語るに落ちた「判決書」
岡林弘志
(2013.12.18)

 

    やはり、張成沢・国防副委員長は、このまま「金正日・金正恩式」を続ければ、この国は滅びると思っていたようだ。そこが金正恩の逆鱗に触れた大きな原因の一つだ。それにしても、労働党の決定から4日目、軍事裁判による死刑判決のその日に執行。30歳の独裁者の残忍さを全世界に知らしめた。同時に、判決文は北朝鮮の経済の危うさを図らずも物語っている。

 

    「私が総理になろうと…」

 

    張成沢が死刑判決を受ける場面の写真は、労働新聞に載り、朝鮮中央テレビでも放映された。当然、世界中にも配信された。衛兵に両脇を抱えられた張成沢は、両手に手錠がかけられ、無理やり頭を下げさせるためか、兵士の一人がうなじを押さえつけている。左目の辺りは黒く変色しているようにも見え、日韓のメディアは拷問の跡とみる。

 

    韓国メディアによると、処刑は銃で行われ、全身に90発ほどが撃ち込まれ、だれかわからないほど、しかも死体は火炎放射機で焼かれ、もちろん墓もつくられない。「犬にも劣る醜悪な人間のクズ」(朝鮮中央通信)の痕跡は一切残さないということだ。

 

    「一定の時期になって、経済が完全に破産し、国家が崩壊寸前になれば…私が総理になろうと思った。これまで確保した莫大な資金で、生活の問題を解決してやれば、人民と軍隊は私の万歳を叫び、政変は順調に成功する」

    張成沢は、北朝鮮の秘密警察である「国家安全保衛部」の特別軍事裁判にかけられた(12・12)。「国家転覆陰謀罪」(刑法60条)により死刑の判決が言いわたされ、「判決は即時、執行された」のである。

 

    「現地指導」随行を悪用

    先の労働党の決定書は、かつての粛清に比べ、異常に長かった。今回の判決文はさらに詳細だ。朝鮮中央通信によると、張成沢は「天下の希代の反逆者、売国奴」「千秋に許せない大逆罪を犯し」「党と革命の敵、人民の敵、極悪な祖国反逆者」である。北朝鮮ではこれ以上ないというほどの悪口雑言を並べ、その理由を縷々説明している。

 

    「張成沢は(金正日)総書記があまりにも突然に逝去すると、以前から抱いていた政権野望を実現するため本格的に策動し始めた」

    そして、「金正恩の現地指導に随行することを悪用して、革命の主導部と肩を並べられる特別の存在であることを国内外に示して、自分に対する幻想を生じさせようと企んだ」のである。なるほど、確かに、張成沢は公式の序列ではせいぜい5位かそのあたりだが、内外からは実力ナンバー2と見られていた。「その幻想を利用して、人を集め、国の全般事業を掌握して…自分の部署を誰も犯せない『小王国』をつくった」。張成沢が長年、部長を務めた労働党行政部のことだ。

 

    経済失政はすべて張成沢のせい

 

    そして、具体的には何をしたか。一つは「神格化事業」の妨害だ。大同江タイル工場に、金日成と金正日のモザイク壁画、現地指導事蹟碑をつくることを止めさせ、人民内務軍指導部が庁舎前に金正恩の親筆書簡を刻んだ石碑を立てようとしたが、敷地の隅の方へ追いやったという。

 

    次は、民生経済への妨害だ。金正恩は人民生活向上のため、内閣を「経済司令部」とするよう指示したが、張成沢の党政治局が「国の重要経済部門をすべて掌握し内閣を無力化」させた。具体的には首都建設の事業を部下に担当させてカネもうけさせるなどして建設を妨害した。また、羅先経済貿易地区の土地の50年使用権を外国に売った。

 

    驚いたのは2009年11月のデノミについてだ。当時、この荒っぽい措置は民心の強い反発を受け、インフレを加速させた。「数千億ウォンの朝鮮通貨を乱発して経済的混乱が起きるようにし、民心が乱れるように背後で繰ったのも張成沢だ」そうだ。この件では、朴南基・党財政計画部長が責任者として公開処刑されたが、そそのかしたのが張成沢だという。

 

    しかし、羅先の借地権もデノミも、金正日のサインがなしにはできない。もし、この判決文の通りだとすれば、金正日は何も分からずに、言われるままにサインをしていたことを物語っている。かつて、金正日は各部門からの書類の内容が競合していてもそのままサインをするため、現場は混乱するという情報があったが、本当だったようだ。

 

    もちろん、この判決文がどこまで本当かは分からない。拷問によって、言わされた部分もあるはずだ。ただ、この判決文を素直に読むと、張成沢はこれまでの経済運営では、「人民の生活が破局的に広がるにもかかわらず、現政権が何の対策も立てることができないという不満を抱く」と思い、神格化事業に反対し、もともと権限の小さい内閣では経済の立て直しができないと判断していた。

