◎北朝鮮のぞき見⑤

平壌駅前は北の「ショウウインドウ」

岡林 弘志

(2012.10.26)

 

 

 平壌駅前は、朝夕多くの人々が行き交い、にぎやかだ。案内人から単独行動はしないよう言われていたが、私は朝の散歩が日課になっているため、朝早くホテル近くの平壌駅のあたりを歩いた。そこには、お仕着せの見学では見ることができない北朝鮮のいくつかの“表情”を垣間見ることができた。

 

 駅舎正面の肖像画も二人に

 

 平壌駅は、平壌市のほぼ中央にあり、文字通り北朝鮮の中央駅である。駅舎は地上三階地下1階の石造り、中央の屋上に六角形の3段重ねの低い塔が立つ独特の姿をしていて、遠くからでもすぐ分かる。日本の植民地時代に造られたが、朝鮮戦争で破壊された。戦後、ソ連の援助で建てられたもので、正面入り口はアーチ形など「スターリン様式」ともいわれるしゃれた造りである。

 

 駅舎中央の六角塔の正面には、金日成主席と金正日総書記の、やはりほほ笑んだ肖像画が掛けられている。昨年まで、金日成一人だったが、最近二人になった。

 

 向って右側屋上には「栄光ある朝鮮労働党万歳!」のスローガン、左側には「偉大な領導者金正恩同志万歳!」とある。左側は昨年までは「金日成同志!」だったが、今年になって金正日を飛ばして、一気に金正恩に付け替えられた。この駅は、平壌の玄関口であるため、三代世襲が一目でわかるようになっている。

 

 通勤者と地方の人たちとの服装は大違い

 

 午前7時―。駅前広場は、平壌発の列車を待つ大勢の人たちが、立ったり、しゃがんだりしてにぎやかだ。5,6人の家族連れや人民服の男だけの20人ほどの団体、また、兵士の団体、私服だがなぜか軍帽をかぶった女性だけの30人ほどの団体など、ほとんどが大きなカバンや荷物をもっている。その傍らを、大きな荷物を紐で背中に結えて背負った2,3人連れの男や女が足早に通り過ぎる。

 

 また、広場の一角に座りこんで、車座になり朝飯を食べているグループがいる。トウモロコシをかじっている人や、何やら団子のようなものを口にしている人も。少しのぞいたが、おにぎりなどコメのものは見当たらなかった。朝早く、ここで飯を食うということは、徹夜をしたか長い間列車を待っているに違いない。中には、大あくびをしたり、いかにも待ちくたびれたという顔つきだ。

 

 こうした人たちの横を、通勤者、通学者の群れが引きも切らずに行き交う。平壌駅や隣接する地下鉄栄光駅を降りて、職場に向かい、あるいは近くのアパートから電車や地下鉄に乗るためだ。平壌の中心部に勤めたり、住んだりできるのは、選ばれた階級の人たちに違いない。背広にネクタイも多いし、若い女性は色鮮やかな服装をし、子どももこざっぱりした制服を着ている(第1回を参照)

 

 しばらく眺めていたが、平壌と地方の人たちの服装の差は歴然としている。地方から人たちが野暮ったいのは仕方がないにしても、明らかに生地の質が違うし、着古したことが一目でわかる服も多く、男性は人民服かジャンパー、女性は地味な色合いのシャツに黒いズボンなどそれぞれ似たようなものを着ている。平壌と地方の経済格差の標本を見るようだ。

 

 広場の一角には、売店がある。全体が楕円形で正面はプラスチックで中が見えるようになっている。それぞれの店には「トウモロコシ」「ビール、ジュース」「エスキモー(アイスクリームのこと)」「タイ焼き」などと書かれ、しゃれた絵がそえられている。ただし、この時間には営業していなかった。(帰国して聞いたところ、これは在日朝鮮人が何かの行事の時、持って行って置いてきたものだという)

 

 他の売店は営業していたが、「ノリ巻き2500ウォン」「キャンディ12500ウォン」などの値段が書いてある。普通の勤労者の月収は5000ウォン前後のようで、この物価は非常に高い。買っている人は見かけなかった(インフレについては後で書く予定)

 

 駅前でも「ポッタリチャンサ」

 

 驚いたのは、こうした人たちの中を回って商売をしている人がいることだ。見かけたのは、まずは、パン売りのハルモニ(おばあさん)。右手に持った透明のビニール袋に入ったパン1個を行き交う人に見せ、声をかけている。左手の手提げ袋には10個ほど入っているようだ。

 

 また、若い女性が飲料水のペットボトルを一杯入れたデイバッグの口を開けて、しゃがんでいた。しばらく見ていると、やはり通りかかる人に「買ってください」と声をかけている。また、スポーツバッグ1個、黒の大きいビニール袋2個を持ったアジュモニ(おばさん)は、ヒトが集まっているところへ行って、袋を開けて「買わないか」と声をかけた。袋の中は本がぎっしり詰まっていた。いわゆるポッタリチャンサ(風呂敷商売)だ。

