「善政」は失政の裏返し

岡林弘志

(2012. 1.27)

 

北朝鮮の三代目、金正恩最高司令官は、軍掌握を誇示すると同時に、国民に食糧を配るなどいわゆる「善政」を印象づけるのに懸命だ。しかし、食糧の絶対量が不足する中での人気とりにすぎない。本当の善政は、いつも人民が食えるようにすることだ。

 

旧正月に大盤振る舞い

 

「金正恩同志は、企業所の給養活動状況について詳しく調べ、暖かい愛と恩情を施し……魚500トンを送るから祝日を迎える従業員に配給しろと暖かく述べた」(1・23朝鮮中央通信 )

 

「ホ・チョルヨン氏が働く機械工場」を現地指導した際の出来事だという。500トンと言えば、この工場にだけ配るなら多すぎるし、全国の労働者対象では少なすぎるが、とにかく魚の配給を指示した。

 

これに対して、「ありがたさにかられた幹部たちの眼がしらは熱くなった」。さらには「限りない愛と恩情に必ず報いる誓いを立て」「金正恩同志がせめて旧正月だけでも楽に休むことを願った」のである。

 

また、労働新聞によると、金正恩は、平壌市民が旧正月を楽しく過ごせるように、料理店で特色ある旧正月料理を出せるような措置を取った(1・23)。キジ肉を食べられるようにという指示もした。

 

この記事の見出しは「日増しに加わる大きな恩情」となっている。金正恩が旧正月をはじめとして、あらゆる機会に、人民に向けて善政、恩情を実施している様子の大キャンペーンを展開中だ。

 

「善政」は食糧不足の裏返し

 

為政者から食べ物をもらって喜ぶというのは、日ごろ人々が食べ物に事欠いていることの裏返しだ。要するに、「恩情」報道は、北の食糧不足を自ら内外に宣伝していることになる。

 

如何に「先軍政治」の継承者とはいえ、人民に食わせられないのでは、人民は従ってこない。それを意識しての「善政」だろうが、むしろ逆効果でしかない。

 

それに、この「善政」は、どこまで行きわたっているのか。

北朝鮮当局は、20日から5日分の食料を配給するよう各市郡に指示した(韓国の「デイリーNK」)。

 

指示通りに実施されたかどうかは不明だが、実施されれば、全国規模の配給は2005年以来だというが、本来365日分の配給がなされるべきだろう。

 

エリートの子弟にも「善政」

 

相次ぐ「善政」報道を見て、これは本当に「善政」なのかと大きな違和感を覚える。旧正月の当日(1・23)の、幹部養成機関、万景台革命学院の現地指導を読んで、特にそう感じた。

 

食堂を視察した金正恩は、旧正月を祝うために「あす、牛を送っておいしく調理して食べさせるように」と指示した。さらには、「魚も規定通り学生に食べさせる」ために供給するよう指示した。

 

何とも情け深いことだが、この学院はもともと革命遺族や党幹部の子弟のために設立されたもので、生徒は北朝鮮のエリートの家庭の出身、食うに困ることはない。

 

さらに、夜寝る時は寒くないように指示し、「学生たちが膝を痛めないよう」運動場に芝を、バスケットとバレーコートにはゴムの敷物を贈ると大盤振る舞いをした。

 

これは朝鮮中央通信が発信し、労働新聞や中央テレビなどでも報道されたが、一般人民がこれを聞いて、今度の指導者はやはり優しい人だと思うだろうか。逆効果ではないか。

 

本来は、人民すべてが「白いご飯と肉の汁」を口にすることができるようにするのが、社会主義を掲げる北朝鮮の国家としての役割のはずだ。「善政」は、それができないための弥縫策にすぎない。

 

それに気がつかず、「善政」をすれば、人民が喜ぶと思い込んでいるこの国の在り方、新しい権力者とその取り巻きの救いようのなさをあらためて感じる。

 

はた迷惑な「太っ腹」

 

