止まらない「集団ヒステリー」

岡林弘志

(2012. 5.10)

 

よくまあ、これだけ悪口を言えるものだと思う。公用メディアを使い、労働党や軍だけでなく、国民まで動員しての「ネズミ」呼ばわりの韓国大統領非難は、激しくなる一方。「集団ヒステリー」か。権力世襲をしたばかりで、基盤強化に利用するなどの思惑もあるのだろうが、隣国非難がその有力な手段という国のあり方は、悲しくも疎ましい。

 

メディアを総動員して「ネズミ」非難

 

「品性下劣」――北朝鮮による李明博大統領非難のテレビニュースを見ての知り合いの感想だ。朝鮮中央通信、朝鮮中央テレビ、労働新聞などの報道内容を紹介したようで、「いまどきこんな国があるのか」と、正直驚いた顔つきだった。

 

長年、北朝鮮を見ていると、罵詈雑言は日常茶飯事なので、また始まったかと慣れっこになっている。しかし、常識で考えれば、北の対韓非難は異常だ。とくに、今年に入ってからの、李明博非難はあまりに異常で、長く続く。同族とはいえ、隣の国の為政者にこれだけ罵詈雑言を浴びせるのは、一つは品性の問題でもある。

 

「ネズミ李明博の群れの息の根を止めよう!」「報復の砲火を浴びせよう!「この世から跡かたもなく掃滅しよう!」――朝鮮中央通信の電子版にはこんなテロップが、繰り返し流されている。また、似顔絵を使った非難ポスターも出回っているようだ。

 

各メディアや各界各層の組織などは、金正恩第一書記に対する忠誠競争をするように、非難合戦を続けている。

「李明博逆徒は同族対決を体質とする極悪な反逆集団」「逆賊一味をタネも残さず無慈悲に掃滅して挑発の本拠地を完全に焦土化するであろう」(5・4労働新聞)「わが軍隊と人民は李明博一味を一掃する」(5・7同)

 

「南南葛藤」拡大を狙う

 

このところ目立つのは、韓国内部の対立、いわゆる「南南葛藤」をあおる内容の声明だ。

「腐りに腐ったネズミの群れを一刻でも早く追い出してこそ、わが国の領土がきれいになるであろう」(5・5朝鮮中央通信)

李明博の親戚や側近が不正腐敗を働いたという韓国の報道を材料に、そうした政権を一日も早く退陣させるよう韓国人に迫っている。

 

こんなのもある。祖国統一汎民族連合(汎民連)の南側本部というところが5月1日に声明と出したという(5・4中央通信)。

「北の大国葬と太陽節大祝祭を契機にあえて最高の尊厳をはなはだしく中傷、冒涜した李明博『政権』を労働者の鉄拳で粉砕してやる」

 

韓国内部からも、李明博非難が激しく湧きあがっていることを強調しているのだろう。北では使わない「政権」という言葉をカッコ付きではあるが、そのまま使い、いかにも韓国内の組織に見せかけたあたりは、みえすいている。南北にわたる民族組織というのを作り上げて、その韓国側組織が政権を非難というのは、これまでも北朝鮮がよく使ってきた手だ。

 

大統領選にらみ行け行けどんどん

 

今年の対韓非難は、4月の総選挙、12月の大統領選挙をにらんで、対北融和勢力の拡大が大きな目的の一つだ。総選挙では、野党勢力が優勢という予想は実現しなかったが、親北勢力は大幅に議席を増やした。

 

次の目標、大統領選挙の候補予定の顔ぶれをみると、与党セヌリ党の有力候補、朴槿恵議員を含め、李明博政権よりも対北融和傾向が強い。野党候補は言うまでもない。北にとっては、行け行けどんどんだ。韓国の世論を混乱させ、親北勢力からの大統領選出を目標に、対韓非難を強化しているのだろう。

 

しかし、今回の野党の議席増は、現政権の格差拡大、財閥優遇とみられた政策への批判の反映という側面が大きい。北朝鮮に対しては、先の延坪島砲撃などでむしろ厳しくなっている。それに加えて、えげつなく、時に火薬のにおいがするような言葉の連発は、かえって北への警戒心を引き起こすのではないか。

