平壌の政変の本質

洪熒・佐藤勝巳

(2012.8.14)

 

銃撃戦確認できず 

 

佐藤 韓国の朝鮮日報が7月20日、北の軍総参謀長が逮捕される過程で銃撃戦によって負傷もしくは死亡した、と報道したときには緊張が走りました。そして共同通信も8月4日ソウル発で、李英鎬が公邸で連行されたと報じました。いずれも真相の確認は取れていません。あの報道があったとき洪教授はソウルにいましたが、どんな模様でしたか。

 

 取材を試みましたが、銃撃戦があったかどうかの事実関係を確認することはできませんでした。この対談で今までも「平壌の政変は宮廷クーデターである」と再三言ってきました。政治局常務委員・総参謀長が、政治局の決定で「病気」を理由に党の役職の全てを解任されるなど例のないことです。

しかし、機能不全状態にある党が政治局を開いて解任を決定した、という話は嘘でしょう。ただ、先軍政治の核心部が除去される場面ですから、銃撃戦が起きてもおかしくありません。張成沢などが李英鎬を無力化させた時間や場所などの関連情報は、時間が経てばこれから少しずつ漏れ出てくるでしょう。

 

佐藤 全体主義独裁体制では、権力交代や路線の大幅転換時に物理的衝突を伴うことは、ソ連のスターリン死後のベリヤ逮捕、毛沢東死後の4人組逮捕などのように、ある意味では当然のことです。崔龍海が軍の総政治局長になった時点で、総参謀長の粛清は決まっていたことですし、その政変は今も進行中ということです。

 

今のところ摂政の方が有利

 

 北韓の今の状況は、2010年9月の党代表者会を通じて台頭した、つまり金正日が存命中に布石しておいた李英鎬などが次々と姿を消しているという流れです。金正日の意図したことが、彼の死亡で事情が一変したのです。金正日の葬儀に、張成沢は大将の軍服姿で現れました。それは明らかに金正日の意図 (いわゆる「遺訓」)ではなかったはずだと、金正日の旧側近らは反発した。だが、金正恩の摂政になった金敬姫や張成沢によって彼らは物理的に除去されてしまった。これが李英鎬粛清と見るべきです。

 

佐藤 金正恩は担がれているお神輿です。テレビから受ける印象は、行く先々で皆が、正恩夫婦に頭を下げ、歓迎されることが嬉しくてしょうがないという感じですね。王朝では王家の血を継いだ者が王位に就き、新王が未熟な内は摂政が代理になります。今のところ摂政としては、金敬姫と張成沢が一番近いところにいます。そして崔龍海でしょう。権力争いという点では、摂政が絶対に有利な立場にいることは言うまでもありません。

 

政治では張成沢が有利

 

また、張成沢は金正日から粛清に近い厳しい処分を何度も受けた経験があります。張はそういう「試練」を通じて権力闘争に強くなった。反面、軍は命令で動く集団ですから、特別な政治軍人でない限り、権力闘争など苦手のはずです。張成沢は、国民を食わせなければならないという政治が分かっていますが、軍はそういうことを実感できません。張成沢は、中国、韓国、日本など外の世界も見聞しています。何より、張は暴圧体制の要である情報・監視機構を掌握しています。党と平壌を押さえているこの海千山千の摂政たちに、金正日の軍の側近たちではとても太刀打ちできなかったでしょう。

 

玄泳哲新総参謀長

 

 崔竜海を軍の総政治局長送り込んだのは、言うまでもなく軍を押さえ込むためでした。後任の総参謀長には国境警備の第8軍団長だった玄永哲が任命されました。これからは軍の首脳部を交替する作業、特に1500人以上と見られる将軍たちの忠誠心をチェックする課題がありますが、能力はどうでもいい、忠誠心が第一だというのが玄永哲の次帥昇進です。だって玄永哲が指揮した第8軍団は兵力が1万人未満とも言われます。

 

だが、軍の上層部工作ですべてが終わるわけではありません。最近、金正恩が軍部隊を訪問しては将兵と一緒に集合写真を撮っていますが、それを見ると兵士たちの体格が極端に小さくなっています。つまり、北が南を圧倒していた1970年代の前に軍に入った幹部層と、いわゆる「苦難の行軍」時代に成長し生き残った若い将兵との体格の差は、そのまま「人民軍」の実態を物語っています。

 

首領や祖国や労働党から何の恩恵も受けたことがないと思っている、お腹をすかしている若い将兵に不満が充満し、戦争などできる状態にはないという指摘があります。これは先軍政治の破たんですね。

 

テロリストは主観で動く

 

佐藤 この権力闘争は北朝鮮内部にとどまらず、数千名の中国人工作員が北朝鮮内で工作を展開しているという情報も伝わってきています。中国共産党は金氏王朝との現状維持を第一の目標としています。だから北韓人権運動家の金永煥を不当逮捕、拘禁するようなことまで平気でやってあくまでも平壌側の肩を持っています。

 

テロやクーデターを考える過激派は、北京や平壌上層部の思惑などと関係なく主観的に行動を起こす特徴を持っています。なによりも先軍政治にブレーキが掛かるということは、軍の特権剥奪に繋がります。内部対立が本格化するのはこれからでしょう。

 

