◎万犬吠えるがごとき対韓非難

岡林弘志

(2012. 3.16)

 

北朝鮮が対韓国非難というか李明博批判を大々的に展開している。米韓合同軍事演習に加え、韓国軍部隊内で金正日、金正恩を侮辱する行為があったというのがその理由だ。それにしても連日の騒ぎは尋常ではない。対韓非難によって緊張を高めることで、権力後継体制を固め、同時に韓国の総選挙、大統領選挙に揺さぶりをかける狙いが見え見えだ。

 

金正日、正恩「冒涜」報道がきっかけ

 

「李明博逆徒一味はまたもや許しがたい大逆罪をおかした」「逆賊一味を埋葬するため朝鮮式聖戦を無差別に展開する」

3月2日に出した人民軍最高司令部の声明は激しい。「我々の最高の尊厳」すなわち金親子に対する「露骨な中傷、冒涜行為」があったからという。

 

具体的には「仁川市に駐屯する軍部隊の壁などに白頭山の絶世の偉人たちの肖像画を勝手に掲げ、その上下に到底口にすることができない文を書きつけた」(同声明)ためだ。

 

きっかけは、2月27日、韓国の一部メディアが仁川市内の部隊の内務班の文書に金父子の写真を並べ、その周りに「叩け!金正日」「打て、殺せ!金正恩」と書かれていると報じたことにある。

 

全国民あげての大キャンペーン

 

最高司令部の声明を受けて、2日後には平壌の金日成広場に15万人を集めて「平壌軍民大会」が開かれた。金正恩の側近中の側近といわれる李英鎬人民軍総参謀長が司令部声明を声高に朗読し、参加者は「李明博逆徒を一掃しろ」などと気勢を上げた。

 

さらに、外務省も報道官が談話を発表、「李明博一味にはすでに死刑宣告を下しており、無慈悲に懲罰する」。対韓窓口の祖国平和統一委員会も同様な警告を発した。

 

全国の青年学生が入隊志願

 

また、6日から8日までの間、各道で青年学生の「人民軍入隊・復帰嘆願決意大会」が開かれ、ほとんどの若者が入隊を願い出て、「祖国防衛の歌」「全線で会おう」などの歌を歌いながら、街を行進した。

 

このほか、朝鮮農業勤労者同盟や朝鮮記者同盟中央委員会、女性による糾弾大会など、全国の各界各層の団体なども総動員されて、対韓非難の大キャンペーンをくりひろげている。

 

軍部隊でも司令部声明に呼応する動きがあるのは言うまでもない。延坪島攻撃を行った第4軍団は「百倍、千倍の報復打撃で逆徒一味を無慈悲に懲罰する」ことを誓っている(3・6朝鮮中央通信)。各部隊でも同様な対韓糾弾、李明博逆徒一掃の決議などが行われた。

 

まさに開戦前夜

 

もちろん、金正恩も板門店を訪問し、兵士らを前に「常に最大の激動状態を維持すべきだ」と指示した。この後も、軍事境界線に近い陸海軍や空軍基地などを精力的に視察し、激励して歩いている。

 

そして、ついには「金正恩最高司令官が指導」する陸海空軍の合同打撃訓練が行われた(3・14朝鮮中央通信)。これには労働党、国家、武力機関のほとんどの幹部が顔をそろえた。

 

ここでも、金正恩は「敵が少しでも動けば、正義の銃、復讐の銃で無慈悲に撃滅しなければならない」と指示した。北朝鮮のメディアは、連日繰り返し韓国に対する「聖戦」をあおりたてている。まさに「開戦前夜」のものものしい雰囲気だ。

 

どちらが「犬」か

 

余談だが、今回の報道を読んでいて気が付いたのは、やたらに非難の表現として「犬」が出てくることだ。「犬のような明博とその一味」(3・7朝鮮中央通信)「腐りきった頭に狂った犬のような…明博などの愚か者」(3・8同)という具合だ。

 

朝鮮通信の中に、「犬」にたとえることが最大の侮辱と思い込んでいる記者がいるようだ。しかし、このところの北朝鮮を見ていると「一犬、影に吠ゆれば、百犬声に吠ゆ」のことわざを思い出す。犬のように国中が吠えているのは北朝鮮の方だ。

 

北朝鮮は、それ以前も、定例の米韓軍事演習「キーリゾルブ」(2・27-3・9)、野外機動訓練「フォールイーグル」(3・1-4・30)それにソウルで開かれる核安保サミット(3・26,27)を材料に、韓国非難を展開していた。

 

その中で、「李明博逆徒の抹殺」などと、韓国の大統領に対して物騒な文言を使っていた。要するに、北の方が先に韓国の最高権力者を「冒涜」していたのである。

 

