さようなら「数は力」の小沢一郎

岡林弘志

(2012.7.4)

 

「数は力」――政界処世術のうち、この部分だけが異常に膨らんだ局部肥大症――今年70歳の小沢一郎という政治家を一言でいうと、こんな印象をうける。自民党を離党してから20年近く。権力争いの真ん中にいて、新党結成、政権奪取、離脱、新党……。あわただしく離合集散を繰り返し、「政治改革」を言い続けてきた。しかし、政治は混乱、低迷を続けている。もういいよ。

 

マニフェスト違反というが

 

「国民との約束を守る」「国民の生活第一」「国民を守る政治家としての使命」。

今回の小沢の民主党離党(7・2)は、野田政権が進める消費税増税はマニフェスト違反というのが大義名分だ。立派なものだ。

 

民主政権がマニフェストの多くを反故にしつつあるのは間違いない。しかし、この民主党は小沢らが作り出し、代表、幹事長も経験し、その中で100人もの最大勢力を誇っていた。

 

鳩山政権での幹事長の時は、大変な力を発揮した。マニフェストにあった高速道路全面無料化や自動車加算税を反故にしたのは小沢ではなかったか。党内手続きは無視した「鶴の一声」。民主政権のマニフェスト違反はここから始まる。

 

その後「カネの問題」で辞任し、やがて起訴されてからは「謹慎中」と言いながらも、数の力を使って、党内に影響力を及ぼしてきた。

ただ、「3・11」東日本大震災後、地元の岩手県も大きな被害を受けたが、災害復旧、復興政策を立案、実行するうえで、影響力を行使した痕跡はない。

 

政治家の一番の出番のはずだが、外に向かって発言したこともない。今回、小沢の離婚騒動で、奥さんの手紙が公になったが、原発の放射能を極度に恐れ、地元へ顔を見せなかったという。わかりやすい説明だ。

 

小沢は、せっかく実現した政権の中枢にもあったが、その政権で、この国をどうしようとしたのか、また、財政などの無駄を抑えて16・8兆円の新規財源を作るとマニフェストに掲げたが、そのために何をしたのか。思い出すことはできない。

 

見えなくなった改革後の国家像

 

小沢が国会議員になってから40年余。政権党であった自民党でも多くの要職を経験した。それ以来、「政治改革」を唱えてきたことは印象に残っている。それでは、改革によって、この国をどうしようとしたのか。

 

かつて、小沢は国民の自己責任を強調して、「小さな政府」、言葉を換えてれば、大幅に規制緩和を進めて自由を幅広く認めるいわゆる「新自由主義」らしきを唱えていたと思う。「日本改造計画」(93年)である。

 

しかし、小沢が政権を目指して練り上げた07年参院選の公約。民主党が圧勝した09年衆院選のマニフェスト。いずれも公共サービスの無料化、福祉政策のばらまきなど、「きりもなく大きな政府」を目指す政策の羅列だ。

 

小沢が必要なのは「頭数」

 

選挙に勝つためには何でもする。ご都合主義、ポピュリズム(大衆迎合主義)である。もともと、小沢の一貫した政界処世術である「数は力」は、ポピュリズムになりやすい。負担をお願いするのでなく、耳触りのいいことを並べたくなる。その意味で、前の参院選、総選挙は、小沢処世術の集大成だった。

 

勝つためには恥も外聞もない。候補者は、毎日数万人に名刺を配り、両手で握手をしろ。有権者がいたら、車を降り走って行って90度に腰を曲げて頭を下げろ。秘書団を大量に各選挙区に派遣し、いわゆる「どぶ板選挙」を徹底させた。一方で、地域の業界や各種の団体に、圧力をかける。

 

花より団子。政策より有権者の優越感、同情をくすぐる戦術だ。政策は、ばらまき政策てんこ盛りのマニフェストに書いてある。候補者が政見や自分なりの政策を説くのは、むしろ邪魔だったに違いない。

 

このため、百人近い「小沢チルドレン」が誕生した。新人たちは、初めて国会の門をくぐった時、これで国政に参与できる、この国が少しでも良くなるために活躍したい。使命感に胸をふくらましていたに違いない。

 

なによりも、各議員はそれぞれ各選挙区の代表だ。小選挙区ではたった一人の国政の場での代表である。新人、ベテランの差はなく、全議員一人ひとりが国民の重い負託を受けている。

 

しかし小沢は、新人に政策への関与を禁じた。地元に張り付き、早くも次の選挙に備えるよう指示した。このやり方は、さすがに反発、批判が強く、やがて撤回された。ここに小沢の「数」に対する考えの基本が現れている。国会議員といっても、小沢にとっては「頭数」でしかないということだ。

 

「マニフェスト」も方便

 

また、マニフェストも票集めの方便でしかなかった。先にもふれたが、幹事長時代に簡単に人気のあった高速無料化などを取り下げたことでよくわかる。ところが、消費増税については、マニフェスト違反を糾弾してやまない。自分の思う通りにならない野田政権追い落としには効果的に使えるとみて、マニフェストを大上段に振り上げている。これもご都合主義だ。

