「気配り人間」に変身?

(2015.10.17)岡林弘志

 

これほど、金正恩第一書記が「人民」のことを思っているとは知らなかった。大々的に宣伝してきた労働党創建70周年式典(10・10)が行われ、25分にわたる演説を行った。「人民第一」など、「人民」がいたるところにちりばめられ、リンカーンもびっくりするほど。それだけ、人民を慰撫する必要があるのだろう。予告したかに見えた誘導ミサイルの発射はなく、中国や米国への気配りがちらちらするなど、大きな節目と位置付けていたが、得意の「強面」一辺倒とはいかなかったようだ。

 

「人民」の大安売り

 

「党は人民を天のごとく敬い、師とみなし」「人民重視、人民尊重、人民愛の政治を実施」「人民より貴重な存在はなく、人民の利益より神聖なものはない」――。大元帥様は、それほど人民を大事に思い、重く見ていてくださるのか。これでは、当の人民は感涙にむせぶか、歯が浮いてしまうではないか。

 

とにかく、「人民」の大盤振る舞い、何回出てくるか数えようとしたが、40回まで数えて、面倒くさくなりやめた。それでも演説の半分ほどなので、おそらくその倍、80-90回は出ているのだろう。そして、演説の締めくくりでは、「以天為民」(人民を天のごとくみなす)なんて、四文字熟語を持ち出し、「人民の美しい夢と理想を実現していくだろう」と、これまた涙が出るほどの気配りを見せた。

 

人民はさぞ喜んだだろう。たしかに、軍事パレードに続いて行われた10万人が参加した人民のパレードでは、全員が金正恩の姿を見て、感激、歓呼の声をあげ、手に持った飾り物をちぎれんばかりに振っていた。まして、今回は、全人民に一カ月の生活費に相当する現ナマを配ったのである。ありがたいことだ。

 

人民をなだめる必要が

 

しかし、人民が喜んだという情報は漏れてこない。大行事があると、人民は奉仕を強いられるのが常だ。家の周りをはじめ、神格化のための記念碑、建築物の清掃、整備、補修などにかり出され、生業を犠牲にして働かなければならない。それに、物品や金銭の方の奉仕も強いられるのが常だ。今回も「一世帯当たり40中国元を徴収」という報道があった。

 

「記念の軍事パレードなどの費用は、北朝鮮の年間予算の三分の一(1兆~2兆韓国ウォン=約1千億~2千億円)に当たる」――韓国紙は、韓国IBK経済研究院の分析を報じた。そもそも、北朝鮮の予算がどのくらいか、発表されたことはないが、北朝鮮にしては巨額のカネがつぎ込まれたのは、間違いない。

 

このあおりで、民生経済は大きな負担を強いられ、もし人民のための施策というものがあったにしても、国の予算はそちらへは回らないはずだ。「人民尊重」には程遠い。もともと、この国は、金一族の神格化、それに核・ミサイルに優先的にカネを回し、民生は二の次、三の次にされてきた。

 

突然に「人民」尊重を打ち出したのは、その必要があったからだろう。ひとつは、人民の不平・不満が極度に高まり、決して「人民」を無視しているのではないと「御一人」が念押しする必要があった。また、近年にない最大の行事を予定しながら、今年に入っても、軍や党の実力者を次々に処刑している。金正恩は「恐怖の支配者」という印象が強く、「人民」は萎縮している。何もしないのが無難だ。これでは経済立て直しはできない。早急に「人民思いの将軍様」にイメージを変える必要があったに違いない。

 

「党幹部は人民に謙虚で」と言われても

 

「党幹部は人民に対して限りなく謙虚であるべき」「労働党万歳の声が全国に響き渡るように」。金正恩は、労働党にまつわる行事なので、党幹部に対する注文も演説で強調した。しかし、これを聞いて、幹部様様、「労働党万歳」と叫ぶ人民はいるだろうか。

 

おそらく「党幹部」と聞けば、人民は「ハハーッ!」と、ひたすら恐れ入り、触らぬ神にたたりなしだ。それが生活の知恵というもの。やたらに威張り散らし、何かを頼んだり、煩わしいことを避けるためには、「袖の下」が必須。機会あるごとに、人民にいちゃもんをつけて、カネやモノを求めるのが党幹部。

 

「人民に奉仕」どころか、疫病神だ。もし「党幹部」に近付く人民がいるとすれば、利権のおこぼれにあずかりたいという輩ばかりだ。かつて社会主義国が「共産党独裁」体制のもとで滅んだのは、党幹部、党官僚が本来の「人民のため」をないがしろにして、利権をあさり、私腹を肥やすなど、「人民を食い物」にしたことが大きな原因だった。

 

もともと、「独裁」と「人民」は両立しない。独裁は人民を食い物、犠牲にして成り立つ。人民は、独裁の道具でしかない。まして、北朝鮮は「領袖独裁」だ。「革命中枢を決死擁護」するために、人民は存在する。独裁者を守るためには、人民は生命も犠牲にすることを強いられる。人民は学習のたびにそう教え込まれている。

 

いまさら、急に「人民」と言われても、気持ちが悪い。それに、金正日総書記の時代から「人民生活の向上」が言われてきたが、いまだにその公約が掲げられている。実現していない証拠だ。「人民」は尊重されていないのである。「人民」というだけで、人民は喜ばない。むしろ、おだてておいて、何かをやらせようという魂胆ではないか。勘ぐるのがせいぜいだろう。