さらに最高司令部声明にも「明博を打ち殺せ」という文言、その後の報道には「李明博とその手先を打ち殺せ!」などの言葉が頻繁に出てくる。これでは韓国で報道されたようなことがあっても、「目くそ、鼻くそ」「どっちもどっち」だ。

 

しかし、北朝鮮にとっては最高指導者に対する侮辱とあっては、黙っていられない。最高権力者に対する忠誠を示すためにも黙っていてはいけないのである。

 

対韓非難で金正恩への忠誠強化を

 

それに、北朝鮮はここで対韓非難をエスカレートさせ、南北間の緊張を高めるのは、「一石二鳥」の効果があると判断したためだ。

 

第一は、権力を継承して間もない金正恩体制を強固なものにするために有効だからだ。金正恩は、先代に習って、現地指導に力を入れているが、金正日のように威厳を誇示するのではなく、金日成に習って親愛の情を示すことで、民心に食い込もうとしているようだ。

 

「最高司令官は、兵舎の外で感激して足を踏み鳴らして『万歳!』を叫ぶ軍人家族を見て彼らをそばに呼びつけた。 夢のような幸運に恵まれて涙で頬を濡らす軍人家族を愛の懐に抱いて記念写真を撮った」(3・10朝鮮中央通信、椒島防御隊視察)

 

しかし、人民が腹をへらしたまま、後継権力者をありがたがることはない。とくに、経済立て直しが遅れる地方からは、経験不足の何の実績もない後継者への不満がもれ伝わってくる。

 

こうした時、外からの緊張を高めて、求心力強化を図るのは権力者の常套手段だ。「最高の尊厳を守る」「領袖決死擁護」のスローガンは、金正恩への忠誠心を掻き立て、逆らうことができない雰囲気をつくる。

 

「人民軍将兵は…肉弾、自爆もためらわない金正恩第一親衛隊、第一決死隊になるという決死の覚悟で胸をたぎらせた」(3・14朝鮮中央通信)。対韓非難の報道には、金正恩への忠誠心をあおる文言が必ず盛り込まれている。

 

対北融和政権を産むための揺さぶり

 

第二の効果は、韓国への揺さぶりだ。韓国では四月に総選挙、12月に大統領選挙がある。与党ハンナラ党は形勢悪しと見て、党名を「セヌリ党」に変えるという姑息なことをやっているが、党勢回復の見通しはたっていない。

 

大統領選の方は、セヌリ党は朴槿恵氏、野党候補は未定だが、どちらが勝つか不明。ただ、今の李明博政権のように対北相互主義よりははるかに融和的な政権になる可能性の方が高い。

 

北朝鮮としては、かつての「太陽政策」のように、無条件でカネとモノをくれる政権が誕生するのが望ましい。ここはめいっぱい揺さぶりをかけ、韓国内の世論を分断することだ。最高司令部声明でも、韓国内に李明博糾弾が盛り上がっていると強調している。

 

このほか、北朝鮮には、韓国への強硬姿勢は、米国内の対北融和派を勇気づけ、ようやく再開した米朝協議による関係改善をさらに進めることへの期待もある。先の米朝合意(核計画の一時凍結、食糧支援など)の特に食糧支援の実施を急いでいる。

 

また、中国は、朝鮮半島に混乱を起こさないことを最優先に後継体制を支援している。騒ぎが起きれば、中国としては北朝鮮をなだめすかす ため、北の求めに応じて食糧援助を増やさざるを得ない。

 

今回の対韓非難大キャンペーンは、一石何鳥にもなる。韓国軍内の金父子侮辱事件は、絶好の材料を提供してくれたのである。

 

変わらない「恫喝・瀬戸際戦術」

 

「世界よ!朝鮮を正しく知れ」――朝鮮中央通信は、3月8日こんなタイトルの論評をだした。内容は、「李明博逆徒が最高の尊厳を冒涜したため」、聖戦が始まり、「憤怒は有史以来最大のもの」であり、「軍隊と人民にとって、最高の尊厳は生命より貴重」ということを、世界中がよく知るべきだ、というものである。

 

しかし、世界は北朝鮮が期待するほどには、この騒ぎに注目していない。韓国以外のマスコミにはほとんど取り上げられていない。北朝鮮が韓国にかみつくのはよくあること、また、いつもの「恫喝・瀬戸際作戦」が始まったと見るからだ。

 

ただ今回は、世襲による権力継承があったが、やはり後継の金正恩も同じ路線を走り始めた。それだけでなく、経験不足を補い威光を誇示するため、より強硬になる恐れがあるという印象を与えている。その意味で、世界は正しく北朝鮮を知っている。

更新日:2022年6月24日