独裁と悪口と肥満と

(2014. 5.13)岡林弘志

 

 よくまあ、これほどの悪口を言えるものだ。北朝鮮の罵詈雑言は日常のことだが、最近の米韓首脳に対する悪口は、これまでにないひどさだ。折から、金正恩第一書記が張成沢処刑のストレスで暴飲暴食、心身の健康を損なったという報道が流れてきた。どうもさまざまな面で常軌を逸している。

 

米大統領に人種差別発言

 

 「オバマを見ていると吐き気ではらわたが煮えくりかえる」「アフリカの原生林に生息するサルの顔そのもの」「意地の悪い真っ黒なサル」(5・2朝鮮中央通信)。中南米のある政権が米大統領をののしったことがあるが、よその元首に対してこれほどの悪口雑言を連発した例は珍しい。米当局者は「非常に醜悪で無礼」と呆れている。

 

 4月下旬にソウルで米韓首脳会談が行われ、北朝鮮の核開発阻止で一致し、オバマ大統領は、あらためて北の核保有を容認しない考えを示した。さらに米韓連合軍司令部を訪れ、兵士らを前に、「米国は同盟国を守るために軍事力行使をためらわない」「米韓同盟は決して揺らぐことはない」と強調した。

 

 また、米韓ではかねて朝鮮半島有事の際の指揮権を米軍から韓国軍へ移行することで合意しているが、今回の会談でその時期の先延ばしが合意された。したがって、これまで通りの米軍の存在が続く。米韓のあらためての結束強化は、北朝鮮がタネをまいたものだが、自分のことは棚に上げて、きりもなく苛立ち、この悪口になったのだろう。

 

 しかしいまどき、人種差別そのものの表現を、官営通信社が流すということに驚かされる。官営だから、権力者のお先棒を担いで情報を発信するのは当たり前ではあるが、金正恩体制の品性のなさを反映している。人種差別発言では、つい最近も米国のバスケチームのオーナーが永久追放されたばかりだ。人権という認識がほとんどない北朝鮮では、人種差別はいけないという常識は通じないのだろう。

 

韓国大統領には女性差別発言

 

 「朴槿恵は同族をそしる悪態のベテラン、スカートをはいた対決狂」「天下にまたとない汚らわしい政治売春婦、事大・売国が骨髄に徹した老いぼれ娼婦」(5・2朝鮮中央通信)。悪口は、同じ日に米韓首脳会談のもう一方の主役である朴槿恵大統領にも向けられた。悪口の常習犯である北朝鮮に「悪態のベテラン」と言われたのは喜ぶべきか。なんともいやはや。女性を売春婦呼ばわりするのは、これも最大級の差別発言だ。

 

 「朴槿恵は南朝鮮を人間が生きられない生き地獄に転換させた墓守の山小屋の女主人」(同)。同じ記事の中でのカーフェリー「セウォル」号沈没事故に関するくだりだ。確かに、この旅客船沈没は韓国社会の病弊の集大成のような事件だが、北朝鮮には言ってほしくない。北朝鮮でもインフラの維持管理の至らなさから多くの交通事故や鉄道事故、海難事故が起きている。問題点は、そのまま北朝鮮にもあてはまる。それに独裁者は、北朝鮮を「人間が生きられない生き地獄に」にしたままだ。ただ、北朝鮮のメディアが報道しないだけだ。

 

 「わが民族同士」――北朝鮮が好む言葉だ。南北間の窓口という祖国平和統一委員会のホームページは「ウリミンジョクキリ(わが民族同士)」と名付けられている。もっともそこで伝えられる内容は「ウリ民族非難」の大合唱、「いがみ合う民族同士」になっている。

 

 世界中がインターネット時代になり、匿名をいいことに悪口が横行している。北朝鮮もそんな風潮に乗り遅れまいとしているのか。悪口なら、こっちが本家だと見本を示しているのか。いずれにしても、国家が人身攻撃、差別のヘイトスピーチのお先棒を担ぐのは何ともおぞましい。

 

 金正恩が世襲で権力を握った当時、スイスなどへ留学した経験から「正恩は西側の空気を吸っている」ことを理由に、改革・開放や人権問題の改善など、期待を込めた予測もあったが、見事に裏切られた。まさに、独裁者のとるべき道をまっすぐに進んでいる。それにしても、このところの米韓首脳に対するこれほどひどく、まさに醜悪な悪口は初めてではないか。あまりに異常だ。

 

処刑のストレスで暴飲暴食?

