「光明星節」で大盤振る舞い

岡林弘志

(2012. 2.17)

 

北朝鮮はしばらく哀悼期間かと思ったら、2・16の故金正日総書記の生誕70周年はにぎにぎしく行われた。さらには特権階層に対する大盤振る舞い。金正恩後継体制を少しでも強固にするためだろうが、先代を限りなく神格化して威光を高めるという統治スタイルは、今回も引き継がれ、より強化されている。

 

金正日初めての銅像が完成

 

「マンセー!マンセー!」――広大な万寿台創作社の構内の広場をぎっしり埋めた人々の大歓声が鳴り響き、無数の風船が放たれた(2・14)。多分、初めての金正日の銅像の除幕式が行われた。

 

この銅像は、金日成主席と金正日がそれぞれ疾走する馬に乗った勇ましい姿をかたどっている。白い台の上に建っており高さは5メートルを越えているだろう。金正日は生前、自分の銅像は作らないと明言していたが、金正恩の命令で創作したという。

 

とにかく、金正日の神格化は急ピッチだ。労働党中央委員会は、金正日に「大元帥」の称号を与えることを決めた(2・15朝鮮中央通信)。これまで、この称号は金日成だけにつかわれてきた。今回の授与は「我が国を核保有国、人工衛星製造・発射の誇りある地位に引き上げた」からだ。

 

誕生日当日には「誕生70周年記念中央報告会」が開かれ、金正恩も出席した。金正日はこうした行事に顔緒を見せることはほとんどなかったが、金正恩は、機会あるごとに存在を示す必要に迫られているようだ。

 

軍事パレードや岸壁の巨大文字

 

また、金正日の生誕記念日としては初めて、軍事パレードが行われた。場所は、金日成、金正日が安置されている錦繍山太陽宮殿(錦繍山宮殿を改名した)前の広場だ。金正恩も姿を見せ、参加者は二人の大元帥の肖像画に最敬礼し、金正恩への忠誠を誓った。哀悼というより、祝賀ムードの方が強い。

 

この日の労働新聞は、もちろん生誕大特集だ。1面は「偉大な金正日同志の不滅の革命業績を末永く輝かせよう」と見出しをつけ、紙面の3分の2ほどの大きな肖像画を載せた。インターネット版を開くと、異例なことに突如、勇ましい音楽が響き、驚いたが、言うまでもなく「金正日将軍の歌」だ。

 

このほかにも、「金正日勲章」の制定、記念切手の発行、さらには平安南道の石多山の岩肌には「絶世の愛国者金正日将軍」という文字が幅120メートルにわたって、彫り刻まれた。1字の大きさは縦10メートル、横5.5メートルというからきりもなく大きい。

 

後継体制の大キャンペーンも

 

こうした神格化と合わせて行われているのが、金正恩後継体制を整えるための大キャンペーンだ。報告会は、各地方、職場単位などで全国的に行われたが、金正日の指導者としての天才ぶりを長々と讃えた締めくくりとして、金正恩の後継者としての正統性、優秀性を強調、忠誠を誓う。

 

「金正日同志の思想と偉業は、唯一の継承者である金正恩同志にしっかり継承されている」「われわれは生命をかけて金正恩同志を守る」――常套句の如くあらゆる集会で繰り返された。また、歌謡やシンクロナイズドスイミング、スケートなどの行事では、金正恩を讃える歌「パルコルム(歩み)」や「金正恩同志を命をかけて守ろう」という題目の歌も披露された。

 

新設の「金正日章」をばらまく

 

同時に、労働党や人民軍、政府、各種団体の上層部に対するサービスも行われた。制定されたばかりの「金正日勲章」の授与だ。最高位の「金日成勲章」の受賞者は132人にのぼる。ざっと見たところ、後見者といわれる叔母の金敬姫、夫の張成沢をはじめとして、金永南最高人民会議常務委員長、軍の李英鎬、金永春ら順位上位の幹部は全部入っている。

 

中には、金正日の4番目か5番目の妻と言われた金玉の名前もある。それはともかく、これだけの人選は、金正恩が一人でできるものではなく、幹部連中がこの際全員がもらおうとお手盛りをしたのではないかと勘ぐりたくなる。

 

このほか、青年同盟を対象にした「金正日青年栄誉賞」は104人、少年団を対象にした「金正日少年栄誉賞」は101人が受賞した。また、金正恩が持つ最高位である最高司令官の名前で、2人を大将に、3人を上将に、18人に中将の称号を与えた。金正恩の側近といわれる金正角・人民軍総政治局第一副局長には「次帥」という高い位を与えた。