 

中国要人を大歓迎

 

今回の行事の主役は、言うまでもなく金正恩だが、もう一人、あたかも主役のような存在感を示したのが、中国共産党の劉雲山・政治局常務委員だった。軍事パレードの閲兵台では、終始、金正恩の横にいて、人民パレードの際には、金正恩は劉雲山の手をとり、二人して手を高く上げ、歓呼に応えた。二人して談笑する場面も、テレビに放映された。

 

「伝統的な朝中親善を代を継いで強化・発展させて行くのが、我が党と人民の意志」。記念式典の前日(10・9)、金正恩は、劉雲山と会談し、関係改善・重視の姿勢を強調した。中国に対して、これほどの意欲を示したのは初めてだ。それだけ、中国要人の訪朝がうれしかったということだろう。

 

劉雲山は、中国共産党のナンバー5といわれる。大物の訪朝は、13年7月の朝鮮戦争休戦60周年に李源潮・国家副主席以来のことだ。中国は、北朝鮮の核実験、中朝のパイプ役の張成沢の処刑などに強い不快感を示し、中朝間は冷え切っていた。

 

今回の劉雲山訪朝は、中国の対北方針の転換だ。中国は北朝鮮を冷遇するより、関与することで、これからのミサイル発射、核実験を阻止できると判断したのだろう。すでに習近平国家主席は、「伝統的な中朝親善は、共同の貴重な財産」という祝電を送り(9・8)、関係改善の意向を示していた

 

米中を意識し、「核」を使わず

 

金正恩が、最高実力者になって4年経つが、いまだ訪中は実現していない。訪中を受け入れない中国に嫌悪感を持っているとも伝えられた。しかし、今回の金正恩の歓待ぶりをみると、国際的に孤立するなか、生殺与奪の権を握る中国との関係改善は緊急の課題、駄々をこねてる場合ではないと判断せざるを得なかった。

 

それだけ中国に気を使わなければならないのである。誘導ミサイル発射も、予告まがいの発表はあったが、自制した。また、金正恩の最重要路線である「並進政策」について、これまでは「核と経済の」と説明していたが、金正恩は「経済と国防の」と表現し、「核」という言葉を使わなかった。これも気配りだ。

 

「われわれの革命的武装力は、アメリカ帝国主義が望むいかなる形の戦争にも対応できる」。米国に対しては、従来のように、挑発には驚かない、いつでも応戦するぞという調子だったが、米国まで届くミサイル、核を持っているなどという具体的な言及はなかった。ここでも「核」という言葉を使わなかったのは、米国への気配りがあったのだろう。

 

また、南北関係では「外部勢力の妨害を粉砕し、民族の悲願祖国統一を」と簡単に触れただけで、韓国を口汚くののしる場面はなかった。離散家族再会をきっかけにした南北関係改善の動きを止めたくないという気配りがみえる。また、米韓首脳会談(10・16)を前に、対北非難の材料を増やしたくないという思惑もありそうだ。

 

あちこちに気配りで迫力不足

 

こう見てくると、これまで「強面」を強調して、独裁者の基盤を固めようとしてきたが、今回の演説では、珍しく「気配り」の大安売りだ。それだけ、外交孤立が深刻ということだ。中国、韓国の様々な支援がなければ、経済の立て直しはできないことを、深刻に認識してのことだろう。しかし、皮肉な見方をすれば、「金正恩らしさ」が見えなかった。迫力がない。

 

軍事パレードも、史上最大といわれるが、衝撃度はさほどではない。一番の目玉は、改良型の大陸間弾道弾「KN08」。射程距離1万2千キロといわれ、2,012年月のパレードに初登場、今回はとがっていた先端が丸くなっていた。朝鮮中央放送は「多様化、小型化した核弾頭を搭載した戦略ロケットが敵の牙城を火の海にする」と紹介した(聯合ニュース)という。このほか、新型の300ミリロケット弾、それにおなじみの「スカッド」「ノドン」「ムスダン」などの短、中距離ロケットも登場した。

 

ただ、金正恩が大喜びして発射実験を視察した(5・9)潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)は姿を見せなかった。また、航空機の編隊飛行はあったが、プロペラ機で、ジェット戦闘機はなし。このほか核マークのついた雑嚢を持った部隊が今回も登場したが、トラックでなく徒歩。規模は、従来以上だったのかもしれないが、迫力の点では期待(?)外れだったか。

 

すでに5回も軍事パレード

 

金正恩は、どうも軍事パレードが好きなようだ。金正恩体制になって、今回で5回目。2012年は2月と4月、13年は7月と9月、そして今回だ。一糸乱れず行進する兵士たちから一斉に敬礼されるのはいかにも心地よいに違いない。しかし、度々やれば、目新しさ、迫力はなくなる。それに、燃料代を含め、経費は膨らむ。

 

「2015年は祖国解放と労働党創立70周年を革命的大慶事として輝かせなければならない」。金正恩は、年頭の辞で大号令を下したが、国威高揚、独裁権力基盤の強化にどれほど効果があったのか。国費や人民や事業所から集めたカネが非生産的な行事に費やされたことだけははっきりしている。

更新日:2022年6月24日