 

 「金正恩第一書記の体重が120キロに増え、1月から心筋梗塞などの治療を受けている」(5・6)。韓国で北朝鮮向けのラジオ放送を続けている「自由北韓放送」の報道だ。韓国や日本のメディアもこの記事を転電した。肥満、病気の理由は「日ごろの仕事のストレスに加え、昨年12月の張成沢・元国防副委員長の処刑後に精神不安定になり、暴飲暴食やそううつ病が重なった。1月には不眠症も現れた」と、「消息通」が話しているという。

 

 また、自由北韓放送は「金正恩氏は今年1月ごろに突然左手の自由が利かなくなり、毛髪が抜け落ちる症状が出始めたことを担当の医師が発見し、毎週火曜日と金曜日に万寿無疆(マンスムガン)研究所と烽火診療所で定期的に治療を受けているという。北朝鮮当局はこれらのうわさが広まることを警戒し、取り締まりを強化しているようだ」と報じた。

 

 まず、肥満についてだが、確かに朝鮮中央通信の配信写真などをみると、最近の肥り方は異常だった。金正恩は、表舞台に登場したとき100キロ前後といわれた。しかし、最近の写真では、腹はでっぷり、顔もひとまわり、ふたまわりも下膨れが進んだ。あごも二重、三重だ。30歳という年齢からすると、明らかに肥りすぎに見える。

 

 誰でも健康は大事だが、とくに政治指導者の健康は国家運営に直接かかわる。健康を害すると、均衡のとれた情勢分析、判断ができなくなる。したがって、世界中の指導者は健康管理に気を使っている。金正恩の夫人も健康には最大の気配りをしているはずだ。

 

 我がままで、カミさんの言うことを聞かず、贅沢三昧、飽食をしているのかとも思ったが、張成沢処刑のストレスによる暴飲暴食のせい―というのはわかりやすい。それまでの仕事のストレスがたまっていたところに、処刑によるストレスが発病の引き金になった。というのは、十分にありうることだ。

 

張成沢の亡霊が出たか?

 

 独裁者はなんでも言う通りになり、周りにストレスを与えても、自分にストレスがたまることはない。と思われがちだが、むしろ「神御一人」であるために下々の忠誠心に疑心暗鬼になり、米韓演習に神経をとがらす。すべての事柄の判断は自分がしなければならない。ストレスは限りなくある。

 

 まして、叔母の夫で、後見役としてずっとそばにいた人物を自らのサインで、しかも最もむごい形で、あの世へ送ったのである。当座は、取り巻きが「英断です」などとごまをするだろうが、決して後味のいいものではない。眠れない夜があってもおかしくはない。すぐ眠れるよう酒をあおる。あるいは眠られず酒をあおる。ストレスによる「過食」もよくあることだ。

 

 「張成沢氏は処刑され、犬の餌にされたと皆信じているが、私が最後に北朝鮮に行ったとき(今年1月)、張成沢氏はまさに自分の横にいた」。韓国紙の報道によると、金正恩が好きな米国のプロバスケのロッドマンは、米国の月刊ファッション誌『ドゥジュール』(5・5発行)のインタビューにこう答えた。処刑(昨年12・12)後も張成沢が生きているというなら大ニュースだが、北朝鮮もそこまではうそをつかないだろう。恨みを抱いて死んだ者は化けて出る。ロッドマンは亡霊を見たか。

 

 金正恩も夢枕にも、張成沢の「亡霊」が立ち現れるのかもしれない。それなら、暴飲暴食も無理からぬ話だ。こうした精神的に不安定な状態は、無気力になるか、過激になるかのどちらかだ。ヒステリックな米韓非難も、そのあたりが源とも考えればわかりやすい。

 

奇妙な崔龍海の降格

 

 そういえば、崔龍海の更迭もかなり奇妙だ。4月終わりに、金正恩が祖母の名前がついた「金正淑平壌紡織工場」の寄宿舎を現地視察した時だ。随行者に「軍総政治局長」があげられていたが、崔龍海は一緒に行っていなかった。ついて行ったのは、黄炳端・労働党組織指導部副部長ら3人。このため、日韓のメディアは、黄炳端が軍政治局長に昇格と推定したが、数日して証明された。

