粛清された「目の上のこぶ」
岡林弘志
(2013.12.12)

 

    「オレに逆らったらどうなるか。よーく見ておけ!!」―金正恩第一書記がどなり散らす声が聞こえてくるような粛清劇だった。叔父で実力NO.2だった張成沢国防副委員長は、独裁権力のうまみを知った三代目にとって「目の上のたんこぶ」。いつかはこうなる運命だった。金正恩は、独裁体制の根幹である「恐怖政治」の効力をあらためてかみしめているに違いない。

 

    逮捕・連行の瞬間を人民の眼前に

 

    今年のびっくり大賞だ。これほど衝撃的な場面はそうあるものではない。張成沢逮捕の瞬間の写真は、朝鮮中央テレビで放映され、北朝鮮国内だけでなく、傍受した日韓のメディアによって世界中に流された。朝鮮労働党中央委員会政治局拡大会議(12・8)の会場。権力中枢にいる数百人が見守る中、金正恩が「引っ立てーい!」と言ったかどうかわからないが、会場にいた張成沢は、人民保衛部らしい兵士に両脇を抱えられて椅子から立たされ、引きずられるように連行された。

 

    独裁権力の威力、それに逆らった場合はたとえ親戚でも容赦なく排除する。「革命の中枢を決死擁護」することにそむいた者の行く末を見せつけるためのショーだ。会場の幹部だけでなく、テレビを通じて全人民に知らしめた。これまで数多くの粛清がおこなわれたが、これほど過酷なやり方はなかったに違いない。

 

    ここまで大々的に宣伝したのは、それだけ張成沢が大物だったことを図らずも物語っている。次に述べるように、罪状も詳細多岐にわたり、これほど悪い奴だと言わなければ、人民を説得できないと考えたのだろう。パフォーマンス好きな金正恩が考えそうな見せしめだ。

 

    「最高司令官の命令に従わない」

 

    「張成沢一党は、朝鮮労働党の唯一指導体制を骨抜きにし、分派策動で党に挑戦した反党・反革命的事件」「強盛国家の建設と人民生活向上に莫大な弊害を及ぼす反国家的・反人民的犯罪行為を働いた」。従って「張成沢をすべての職務から解任して一切の称号をはく奪し、党から除名する」

    金正恩が出席して指導し、張成沢も出席させての政治局拡大会議での決定書だ。社会主義国家、独裁国家においてこれ以上はない大罪であることを強調している。

 

    罪状は大きく分けて三つある。一つは「分派活動」だ。「表では党と領袖に従うふりをして、裏では面従腹背の分派的行為」を行った。決定書はその具体的な内容まで列挙している。「自分(張成沢)に対する幻想を抱かせ、自分の周囲に信念がしっかりしない者、おべっか使いを引き寄せて、分派をつくる策動をした」。さらに「かつて処罰を受けた者らを党中央委員会の部署などの幹部に登用して、勢力拡大、地盤を築こうと画策」。そのうえで「朝鮮人民軍最高司令官の命令に従わない反革命的行為をした」というわけだ。

 

    これを裏から読むと、張成沢は、仕事はできるが上司に逆らったなどで冷遇された面々の面倒をよく見たということだろう。しかも、それらの者を幹部に登用したのである。こうした人たちが張成沢を慕うのは当然だ。金正恩の命令より、張成沢の指示に従った。分派活動だ。独裁体制にとって最も重い罪ということになる。張成沢が部長を務め、根城としていた労働党行政部の李龍河・第一副部長、張秀吉・副部長という腹心中の腹心が11月に公開処刑されたのは、このためだ。

 

    経済失政の責任をかぶせる

 

    二番目は、経済利権をあさったということだろう。決定書では「国の経済活動と人民生活向上への莫大な支障」と説明している。「張成沢一党」はその二つの「部門と単位」を掌握し、「内閣や経済指導機関が役割を果たせないようにした」。金正恩は、経済は「内閣中心に」という方針を出した。ただ、現地指導の度に、各事業所に資材などの大盤振る舞いの約束をし、内閣があわてて指示をする。しかし、無い袖は振れない。その責任を「張成沢一党」あるいは行政部にかぶせた。