 

悪口合戦は忠誠競争と裏表

 

これまで、北朝鮮は韓国の選挙の度に「北風」を吹かせたが、ほとんど効果はなかった。逆効果の場合の方が多い。しかし、北の対韓非難は止まらない。というよりむしろエスカレートしている。これが独裁体制、忠誠競争のむなしいところだ。

 

北で「非難は逆効果だから止めよう」とでも言えば、「南を甘やかすのか。忠誠心が足りない」と文句をつけられ、発言者は失脚するのが関の山だ。生き残り、出世するためには、忠誠心の証明するより過激な言動をとる必要がある。

 

論争においては、現実と関わりなく、必ずより強硬な意見が勝つ。現実を離れた方が論理的に筋を通すことができる。北朝鮮が周辺国の警告を無視して、これまで、核武装に走り、外交で孤立して、民生経済を衰退させたのは、その積み重ねである。

 

直ちに「特別行動」と宣言したが

 

悪口雑言はともかく、問題は北朝鮮が仰々しく宣言した「特別行動」だ。この用語は初めてではないか。4月23日に人民軍最高司令部の「特別作戦小組」というところが「革命武力の特別行動が直ちに開始される」と通告した。

 

これを放送した朝鮮中央放送の女性アナウンサーは、おどろおどろしさを強調するあまり声を張り上げ、今にも頭に血が上って卒倒するのではないかというほどの勢いだった。

 

内容は李明博や保守系メディアを名指しし「始まれば3~4分、それより短い時間で、ネズミ集団と挑発の根源を焦土化するであろう」という。「ただち」といっているので、韓国はかなり緊張を強いられた。また、人民軍創建80周年の中央報告大会(4・25)でも「報復の聖戦」を宣言している。

 

GPSに対して妨害電波

 

しかし、今のところ「特別行動」と言えるような軍事挑発は起きていない。ただ、4月28日からソウルや仁川付近に対して衛星利用測位システム(GPS)に対する妨害電波が発信されている。これまでに670機ほどの航空機と180隻ほどの船舶で、障害が発生した。

 

これらのGPSによる位置測定は予備的に使われており、実際の運行に支障はないようだが、韓国当局は、妨害電波は開城付近から発信されたと断定、国際機関を通じて北に直ちに中止するよう抗議する。

北朝鮮は昨年、一昨年にも、米韓合同軍事演習が行われる前に、妨害電波を出したことがあり、「特別行動」とは言い難い。

 

また、人民軍は「特別行動」の対象として、「李明博逆徒」と東亜日報やKBS、MBC、YTNなどの「保守メディア」をあげている。さらに、労働新聞は東亜日報、世界日報、文化日報を「復讐戦の最初の標的」(5・6)と名指ししており、今回の妨害電波の対象にはなっていない。

 

韓国の聯合ニュース(5・7)によると、対外向けラジオ放送、平壌放送は7日「すでに通告は済ませており、実践だけが残っている」と報じた。となると、「特別行動」はまだこれからだ。いずれにしても物騒なことだが、韓国としては備えるしかない。

 

韓国側は、北の挑発的を念頭に置いて、例年行われる米韓空軍合同演習(今年は5月7‐18日)の規模を拡大した。F16、F15Kなどの戦闘機60機が参加、過去最大だ。

 

「言うことを聞かないのは悪い子」

 

「北に対して、ミサイルに掛けるおカネを子どもやお年寄りのために使うよう言っているのだが、言うことを聞かない。言うことを聞かない子どもは悪い子ではないか」。李明博は、子どもの日に青瓦台を訪ねてきた小学生に話して聞かせた。

 

罵詈雑言に対してまともに相手をするのはばからしい。非難の応酬は、同じ程度の者同士が行うことだ。まともに相手をする対象ではない。言葉の上では、軽くいなすしかないのだろう。

 

李明博政権の任期は来年2月までだ。北朝鮮はカネやモノをくれないこの政権を相手にしないと決めているようだ。これから半年以上も罵詈雑言を浴びせ続けるつもりだろうか。北の勝手だが、国際的に軽蔑の度合いが強まるのは間違いない。

更新日:2022年6月24日