戦闘」なのだ。

忠誠心を煽るための「戦闘」

 人民の苦しみを土台とした「経済目標」というのは、何なのか。特別に速度を上げなければ、5年間の目標が達成できないという計画は異常だ。一つは、深刻な燃料や資材不足を隠すため、また、インフラ整備の遅れを覆い隠すため、とにかく「急げ!急げ!」と、精神的に駆り立てるためか。

 カギは、「200日間戦闘」の修飾語である「衷情」にある。先にも紹介したように、「真心」という意味だが、朝鮮語辞典では「忠情」という漢字も同じ読み方。これは忠誠心という意味だ。元々はこちらの方ではないか。もっとも、北朝鮮では真心を込めると言ったら「上御一人」に対してだけ。どちらでも同じと言えば、その通りだ。

 要するに、「戦闘」は、金正恩への忠誠心を証明するためなのである。従って、具体的な目標や成果は二の次、三の次なのかもしれない。自らの権威、権力基盤に自信を持てない金正恩にとって、人々が絶えず忠誠を誓っていることを確認しなければ、安心できない。それに、脇目も振らずに働かせておけば、不穏なことを考える暇もなくなる。

 金正恩は、先の党大会で「労働党委員長」という新しい肩書きを作って、権威を高めた。6月末に予告された最高人民会議でも、国家の最高位の職名を打ち出し、新たな権威付けをするかもしれない。これだけこだわるのは、独裁権力強化の支柱となるべき自らの「神格化」ができないからだろう。

金正恩の「神話」ができない

 「神話」の出発点は出自にある。このため、金日成、金正日の誕生日は祝日になっている。金正恩は1月8日が誕生日と言われるが、未だに祝日ではないし、公にもしていない。と思っていたら、来年から祝日にという情報が出てきた(6.11米政府系ラジオ・自由ラジオ放送「RFA」)。「銀河節」と名付けて、大々的に祝うのだそうだ。

 横道にそれるが、そうなると、金正恩の「光明星」(2.11)、金日成の「太陽節」(4.15)と続く。人民は1~4月奉仕活動に動員される。「戦闘」がさらに続くことになる。もちろん、このための経費は最優先で計上される。いずれにしても、祝日となれば、人民は祝意を表し、忠誠を誓う。

 しかし、「出自」を公にできるのか。父親は金正日だから、まさに「革命の血統」「白頭山の血統」だ。ところが、母親とその成分などは、いまだに公表されていない。日韓ではよく知られているように、母親の高英姫は、在日朝鮮人だ。北に移住した在日は成分が低く、差別されている。しかも、この結婚は、金日成に認められなかった。このため、金正恩の生誕地は元山と言われるが、これも明らかにされていない。

 金日成は平壌郊外、金正日は白頭山のパルチザン野営地を誕生の地として、手厚く”保存”され(実際は後に造ったもの)、神格化の原点になっている。最も、ご存じのように金正日が生まれたのは、旧ソ連の極東、ハバロフスク近郊らしいが、白頭山を生誕地として、神話を作ってしまい、学校で教え、人々はそれを信じている。それだけ、横車を押す力、権威があったということだろう。

 しかし、いま、金正恩の出自、出生にまつわる架空の物語を作り、神話にしようとしても、できるような世の中ではない。300万台近くの携帯電話が出回り、嘘はあっという間に広がる。外からの情報もかつてのように、遮断できない。金正日の時のようにはいかない。

 それでは、母は在日出身とありのままを出して、人民を納得させるという手もある。しかし、今までやらないところを見ると、その自信はないのだろう。となると、別の方法で人民の忠誠心をあおり、確認する必要がある。その、一つの手段が、ほとんど切れ目のない「戦闘」だ。

 そうでなくとも、人民は、金日成・金正恩の誕生日、命日などの記念日、名節ごとに動員される、銅像などの周りの草取りをはじめ、道路の整備など、1年中、奉仕に明け暮れ、忠誠心を誇示しなければならない。残酷物語は、果てしなく続く。