 

 更迭がはっきりしたのは、その後の江原道元山の海岸にある「国際少年団野営所」の改修開館式(5・2)だった。金正恩が現地視察をした。崔龍海は随行者の4番目に呼ばれたが、肩書は「党書記」だった。北朝鮮では書記でも大したものだが、これまでのナンバー2から落ちたのは間違いない。

 

 崔龍海は、今年に入り金正恩の現地指導への同行回数が激減、2月には粛清説も流れた。しかし、4月の最高人民会議で、代議員に選ばれ、張成沢が就いていた国防委員会副委員長に昇格したばかりだ。それなのに軍の最高ポストである総政治局長は解任された。ところが、副委員長と「党書記」はそのままのようだ。失脚したわけではないので、韓国紙の中には、糖尿病が悪化して、激務に耐えられなくなったという「好意的な」解説もあった。

 

 一方で、総政治局長の最大の任務である軍隊内の思想統制・教育を十分にやらず、金正恩の叱責を受けた。ナンバー2の実力を備えつつあり、金正恩の怒りを買った。という分析もある。独裁者は自らの地位を脅かしかねないナンバー2の存在を許さない。自分以外は、その他大勢でなければならない。

 

 くだんの開館式の様子を伝える朝鮮中央放送の映像を見ると、金正恩は同行していた崔龍海の方を一度も向かなかった。また、崔龍海も緊張した面持ちで、金正恩のそばには行かなかった(5・8中央日報)という。この画像からは、金正恩の怒りを買っての降格は間違いなさそうだ。

 

 それにしても、新人事から一か月もしないのに降格というのは唐突だ。それに中途半端だ。更迭の理由について、北朝鮮メディアは何も報じていないが、先にあげた理由のいくつかが重なったものだろう。病気説以外は、いずれも金正恩の疑心暗鬼から起きたものだ。ストレス加重による神経の不安定を反映した。と考えると、この人事の奇妙さもわかりやすい。

 

またまた干ばつに襲われた

 

 「2月中旬から4月末までの降水量は23.5ミリで平年の3割程度。1982年以来、最も少ない雨量」(5・4朝鮮中央通信)。このところの北朝鮮は、激しい干ばつに襲われている。このため、麦やジャガイモなどの作付が悪化する見通しとみている。北朝鮮のメディアは「被害を徹底的に防ごう」(5・4労働新聞)などと大キャンペーンを展開している。

 

 この干ばつも金正恩のストレスをさらに激しくしそうだ。「人民生活の向上」を最大の公約に掲げ、協同農場や事業所の改革を進めてきた。しかし、干ばつとあっては、農産物の収穫は大きく落ち込む。この干ばつが田植えの5,6月にも続くようだと、再び、餓死者が増える可能性もある。

 

 北朝鮮はよく「首領様の誕生日を祝って二重の虹がかかった」など、天候も指導者のご機嫌を伺うといったたぐいの話を宣伝する。しかし、異常気象には首領様の威力は行き届かないらしい。もっとも、北朝鮮の干ばつ、洪水は、年中行事のようになっているが、その原因は、治山治水をおろそかにしているためだ。それに核・ミサイル開発、金一族の神格化にカネ、もの、人をつぎ込み、最近では、スキー場や遊園地、乗馬クラブなど遊興施設を優先している。自然災害を助長しているのは、農業インフラをおろそかにする独裁体制による人災だ。異常気候でなくとも農業不振は続く。

 

ストレスのタネは尽きない

 

 農業不振による人民の不平不満をそらすには、軍事挑発をして、緊張を高め、「米帝が攻めてくる」と、人民の怒りを外に向けるしかない。北朝鮮の常とう手段だ。となれば、再び、核実験か誘導ミサイル発射か。米韓は「北朝鮮はいつでも核実験をする準備が整っている」とみる。危なっかしいことだ。まして、最高指導者の精神が安定しないとなると。

 

 最高指導者のストレスによる騒ぎは、簡単に収まりそうもない。

更新日:2022年6月24日