「善政報道」でもう一つ感じたのは、現地指導におけるこうしたやり方は、父親と全く同じということだ。太っ腹なところを誇示するため、行く先々で大盤振る舞いをして見せる。

 

北朝鮮への旅行者が案内される事業所や農場などで、案内人の説明の中心は金正日が現地指導に来て、いかに恩情を示し、現場にとっていかに喜ばしい指示をしてくれたか、ということである。

 

ある工場では、石炭や電力の十分な供給、従業員のための住宅や家具の支給などなど、ある農場では、貯蔵庫から始まって住宅やテレビやバスなど、思いつくままに随伴者に指示する。

 

そもそも、最高責任者がそんな細かいことまで指示しなければ、必要なものが調達できないという仕組みそのものがおかしい。しかし、指示には絶対に従わなければならない。

 

「軍事優先」のこの国では、カネとモノが軍需産業に優先的に吸い取られる。従って、金正日の指示は、ごくわずかのものを民生部門の事業所が取り合うだけのことだ。

 

今回も指示によって、魚や牛肉を特定のところへ供給することになれば、すでに予定していた供給先の分は削らざるを得ない。指示した本人は気持がいいだろうが、それを実行する当局者は大変だ。

 

現地指導の「指示」は、結果として民生経済をより混乱させる。三代目も父親の統治スタイルを「善政」として引き継いでいる。これでは、民生経済、食糧問題の解決は遠のくばかりだ。

 

米国には穀物支援を求める

 

それにしても、食糧確保は、差し迫った最大の課題だ。最近の動きにも焦りが見える。金日成生誕百年の今年、特に4月15日の誕生日に予定される祝賀行事には、人民に「善政」を施さなければならないからだ。

 

「栄養食品でなく、コメやトウモロコシなどの穀物がほしい」――北の外務省は「米国の信頼醸成意思を疑問視している」(1・11報道官談話)などと非難したが、要するにこういうことだ。

 

金正日が亡くなる寸前、北がウラン濃縮作業中止する代わりに米国が食糧支援をすることで合意したというが、米国は軍への転用を避けるため、幼児や病人向けの栄養補助食品に限定した。

 

これを非難しての談話だが、さらに「米国が三年前に約束した食糧支援50万トンのうち33万トンが未提供」と批判。何としても、穀物をという気持ちがあからさまだ。

 

「ドル箱」の開城団地は鎖さず

 

本当は、韓国からの支援を期待したいところだが、北のメディアは連日のように、金正日の死に弔意を表しなかったことで李明博政権を非難し続けている。現状では、食糧をくれとは言えない。

 

ただ、南北間で唯一の「ドル箱」、開城工業団地だけは鎖そうとはしない。それどころか、さらに近々労働者を400人増やすのだという(聯合ニュース)。

 

この団地では、北朝鮮労働者4万9千人が働いており、労働者の月給は約100ドルだが、7割から8割は当局が吸い上げ、北朝鮮にとって巨額の外貨稼ぎの場になっている。

 

背に腹は代えられない。外貨はのどから手が出るほどほしい。こちらは何とか増やし、食糧調達などに使おうというのだろう。「李明博逆徒とは一切つきあわない」といいながら、いじましい。

 

「朝鮮の住民に食いものをやるな」

 

「食料や物資を渡さないで」――中国遼寧省丹東市の中朝国境近くにはこんな看板が立っている(1・8東京新聞)。北の住民が干潮時に中州を渡ってきて物乞いや物々交換を求めるのに手を焼いてのことだ。

 

最大の理解者であるはずの中国からもこんなことを言われ、何とも恥ずかしいことだが、三代目の「善政」からは、こうした状態から抜け出す方向は見えてこない。

 

これまで「善政」とカッコつきで書いてきたが、本来の善政は、説明するまでもないが、「正しくよい政治。人民のためになる政治」(広辞苑)のことだ。

 

食料に関して言えば、食うことを心配しなくてもいいように国を運営することだ。しかし、独裁体制には、もともと「人民のため」という発想はない。望む方がむなしいか。

更新日:2022年6月24日