 人民支配のもう一つの方法が「恐怖政治」だ。ここまで書いたら、NHKが「北朝鮮機密ファイル」(6.5)というドキュメンタリーを放映した。金正恩体制の中枢をえぐる第一級の資料を基にしている。金正恩が求心力を強める手段として展開してきた「恐怖政治」の実態がよくわかる。

 側近中の側近を始め、軍幹部らを次々と処刑し、恐怖を煽ることで、服従を強いている。これほど物騒な統治方法をとり続けるのは、権力継承に当たって、軍の動向に強い懸念を抱いたからだ。そのあたりの事情、いきさつが内部文書によって浮き彫りにされる。

 日韓の北朝鮮ウォッチャーの中には、党大会などを経て、金正恩の権力基盤は固まったと判断する見方もある。しかし、目をこらしてみると、「恐怖政治」と「戦闘」の連続だ。疑心暗鬼に駆られ、絶え間なく忠誠を求め、確認しなければやまない典型的な孤独な独裁者の姿が浮かび上がってくる。

 膨大な機密ファイル流出は、権力の中枢を担う軍内部のひび割れさえうかがわせる。権力基盤は、盤石にはほど遠い。


【付 記】
 NHK「スクープドキュメンタリー 北朝鮮機密ファイル-知られざる国家の内幕」(6.5放送)は、すさまじい内容だ。金正恩体制の権力基盤を支える人民軍組織部のパソコンに記憶させてある1423件のファイルをNHKが入手。その主な内容を紹介、分析している。

 ファイルの内容は、2010年から2013年3月までのものだ。金正日は2012年12月に死去、従って、金正恩への権力移行の最も肝心な期間の記録になる。プリントアウトすると、12,000枚という膨大な量だ。この中には金正恩自身の命令も多数含まれる。日米、ロシアの北朝鮮に関わる情報専門家は本物と判断した。独裁権力中枢の一次資料だ。北朝鮮にとっては、「パナマ文書」、あるいは「ウィキリークス」の流出以上の衝撃だろう。

 内容は、金正恩がどのように権力を握り、軍を支配してきたか。その柱となる「恐怖政治」の実態が生々しく編集されている。具体的には金正恩の①軍掌握までの混乱②軍の食糧問題解決のでたらめと混乱④軍クーデタへの恐怖と「恐怖支配」の具体例⑤外部、特に韓米のビデオ、USBなどによる情報流入への警戒と公開処刑――などがファイルを引用して紹介されている。

 軍の中の忠誠心に疑いを持った金正恩は、軍人への監視を強化し、「軍内部のすべての動向、山奥に落ちる針一本の音も報告しろ!」と命令。さらには、幹部全員の素行調査を指示、その内容がファイルに残っている。また、要注意人部のリストを作成。これに基づいて、数多くの幹部が処刑された。人工衛星発射に疑問を呈した、艦艇を破損させたなどの理由も明記されている。

 2012年7月、李英鎬・人民軍総参謀長の解任が明らかになったが、実は処刑されていた。「金正恩最高司令官の許可なく、パレードに参加した部隊を勝手に動かした」からだ。クーデタを最も恐れる金正恩にとって、決して許せない行為だ。ファイルで明らかになった。

 さらには、全国の軍部隊の配備、高射砲をはじめとする装備数も明記されている。軍にとっては最高機密の一つだ。これが米韓にも明らかになるとなれば、北朝鮮にとっては、最大級の危機だろう。

 このファイルは、1個のUSBメモリーにコピーされ、人民軍傘下の貿易会社の幹部によって持ち出され、台湾で手渡された。このメモリーには、おそらくコピーしたであろう人物の遺書めいた文書も入っていた。決死の覚悟で、北朝鮮・金正恩統治の実態を世界に知らせようとした。金正恩独裁体制崩壊のアリの一穴になることを願ってのことだろう。

 今回の番組では取り上げられなかった内容もかなり残っているはずだ。NHKには、何回かの続編を期待したい。また、プリントアウトした文書も是非出版してほしい。

更新日:2022年6月24日