ゆがんだ「ジョンウノミクス」

岡林弘志

(2013.8.12)

 

一連の大行事が終わり、北朝鮮は経済立て直しに拍車をかけている。金正恩第一書記も核と経済の「並進路線」の旗を掲げて、走り出したが、どうもしっくりこない。この「ジョンウノミクス」は、核開発の優先度が高く「並進」になっていない。そのうえ、この1年半、「金一族」の追悼と神格化も最優先に進められ、肝心の民生経済再生のかじ取りもおかしい。行く手にはゆがんだ経済構造、財政・経済混迷という父親の「負の遺産」が立ちはだかる。

 

あわてて開城団地の「運用を保障」

 

「中断の事態が再発しないようにし、正常運用を保障する」(8・7)

北朝鮮の祖国平和統一委員会(祖平統)は、開城工業団地の再開と今後の正常操業を保証するとともに、8月14日に実務協議を開くよう韓国側に求めてきた。

 

同時に「工業団地の暫定的中断」(4・8)を解除し、韓国側の立ち入りを全面的に許可し、操業が再開できる工場には北朝鮮従業員を出勤させる、南側人員の安全確保と企業財産の保護――なども明らかにした。

 

あれあれ、北朝鮮は「わが方の最高尊厳を冒涜した」と、操業を中断(4・9)し、北側の提案で7月に6回も南北協議をしたのに、韓国側が再発防止の保障策などを求めたのが気に食わんと、協議を打ち切ったのではなかったか。

 

今回の唐突な操業再開の提案は、韓国統一省が「我慢の限界」と「最後の協議」を提案(8・4)、さらに団地に工場を持つ企業に対して保証金を払うことを決めた(8・7)ことにあわてたからだ。補償金の支払いは、企業が開城での操業を止める代償として支払われ、国家が事業所を所有することになる。これが実行されれば、団地の再開は不可能になる。

 

「ドル箱」は失いたくない

 

いわば、いつも脅す側にいる北朝鮮がうろたえ、韓国側の強硬姿勢に屈した格好だ。操業中断の理由である「最高尊厳の冒涜」について韓国側が釈明したわけでもない。それでも操業再開を提案せざるを得なかったのは、開城団地が「ドル箱」としていかに重みがあるからだ。やはり、開城団地の閉鎖は、北朝鮮にとって大きな損失だ。

 

この団地に関する韓国側の支払いはすべてドルで行われる。団地の使用料や税金、従業員の賃金からの天引きなどで、年間9千万ドル(約90億円)ともいわれ、外貨不足に悩む北朝鮮にとっては貴重な外貨獲得手段だった。操業廃止となれば、主たる収入源である賃金の上前を撥ねることができなくなり、しかも5万3千人もの労働者が失業することになり、人気のチョコパイももらえなくなる。

 

「並進路線」というけれど

 

今回の北朝鮮の対応は、北朝鮮がいかに外貨をほしがっているか、と同時に、ここを止めても他でカバーできるほど民生経済が立ち直っていないことを裏付けている。要するに金正恩の「並進路線」の核武力建設はともかく、もう一つの柱である経済建設はうまくいっていない。

 

核武力建設については、御存じのとおり、昨年の長距離誘導ミサイルの発射(4・13失敗、12・12成功)と今年の第3回核実験(2・12)が行われた。周辺国の反対にもかかわらず、金正恩の威光を示すため最優先で強行された。このためのどれほどのカネが使われたか。

 

昨年3月「朝鮮日報」は、韓国の関係当局の分析をもとに、核・ミサイル開発に使った費用は、30億5千万ドル~31億5千万ドル(1ドル=100円とすると、3050億円~3150億円)と推計した。北朝鮮の財政規模がはっきりしないが、とてつもない額に違いない。その分、経済建設が割を食うのは当然だ。

 

「戦勝記念館」を大々的にリニューアル

 

金正恩の治世になって、もう一つ最優先で行われたのが先々代、先代の神格化だ。金正日総書記の追悼式から始まって、金日成主席の生誕百周年、そして、つい最近の「祖国解放戦争勝利60周年記念」も、金日成がいかに偉かったかの大キャンペーンを中心に派手に行われた。

 

「金日成主席と金正日総書記の戦勝業績と先軍革命業績を末永く伝える勝利伝統教育の中心地」(朝鮮中央通信)

軍事パレードとともに、派手に宣伝されたのが「祖国解放戦争勝利記念館」の全面大改築だった。

 