 

    また、「国の貴重な資源を安値で売り払う売国行為」。「鉱山などの採掘権を中国に売り」とある。要するに中国とのパイプが太い張成沢がこの部門を独占して、カネを自分の懐に入れてしまったと言っているようだ。上納金が足りなかったのだ。

 

    この結果、「チュチェ鉄、チュチェ肥料、チュチェビナロン工業をできなくした」という。北朝鮮は国際的経済制裁のなかで、自国の資源だけでつくるこれらの工業製品を「自立経済」の模範と誇示してきた。金日成、金正日の大号令もあり、無理やり進めてきたが、もともと技術的に無理があり、最近これらの工場はほとんど稼働していないという。この失敗の責任も張成沢になすりつけたのだろう。

 

    「多くの女性と不当な関係」「麻薬と賭博」も

 

    粛清の理由の三番目は、私生活だ。「資本主義生活様式に染まって不正腐敗行為を強行し、腐敗堕落した生活をした」。これだけでは足りないと思ってか、「多くの女性と不当な関係を持ち、高級食堂の裏部屋で飲食三昧に溺れた」とかなり具体的に言及している。何とも生々しい。

 

    高級レストランなどの奥まったところには必ずVIP室があるのだろう。取り巻きを引き連れ、女性を侍らせ、御馳走を並べ立て、どんちゃん騒ぎをしている光景が目に浮かぶようだ。さらには「思想的に病み、麻薬を使い、党の配慮で他国に病気治療に行っている期間、外貨を蕩尽し、とばく場にまで出入りした」という。まさに「腐敗堕落」である。しかし、粛清の理由として、ここまで私生活を暴くのは異例だ。おそらく、張成沢の妻にして、金正恩の叔母である金慶姫に対して「こんな女たらしには見切りをつけろ」と、粛清に反対できないようにするために、わざわざ列挙したのかもしれない。

 

    金正恩の疑心暗鬼を刺激

 

    決定書は、いくつもの粛清の理由を上げている。一言でいえば、金正恩の独裁を危うくする存在は許さないということだ。金正日総書記が亡くなって(11・12・15)、もうじき三回忌。従って、金正恩の治世は2年になる。この間、最高権力者の肩書も整い、おべっかを使う者は引きも切らず、独裁者の持つ権力のすごさを肌で感じるようになった。全国どこへ行っても、人々はひれ伏して下にも置かない歓迎ぶりを見せてくれる。

 

    そうした時、いつまでも叔父面をして、意見をしたり、反対したり、一人威力にひれ伏さない張成沢は邪魔になる。それだけでなく、独裁者にとって、NO2はやがて自らの地位を脅かす存在になりうる。権力の高みに登れば登るほど、疑心は強まる。この点、張成沢は細心の注意を怠ったのではないか。いつだったか、金正恩が出席した党の会議で、張成沢だけが、椅子に深々と腰掛け、金正恩に背を向け続ける場面があった。

 

    こうした傲慢に見える態度は、おべっかを使って金正恩に取り入ろうとする佞臣にとっては、絶好の告げ口の材料だ。忠誠心の証として、他人のあれこれを悪意に捻じ曲げて告げ口する。その結果として、これまでの独裁者、金日成、金正日は、疑心暗鬼を晴らすべく数多くの粛清を行ってきた。独裁の病弊だ。

 

    具体的には何が金正恩を怒らせたか。日本や韓国ではさまざまな憶測が行われている。一つは、金正恩が強硬派にそそのかされて決断した、中国も強く反対した核・ミサイル実験、また開城工業団地の閉鎖などの対韓強硬姿勢に張成沢が反対した。さらに圭ってい所にもある中国相手の外貨稼ぎの利権を独占し、上納金を上げなかったことなどだろう。

 