 

    とって代わられるのを恐れた

 

    もしそうなら、北朝鮮の実情がよくわかっていたということになる。実際、北朝鮮の民生経済は破たん寸前だ。なぜなら、神格化事業と核・ミサイル開発が最優先され、民生経済にカネ・ヒト・モノが回らないからだ。金正恩が「内閣主導」を指示したところで、神格化、核・ミサイル開発最優先という構造を変えなければ、実情は変わらない。判決文からは、張成沢がそうした独裁体制維持強化の仕組みを何とかしたい、変えたいと思ったと読める。

 

    金正恩はそこに恐怖を感じたのだろう。このままでは人民の不満が高まり、張成沢にとって代わられると恐れた。それほど経済は停滞混乱し、それに対して人民が強い不満を抱いていることを認識しているのだろう。経済がゆるぎない、人民は金正恩の采配で人民生活が向上すると、信じているのなら何も恐れることはない。

 

    この判決文からは、張成沢が建材部も員を中心に、いかに大きな力を持っていたかが分かる。中国への借地権売却も、外貨稼ぎのために金正日が指示してやらせたに違いない。こうした交渉ができたのも張成沢の力である。経済失政のすべての責任を張成沢に押し付けようとして、却って張成沢の実力を浮き彫りにしている。「語るに落ちた」ということだ。

 

    独裁者にとってナンバー2はあってはならない。ナンバー1があって、後はすべてその他大勢、命を投げ出しても独裁者に忠誠を尽くすという体制を求める。北朝鮮の最高規範である「党の唯一指導体系確立の十大原則」は、そのことを明文化して、人民に強いている。

 

    また、張成沢はミサイル発射や核実験にも、中国との関係を考慮して反対したと言われる。しかし、判決文には全く触れられていない。もしそこへ言及すると、周辺国から張成沢への評価が高まることを恐れたのかもしれない。

 

    処刑後の安定誇示に現地指導

 

    張成沢処刑後、金正恩は、立て続けに現地指導に出かけた。平壌を離れて日本海に近い馬息嶺スキー場の建設現場まで出掛けた(12・15朝鮮中央通信)。独裁体制には何の揺るぎもない、平壌をあけても大丈夫なほど安定していることを誇示しているのだろう。

 

    金正日の二回目の命日(12・17)には中央追慕大会が開かれた。これも、金正恩体制が一層強化されたことを誇示する機会になった。ひな壇には、朴奉珠首相、金養建党書記、盧斗哲副首相ら、張成沢人脈と言われる面々もほぼ従来と同じ序列で、顔をそろえた。

 

    朴首相は、先の労働党政治局拡大会議で、涙を流しつつ張成沢糾弾の演説を行った。誤りを反省し、金正恩に命をかけて忠誠を尽くすなら許す。もしもう一度間違ったら今度こそ命がないぞ、というアメとムチの人心掌握術は金正日時代にもあった。助けることで情けと太っ腹なところも示召すことができる。

 

    日韓には、粛清の規模は2‐3万人という予測もあったが、追慕大会のひな壇を見ると、そこまでは行きそうもない。多分、それだけ粛清したら、経済や保安などの実務部門に大きな穴が開いてしまうという事情もありそうだ。これも、張成沢の人脈の広さを裏付けている。

 

    「恐怖」の前に当面静か?

 

    日韓には、さらに張成沢派の抵抗など混乱が起こると、期待も込めて予測する見方もあるが、当面は静かだろう。もの言えば唇寒し。自由なのは“首領様”を讃え崇めること、今なら張成沢をののしることだけだ。人々は、まずは首をすくめて、とばっちりを受けないようにするのが、独裁国で生き残るための知恵だ。独裁体制が恐怖支配を根底とするのはそのためだ。

 

    金正恩の代に変わって、確かに平壌は明るくなった。昨年秋に訪朝したが、服装も色彩豊かになった。ただ、これは十年前、数年前の平壌に比べてのことだ。東南アジアの発展途上国はいずれも経済成長を続け、国力を増している。それらの国々と比較すると、北朝鮮ははるかに遅れている。おそらく首都を走る車の数はいまだに平壌が一番少ない。

 

    金正恩は、金正日時代の経済失政をすべて張成沢のせいにした。改革・開放派と見られた張成沢のあわれ極まる最期を見て、これからしばらく経済再生に不可欠な「改革・開放」を持ちだす意見は出てこないだろう。それで、金正恩の公約である「人民生活の向上」、経済の立て直しはできるのか、少しは生活がよくなるのか。人々は、30歳にして独裁の残忍さの使い方を知った三代目の采配ぶりを、息をひそめて見つめている。

更新日:2022年6月24日