戦勝館は、平壌の北部の普通江沿岸にあり、筆者も4年前に訪朝した際、案内された。金日成の指揮の下、果敢に戦い勝ったかを誇示してある。おびただしい数の米軍の戦車や車両、大砲などの装備が展示してある。米軍が病原菌をばらまくために投下したというハエ、カ、ダニ、ゴキブリ、魚などがホルマリン漬けで、ズラリ並んでいて驚いた。戦争中に昆虫採集をする余裕はないだろう。

 

圧巻は激戦地のジオラマだ。最大のものは「大田解放作戦大型全景図」と題したもので、ワンフロアー全部を使い周囲132メートル、直径42メートルの円形の巨大な箱庭のあちこちで戦火が上がり、兵士が戦闘を繰り広げている。40人の画家が1年かけて制作したという。また、補給の要地で激戦地だった「鉄嶺大型パノラマ」。これも幅30メートル、奥行き13メートルに険しい山岳地帯が再現され、武器や軍需物資を積んだトラックがしきりに山道を登ったり、下りたりし、戦闘機が飛来して、爆弾を落とすと、爆発音とサイレンがけたたましく鳴り出すというなかなかこったものだ。

 

今回、ここを大幅に改築し、正面入り口ホールに巨大な金日成像を新設、ジオラマもさらに立派にしたらしい。そのうえ、近くにある戦勝記念塔まで広げて一体化し、兵士の雄姿などのモニュメントや「露天兵器展示場」をつくり、この間まで大同江に係留してあった米軍の情報収集艦「プエブロ号」も陸揚げして展示した。一連の大改造・拡張は、金正恩が昨年7月8日に指示したものだ。その後何回か現地指導にも出向き、開館式(7・27)では、当然テープカットを行った。

 

「船頭多くして、船、山を登る」という諺がある。船頭が多いと行き先が定まらずとんでもない方向へ行ってしまうという戒めだ。北朝鮮の場合は「神格化激しく、プエブロ陸に登る」といったところか。神格化のためなら、とてつもないカネや人手を使って船を陸に揚げるのもいとわない。

 

民生経済に冷たい経済構造

 

金正日が亡くなってから、1年9カ月ほど。この間の金正恩の足あとを見ると、目立つのは、核・ミサイル開発と神格化事業だ。繰り返すが、このための費用は巨額に上る。単純に考えても、全体のパイが大きくならない中で、この2部門に湯水の如くカネを注ぎ込めば、一般財政や民生経済にはカネは回らない。

 

もともと、北朝鮮の経済は、財政・民生にはカネが生きにくい構造になっている。よく知られているように、第一経済(一般財政)、第二経済(軍需)、第三経済(独裁統治基金)――の三つに分かれ、優先順位はこの順番の逆。というより、第二と第三は聖域だ。ここへのカネ、モノ、ヒトの投入が最優先される。

 

今回も、こうした構造の下に、金正恩の思うがままに核・ミサイル、神格化を華々しく進めることができたのである。金正恩は「人民生活向上」のため、すべてを「内閣中心に」と指示したが、この異常な構造をそのままに、内閣がいかに頑張っても民生経済には限られたカネしか回ってこないのである。資材についても同様だ。

 

「金正恩第一書記は……千里馬製鋼連合企業所などと連携して、戦勝記念館の建設に必要な資材を生産・確保するといった対策も立てられた」(3・1朝鮮新報)。この記事で分かるように、金正恩が資材をここに回せと指示すれば、最優先に行われる。民生経済を立て直そうとすれば、鉄鋼材はいくらあっても足りない。しかし、最優先事業の前では後に回されるのである。

 

金正日の経済政策はすべて失敗

 

こうしたことを、金日成、金正日の時代からずっと続けてきた。これが、民生経済を滅茶苦茶にした大きな理由の一つだ。しかも、金正日は、金日成生存中に「主席から経済にはかかわるな」と言われたと、自ら告白したことがあるが、もともと経済には疎かった。

 

しかし、最高責任者になればそうもいかない。このままではだめと思ったらしく、2002年7月には「経済管理改善措置」を実施、企業の独立採算制を認め、「チャンマダン」という市場を公認するなどした。このうち、市場だけはあっという間に全国に広がったが、金正日の狙いとは大きく外れ、「市場経済」の横行、統制経済の形骸化という結果を招き、改革も中途半端に終わった。

 