 

まずは不安定な足元固めから

 

要するに、先代の誕生日という機会を最大限に利用して、権力の中枢にかかわる面々にすべて勲章を与え、最大の支えとする軍首脳には昇進という優遇措置をとる大盤振る舞いをしたのである。

 

まずは足元の基盤を強化する手法だろうが、これだけのことをして、権力基盤を固める必要がある。まだまだ安心できる段階に至っていない。権力世襲は決して周知の事実、所与の条件ではなかったとも読みとれる。

 

金日成が死亡した後、金正日は服喪期間として、3年間も公に動かず、労働党の公式の会議や国会である最高人民会議も開かなかった。異常なことではあるし、その間多数の餓死者も出したが、それでも国家を運営する自信があったのだろう。

 

それに比べると、今回の金正恩の露出度は際立っている。それだけ存在を誇示しなければならない、三代目への世襲を進めるのは容易ではないということだろう。

 

酷寒の中、人民は相次ぐ動員

 

それでは、人民には何か恩恵があったのか。昨年暮れごろから配給が少し行われ、量が増えたという報道があった。今回、住民に対する贈り物もあったらしいが、地方によっては全くないところもあり、人民全体がありがたがるところまではいかなかったようだ。

 

朝鮮中央通信によると、「金正恩同志が孤島の子どもも陸地の子どもと同じように贈り物を受け取れるように」と黄海の8つの島に「飛行機を飛ばす措置をした」(2・15)。ところが、これはヘリコプターだったようで、韓国のデイリーNKによると、強風のために墜落し、乗っていた金奉哲商業相ら5人が死亡した。祝賀行事に水を差す格好になってしまった。

 

また、北の報道には、人民がゆかりの施設などを訪れて花束をささげるなど、忠誠を誇示する映像もいくつかあった。しかし、共同通信が平壌から送ってきた映像(2・13)を見ると、厳しい寒さの中、街のあちこちで道路整備などが行われ、多数の住民が動員されている。

 

とくに平壌では、2010年9月の代表者会のあたりから、平壌の整備が重点目標になったようで、何とか記念日の度に、住民は勤労奉仕を強いられてきた。昨年末の葬儀以来、何回となく追悼行事に動員され、続いて生誕行事だ。さらに4月15日は、金日成の生誕百周年を迎える。盛大に祝うのは金正日の遺訓でもある。またまた大動員だ。

 

一部に世襲批判などの落書きも

 

しかも、後継体制の成否を大きく左右する食糧問題は解決の見通しが立たない。肝心の「生活向上」はスローガンだけ。そんななか、昨年初めから独裁体制に反対する動きがいくつか出てきたという情報がある。最近、韓国の与党議員が情報機関などからの資料をもとに明らかにした。

 

昨年10月、金正日の生母である金正淑の銅像が破壊され(咸鏡北道)、労働党創建記念塔が傷つけられ、金日成の生家の戸が盗まれた(平壌)。9月には大学などで「金正恩を打倒せよ」「世襲は社会主義への裏切り」などの落書きが見つかったという。

 

金正日は、服喪期間中に統制だけは最大限に強化したといわれる。不満を抑えるために強権を振るい、ある脱北者は「あの頃はいつ捕まるかと恐ろしかった」という。金正恩も「脱北者が出たら三代処罰する」など厳罰をもって対処しているといわれる。

 

どこまで通じる「威光統治」

 

今回の生誕記念行事などから透けて見えるのは、権力世襲のために「親の七光り」を最大限利用する「遺訓統治」というより、「七光り統治」「威光統治」だ。経験不足の29歳の独裁者としてはそれ以外の方法はないのだろう。

 

金正日の場合は、十分な準備期間があり、父親のチュチェ思想を体系化、具体化し、さらに「先軍思想」という独自の統治論理を作り出して、18年間、最高実力者として君臨した。本人には世襲ではなく、自らの力で権力を手に入れたと自負していたに違いない。

 

しかし、今回はそんな余裕はない。それに21世紀になって十年以上が経過し、中東でも民衆革命が起きた。三代世襲という時代錯誤の統治が永続するとは思えない。食糧不足のなかで「威光統治」はどこまで通じるか。人民には過酷な大実験だ。

更新日:2022年6月24日