改革ショー

 崔竜海が軍総政治局長に就任してから、核実験を言わなくなり、ソウル火の海発言もしなくなりました。それではいわゆる「中国式の改革・開放」へと政策転換を図るのか、ということですが、摂政たちは恐らくこれからあらゆる「改革ショー」を披露すると思います。金正恩は自分の妻を連れて現地指導に当たり、変化したかのような印象をアピールしています。

 

ところが、前近代の封建世襲独裁と改革・開放はそもそも両立できません。ミッキーマウスを登場させ、変化を印象付けようとするのは、韓国で第2の金大中政権、盧武鉉政権を出現させるための企みだと思います。つまり、狙いは12月の韓国大統領選挙に照準が合わされている。張成沢らの選択は、内外に幻想を与える以外ないはずです。

 

佐藤 今までもそうでしたから、このショーを観て外の少なくない専門家たちは、金正恩が改革解放に進むのではないかという期待感を持つでしょうね。金正日の料理人を金正恩が招待したとか、日本人の遺骨が見つかったなど盛んに口にしているのも、ショーを見せていかに騙して金を獲るかという、従来の北の手口と何も変わっていません。しかし拉致家族の横田滋氏などは北と話し合いをせよ、と盛んに口にしだしていますが、反対に制裁強化を主張している家族もいるようですが、混乱は家族会の財政問題を巡ってもすでに始まっています。

では、北の張成沢は、中国の改革開放を指導した鄧小平になれるかです。これは北と1970年代の中国、中国共産党の状況を比較して見れば分かることですが、まず、今の北と当時の中国は貧しいという共通点の他は、すべてが違います。

 

北の場合は、金氏王朝独裁者の「言葉」で政治・経済などすべてが行なわれています。中国が求めている改革開放路線は、金王朝独裁者の言葉ではなく、企業の独立採算性です。人民公社(協同農場)の解体です。物の売買は、需要と供給によって価格を決定するというものです。改革開放は実態として、金王朝を除去する政策に他なりません。自己崩壊を肯定する独裁権力者など理論的にも実際にもありえないことです。つまり、金氏王朝の打倒を前提にしない限り、張成沢が鄧小平のような真似をすることは考えられません。洪さんはどう思いますか。

 

野蛮的体制廃棄が改善の出発点

 仮に、摂政たちあるいは最高実力者が登場して金氏王朝を倒し「中国式の改革・開放」を目指す決意を固めたとしても、これはまた大変な革命になりますが、北の鄧小平になるのはやはり不可能だと思います。

 

その根拠は、仮に、誰かが唯一指導という極端な独裁体制を破壊することに成功したとしても、今まで100年以上の前近代を清算、克服する途方もない課題があるからです。鄧小平は中国共産党を掌握して「社会主義市場経済」を推進しましたが、「北の鄧小平」は彼が思う政策路線を推進するためには党組織が必要ですが、それがないのです。

北の憲法で国家を指導すべく規定されている労働党は、金正日の唯一指導の首領独裁によって形骸化したため、労働党を再建することがまず大変です。困難だったから先軍政治になったのです。また、金日成の独裁前の朝鮮労働党に戻すなど理論としても実際にも不可能です。要するに肝心要の世の中を変える主体が存在していないのです。

 

しかし、現実は、変革の中心勢力を組織するなどという悠長なことが言えるほどの余裕は今の平壌にはありません。金正日死後の政変は、第一幕が上がったばかりです。そして、今の摂政たち、金敬姫と張成沢、崔龍海などは、そもそも人民のために自分たちを犠牲にする覚悟を持っている立派な人間たちですか。

 

東アジアの激変を見誤ってはならない

 

佐藤 それは考えられません。金正恩や摂政たちは、自業自得なのですが、進むことも退くことも出来ない矛盾に直面しています。首領に限りなく忠実な党や人民を生み出したはずの個人独裁体制が絶望的となり、しかし、改革・改放を推進すれば自己否定となる。後は、ハードランデングしかなくなっています。

 

8月末に日朝交渉が4年振りに開催されると報道されていますが、日本もここで大局を見誤ったら、核問題や拉致の解決どころか、下手に介入すると北の人民の怨みを買うことになりかねません。日本の政局は解散含みで、選挙に目が向き、拉致どころでないことが幸いしています。拉致問題も、訳のわからない民主党政権に触られたら何をやりだすかわかりません。関与してもらわない方が解決に近づきます。数百年に一度の東アジア秩序の変動を前に、意味のあるビジョンも対策も出せない政治指導者たちは本当に空しいですね。

 

 ですから、特に指導者は歴史の進路を見誤ってはならないことです。ミッキーマウスの登場などは、溺れる者が藁をつかんでいる姿と理解すべきです。何より、われわれ韓国と日本は傍観者になってはなりません。日・韓が傍観者になれば、北はもちろん、北の運命からまた影響を受ける日・韓の運命も、北を支配しようとする中国共産党が決め兼ねません。

 

今こういう歴史の曲がり角で、第一当事者の韓国社会が大衆民主主義の罠に落ちて混沌としています。そして、李明博大統領は方向感覚を完全に失っているようです。日・韓共にビジョンを持つ健全な在野が社会と国を引っ張っていくしかありません。

更新日:2022年6月24日