2009年11月30日には、大々的にデノミと通貨交換が行われた。インフレを抑え、市場経済を規制するため、通貨を100対1で交換、新通貨を発行し、しかも新通貨との交換は10万ウォンまでとした。それ以上のカネは紙くずとなるため、住民の反発は強く、上限を緩めざるを得なかった。

 

しかし、これによって、インフレはかえって激しくなり、外貨交換率はウナギ登り、統制もより利かなくなった。大失敗だったのである。金正日の経済政策はすべて失敗に終わり、ハイパーインフレを招き、自国通貨は紙くず同然、中国による経済支配を強める結果を残した。スローガンとして「強盛大国」を掲げたが、「経済大国」は大失敗、晩年になって「人民生活の向上」をスローガンに掲げたが、小手先でどうにかなる段階はとうに過ぎていた。「先軍政治」は経済活性化とは相いれない。

 

「負の遺産」は「反面教師」だが

 

金正恩にとって、この「負の遺産」は重い。先代のように「改革・開放」に背を向けて、社会主義経済を摸した「ウリ式」にこだわる限り、経済再生はあり得ない。金正恩にとって、まさに「反面教師」である。

 

しかし、金正恩の民生経済に対する采配を見ると、あくまでも「社会主義経済」「ウリ式」にこだわり、「改革・開放」への兆しは見えない。このため、根本的な立て直しには限界があることを知ってか、スキー場や乗馬クラブ、公演や遊園地など、「人民生活」の根幹、衣食住から外れた部門での現地指導に力を入れているように見える。後見役は何をしているのだろう。

 

「ウリ式」で改善はできるか

 

金正恩も金正日の遺訓である「人民生活の向上」は時々口にし、「並進路線」の経済建設について、先に述べたように「内閣中心で」行うよう指示した。今年3月の労働党中央委全員会議では「ウリ式の経済管理方法」を研究、完成することが重要課題として示された。どの程度進んでいるか。少し古いが、「朝鮮新報」に興味深い記事があった。

 

「現場では、社会主義経済分配の原則に即して、自分が稼いだ分だけ正確に分配されるシステムをしっかり運営する」(5・17朝鮮新報)。「ウリ式経済管理方法の完成を」という見出しのこの記事では、内閣事務局のキム・ギチョル副部長の言葉を引用して、「改善」の現状を紹介している。

 

昨年六月には、企業や農民らの取り分を増やすなどの「改善措置」が実施されたという情報があった。この記事でも「国の計画を達成した農場で現物分配が実施され、工場、企業所で働いた分、稼いだ分に見合った分配ができるような方法を研究し、一部で導入された」という。

 

そこでは「計画を超過する分が多ければ多いほど、生産単位に与えられる分が多くなり、国に入る分も多くなる」という仕組みで、「労働意欲をかきたてている」という。しかし、タネの質が悪く、肥料不足、農機具が不十分な中で、ノルマを果たすのは、そう簡単ではなさそうだ。しかも「新たな措置が一部で試験的に実施されている」にすぎない。

 

そのうえで、副部長は改善措置を完成させるには「生産計画、価格調整、貨幣流通などさまざまな問題を解決しなければならない」と多くの課題があることを明らかにしている。超インフレ、物資不足、そのうえ賄賂の横行の中での「改善」は容易ではない。さらには、いびつな経済構造という高い壁も立ちふさがる。

 

手作業で巨大スキー場建設の矛盾

 

つい最近、「馬息嶺スキー場」建設の現地の模様を写した北朝鮮テレビの映像が、日本のテレビで紹介された。印象に残ったのは、数多くの兵士が大型の水筒を背負って、汗だくになって山を登っていく姿だ。この水はセメントを混ぜるのに使う。おそらく、リフトの土台などゲレンデの上の方に必要な施設作りに使うのだろう。

 

コンクリートをつくるのに、水を人力で運ばなければならない段階の経済に、スキー場は相応しくない。こうした労力が、食糧生産などに使われれば、食糧事情は大幅に改善される。また、こうした労力と資材を、インフラ整備に回せば、経済再生にどれほど足しになるかしれない。この映像は、北朝鮮のカネ、モノ、ヒトがまともな部門に使われていなことを象徴している。

 

あらためて、核・ミサイル開発と神格化事業を聖域とする経済構造が続く限り、金正恩がいかに声高に「人民生活向上」を叫んでも、むなしく、馬息嶺にこだまするだけ、と思わせる。

更新日:2022年6月24日