 

 なお、4月に訪朝した京都からの友好団体は行動の自由が許されたそうで、その一員が平壌駅裏で撮った写真をインターネットで紹介している。4人のおばちゃんが道路で風呂敷を広げて、衣料や小間物らしいものを売っている。

 

 北朝鮮に「市場」が広がって10年ほど経つ。平壌市内にも体育館のような公認の市場がある。われわれ訪朝団はしつこく見学を要請したが、見せてくれなかった。しかし、市場は北朝鮮の人々にとってなくてはならないものになっている。

 

 配給が頼りにならない現状では、自らがモノの売り買いをしないことには生きていけない。それが公認されたところ以外でも行われている。いわゆるヤミだ。平壌の駅周辺でも行われるようになった。「市場化」があらゆるところに及んでいる実例だろう。

 

 統制が緩んだか

 

 もう一つ、驚いたのは駅前で浮浪児を見かけたことだ。二人連れの子どもは、頭の毛はぼさぼさ、顔色は悪く、服は垢じみている。しばらくすると、さらに二人が駅舎の地下から出てきて、列車待ちの人たちが食った後の袋や包み紙をあさって、食べ物を探している。

 

 かつてアジアプレスが隠しビデオで撮影し紹介した「コッチェビ」だ。いずれも地方の市場だった。何回かの訪朝経験者に話すと、平壌駅は非常に警戒が厳しいはずで、これまで浮浪児は見たことがないという。

 

 平壌駅前のビルの屋上には、「朝鮮の心臓 平壌」というスローガンがある。平壌は「革命の首都」であり、平壌駅はその平壌の玄関口だ。従って、制服の兵隊や女性の社会安全員が四六時中、警戒に当たっている。

 

 それなのに、モノ売りや浮浪児がいるということは、統制が緩んできたのか。浮浪児の存在は哀れだが、もしそうなら人々にとってはわずかながら歓迎すべきことだろう。

 

 列車の発着は一日34本

 

 せっかく駅前まで行ったのだからと思い、中央の入り口から中へ入ってみた。入口近くに制服の兵士、中には水色のスカート、白の上着の制服、制帽をつけた女性の社会安全員が立っている。地味な服装をしていたせいか、特にとがめられることもなくしばらく見学した。

 

 構内は、割合狭い円形の空間で、薄暗い。切符売り場と小さい売店があり、正面の壁に電光掲示の時刻表がある。縦1・5m、横3mほどで、あまり大きくない。7,8人が入れ替わり立ち替わり、前に立って眺めている。

 

 電光掲示板の向って左側は、発着列車の時刻表で、5,6本ずつ次々と出てくる。しばらく、眺めていたが、まず1~24までの通し番号の列車、続いて3ケタの数字が付いた列車10本、これには「通勤列車」「観光列車」などと書いてある。合わせると、一日34本の列車が発着していることが分かる。これが繰り返し表示される。

 

 平壌駅を起点とする路線は、平義線(新義州)、平南線(南浦)、平釜線(開城)、平羅線(羅津)の4本、それに平徳線(大同江―平安北道球場)も全列車が平壌駅に乗り入れている。

 

 要するに5つの主要路線を合わせた発着列車が34本。発車は半分の17本だ。約1時間半に1本しか出ていかない勘定になる。電光掲示板で見る限り、最重要拠点でこの数というのは、いかに鉄道輸送が少ないかかがよくわかる。

 

 「戻り次第出発します」

 

 また、電光掲示板の右半分には各列車の運行状況が次々と表示される。表現の仕方は4通りある。1つ目は「定時間に出発します」。2つ目は「○○駅を出発しました」。ユニークなのは3つ目で、「○○時になればわかります」。さらにユニークなのは4つ目の「戻り次第出ます(トラワヤ、カムニダ)」

 

 要するに、列車が平壌駅に到着したら、折り返し運行するので、到着まで待て、ということだ。非常にわかりやすいが、これでは何時になるかわからない。また、3番目も出発時間が分かっても、それからしばらく待たされるのだろう。メモをしなかったので、正確ではないが、「定時間」というのは数本だったと思う。駅前広場に、徹夜で待たされた乗客がいる理由が分かる。

 

 線路の保線が不十分、客車の絶対数が少ないなどの事情があるのだろうが、いかに鉄道事情が困難か、鉄道にかかわるインフラ整備が遅れているかが、この電光掲示板によく現れている。

 

 平壌駅は、首都の玄関だけあり、いろいろなことをちらっと見せてくれるショウウインドウだ。       (続く)

平壌駅の正面

地方に帰るため列車を待つ人々・その1


列車を待つ人々・その2

平壌駅前広場の一角にあるポップコーンの屋台


列車を待つ人たちにバッグや袋の中の本を売るアジュマ=平壌駅前

駅前を行き来する人たちに飲料水(?)などを売る若い女性=平壌駅前


更新日:2022年6月24日