    「張成沢副委員長、万歳!」が引き金か

 

    もう一つは、人民などの張成沢への期待もありそうだ。北朝鮮からの情報では「張成沢が政治をやれば、我々の生活はよくなる」という期待がかなり広がっていたという。また、中国も「改革・開放派」と見られた張成沢へ期待をかけていた。今年7月、訪朝した李源潮・国家副主席は、金正恩との会談で「張成沢の改革開放政策を参考にすべき」と進言したという。こうした内外の期待が、金正恩の疑心暗鬼をかきたてた可能性は大きい。

 

    粛清の引き金になったのが、張成沢が11月下旬に普通江沿いにある金正日の別荘で開いた宴会とも言われる。側近25人が集まり、健康を祈る言葉とともに、「張成沢万歳!」と叫んだという。北朝鮮では、“神御一人”以外に万歳を捧げてはいけない。これが護衛司令部、国家安全保衛部、もちろん金正恩の耳にも達し、失脚を決定づけた(12・10東京新聞)という。

 

    ただ、一つネックになったのは金慶姫だろう。かねて仲が悪いと言っても夫婦だ。金正恩の側近、あるいは長老の中に、金日成はもともと張成沢と金慶姫との結婚に反対だったと、「ご注進」に及んだ者もいたかもしれない。両者は金日成総合大学の同級生の時に恋愛関係になったが、金日成が張成沢の素行などを理由に反対、張成沢を元山経済大学に強制転校させた。ところが、金慶姫が追いかけて行ってしまったため、金正日がとりなして仕方なく許可したと言われる。ここで、二人を引き離すのは、もともとの祖父の意向にもかなう。粛清の名分にもなりうるというわけだ。

 

    命運尽きた「不死鳥」

張成沢は、金正日時代にも地方に追いやられるなど何回か失脚したが、「不死鳥」のようによみがえってきた。しかし、今回の粛清の罪状を見ると、再起は不可能だ。政治犯収容所で済むかどうか。あるいは公開処刑もありうる。

 

    権力は魔力を持っている。張成沢も金正日という重しがなくなり、若い三代目の後見人になったことで、巨大な権力を持ち、その魅力に取りつかれた。独裁者のNO2として存在するには細心の注意が不可欠だが、それを怠り、身を滅ぼした。連行される直前まで毎日、金正恩あての反省文を書いたとも言われるが、後の祭りだ。

 

    さらに重みを増す「恐怖政治」

 

    片や金正恩は、あらためて独裁権力の威力を味わっているだろう。独裁者の権力は恐怖政治をすることで最も顕著に効果が現れる。というより、恐怖政治は独裁の根幹だ。金正日は30年かけてそのうまみを知ったが、金正恩はわずか3年ほどで、その味を覚えた。それだけに荒っぽい。

 

    すでに金正恩は最高実力者になって以来、公開処刑を統治手法の一つとして採用している。韓国国情院の調べでは、昨年は17件だったが、今年はすでに40件を超えた。今回の粛清で、恐怖政治が極めて有効であることを金正恩は肌で感じたに違いない。

 

    金正日が遺訓によって、金正恩の後見役とした7人(金正日の霊柩車に随伴)のうち、80代の長老2人を除く5人は、すでに失脚させた。いわゆる「遺訓勢力」「金正日勢力」は、ほとんど姿を消した。張成沢がらみの粛清は2万人とも3万人とも予測されている。金正恩の回りは「金正恩勢力」で固められる。

 

    これから、金正恩は夫人を伴って、遊園地やスキー場などへ出向き、人々に笑顔を振りまくなどソフトな面も見せるだろう。しかし、統治の根幹において「恐怖政治」はますます重みを増していく。ブレーキをかける人はいない。

 

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    「現代コリア」主筆の佐藤勝巳さんが逝去されました。心からお悔やみ申し上げます。朝鮮半島を望む大きな羅針盤を失った思いです。長い間、多岐にわたって教えていただいたことを深く、深く感謝します。

更新日:2022年6月24日