 

民主党政権を弁護する気はないが、もともと「マニフェスト」を金科玉条とするのには違和感を覚える。政権についた際の政策の優先順位と行程表をしめしたものだ。これが絶対的なものというなら、国会は無用だ。国会審議の意味がなくなる。

 

政府や議員が政策を法案にして国会に提出し、与野党で論議して、必要なら修正して、国家・国民のための政策に練り上げていく。このために国会はあり、国会議員がいる。また、世の中は変わる。「3・11」のような大災害も起きるし、経済危機もある。その場合、公約はむしろ変えなければならない。

 

かつては消費税10%を主張

 

小沢は、今回の消費税値上げ法案をマニフェスト違反と非難して脱党したが、消費税の在り方そのものについては、発言していない。かつては「消費税10%」を主張していた。7%の「国民福祉税」を仕掛けたこともある。その当時に比べ財政事情ははるかに悪化している。

 

民主党になってからは、消費増税反対のようだが、小沢がいう無駄削減、新財源はどうも絵に描いた餅だ。もしできるなら幹事長の時にやるべき、少なくとも具体策を立てるべきだった。

 

急務である財政再建をどうするのか。小沢ほどの政治家なら対案を示してしかるべきだ。基本の問題に答えないまま批判するのは、ただのいちゃもんにすぎない。

 

先生は田中角栄だが

 

小沢は、「数は力」を田中角栄から学んだ。田中は小沢が死んだ息子と歳格好が似ていたこともあって可愛がった。その田中は、とにかく数を集めるために、2世やタレントを多数起用し、国会議員が死んだ場合は妻や息子を出させて「弔い合戦」をやらせた。「万単位の握手戦術」はこの時からだ。政策よりもブルドーザーのように動き回る候補者を集めた。

 

こうして獲得した「数」を元にして、政官業の三角連携を作り、「利益誘導政治」を確立した。ここから生まれる「カネと票」でさらに頭数を増やし…という仕組みを作り上げた。そして「数は力」を背景に、政権にあった自民党を牛耳り、刑事被告人になった後も、キングメーカーであり続けた。

 

田中は毀誉褒貶相半ばする政治家だ。長所は、他派閥や野党にまで気配りする懐の深さ、官僚が田中のために働きたくなるような人心掌握術を持っていた。それに明るさと、良くも悪くも土着性を持っていた。それが今も続く人気の源泉だ。

 

「数」は「数」でしかない

 

しかし、小沢はこうした田中の魅力を受け継がなかったようだ。小沢にとって「数」はあくまでも「数」でしかない。必要なのは同志ではなく、小沢の言う通りに動く従順な「陣笠」だった。一人一人の政治家を信頼することはなかった。

 

従って、小沢に忠告、進言をする人材はむしろ忌み嫌った。多くの小沢側近といわれた政治家が離れて行ったことでよくわかる。当然、周りに残ったのはイエスマンばかりだ。

 

確かに、政治、議会は「数」がモノを言う。ただ小沢のように排除の論理を先立たせる政治家というのは矛盾だ。小沢はそれを選挙戦術とカネ、時に陰で行使する圧力、剛腕で補ってきた。それが「大物」と思わせる一つの要因になった。 

 

しかし、議員を「数」としてしか認めない小沢流に気が付いた何人かは、小沢から離れて行った。今回、百人とも言われた小沢グループのうちついて行ったのは48人という数字に表れている。

 

結局、小沢は田中の真似をしたようで、ごく一部それもいびつな形でしか真似ることが出来なかった。そして、いつの間にか「数」が目標になり、「数の力」でどんな政治をやるか、この国をどうするかという本来の目的がおろそかになってしまった。「数は力」に溺れた。

 

何のための「政治改革」

 

また、長年唱えてきた「政治改革」は何だったのか。そのために新党を作り、政権奪取に掛けたはずだ。ところがしばらくすると、その枠組みを飛び出し、あるいは壊した。

 

一つの集団があれば、様々な意見がある。しかし、小沢は自分の思う通りにならないと、とたんに嫌気がさすようだ。それをマスコミが面白おかしく書いて、存在を大きく見せてくれる。

 

いま、政界はますます混迷している。小沢の足跡をみると、政権を握り、参画するため、「数」を最優先にして、政策や理念を二の次にしてきたことがよくわかる。結果としてみると、「政治改革」も権力争いの道具でしかなかった。改革はあくまでも手段であるはずだ。肝心の目的に据えるべき国家像はよくわからない。

 

小沢は近く新党をつくるという。「反消費税」「反原発」をスローガンにするようだが、選挙に勝つための方便。それを見透かされて「小沢新党」への期待は低い。

「信なくば立たず」というが、人間に対する不信が基本にある政治は混乱を招くだけだ。ご苦労さんでした。

更新日:2022年6月24日