テロ政権変革のチャンス

洪熒・佐藤勝巳

(2011.12.28)

 

佐藤 金正日の死亡の報せを知ったときの感想は如何でしたか。

 

 平壌放送が特別報道を予告したとき、あるいは、と思いました。われわれ二人で金正日の健康状態を「いつ死んでも不思議ではない」とよく話題にしていましたから、「その通りになった。いよいよ金氏王朝の終わりの始まりが来た」と思いました。

 

体制変化に触れない専門家たち

佐藤 ところが日本のマスメディアは、何か革命でも起きたかのような大騒ぎをしています。そのあまりのはしゃぎように、「これはいったい何だ!?」と凄い違和感をもちました。更に違和感にとらわれたのは、すべての報道を見ているわけではありませんから断定できませんが、今こそ、北の野蛮な独裁体制を変えなければならない、レジーム・チェンジをはかるべきだと主張した専門家がひとりもいなかったことです。

 元・外務省審議官の田中均氏にいたっては、6者協議や日朝交渉を推進すべきだとNHK総合テレビの日曜討論(25日)で主張するのを見て、呆れ、かつ腹が立ちました。

 

洪 誰よりも特に北の住民の立場からは許せない発言です。金正日独裁体制こそが東アジアの諸悪の根源だからです。核やミサイルの開発、外国人拉致、自国民を餓死させ、気に入らない人間は政治犯強制収容所に入れて殺戮してきました。驚くべきことに韓国の青年と北の青年の身長の差は、15センチです。北は植民地時代より低くなっているのです。

 どうしてわれわれは、こんな悪の体制をいつまでも温存させて相手にせねばならないのか。大体、親子三代にわたって権力の世襲などナンセンスな話です。金正日の最後の「妻」金玉が、義理の子供・金正恩に90度の最敬礼をする映像を北は流していましたが、“王子”が“王様”になったことを国民に告知したのでしょう。醜悪の一言に尽きます。

 

恥を知らない田中均氏

佐藤 今、指摘のあった現実から目をそらし、金正日の直筆のサインを貰ったのは、「“日朝平壌宣言”が最初だ」とスターからサインを貰ったファンのような顔をして田中均氏は語っていました。天下周知のように、金正日が拉致を認めたことを知った日本国民は怒りを爆発させ、「“拉致解決”が先だ」と声をあげたため国交樹立の交渉は吹き飛んでしまいました。つまり小泉純一郎首相(当時)、田中均氏、金正日の三人は日本国民の世論をなめていた(見誤った)のであり、あの宣言は、国民に拒否された恥ずべき代物です。

 にもかかわらず田中氏は、反省も自己批判もせず、この期に及んでも、なお臆面もなく公共のNHKの電波を使って世論に挑戦している。こんな「専門家」は、まさに金正日の“共犯者”と断言してよいでしょう。そんな人間を「専門家」として使っているNHKは、公共放送としての見識が問われていることを知るべきです。

 

張成沢の台頭

 金正日の実の妹、金慶姫の夫張成沢が公式発表なしに大将の軍服を着て25日現われましたね。彼は、金正日が脳梗塞で倒れて金正恩を後継者にした後の2009年4月国防委員会の委員になり、2010年6月副委員長に昇進して、金正恩の後見人と見なされてきました。ところが2010年9月の労働党代表者会では、予想外に政治局候補委員に留まりました。平壌は、いつものことですが「正式の発表」が真相を伝えない方がおおいのです。

青二才の金正恩から見れば張成沢は、義理の叔父であり、政治経歴、能力、人脈、貫禄などから頼らざるを得ない存在です。それで「新王」の権限で叔父を大将にしたとしても不思議ではありません。

 

佐藤 党代表者会では、妻の金慶姫は政治局員で、夫張成沢より序列が上位でした。そして、金正恩と一緒に大将の称号が与えられましたが、張成沢には贈られませんでした。政治局員候補は、規定では政治局会議に出席して発言はできますが、決議権はありません。金正日と親しいと言われていた呉克烈国家国防委員会副委員長は、ヒラの中央委員で政治局委員候補にすらなりませんでした。

つまり、金正日の後継者選びの儀式のときは、「金氏王朝」の血筋や「金氏王朝」の成立に直接貢献した者(及びその血筋)と、そうでない者を区別していたのです。でも「遺言状」は、所詮遺言状で、遺言を残した者が他界すれば事情が変わるということですね。

 

 自分の死後のための布石だった金正日の「遺言状」(党代表者会の決定)では、張成沢の代わりに総参謀長だった李英浩が政治局常務委員に躍り出て来ました。あくまでも「緊急事態」への「緊急対応」でしかありませんでした。金正日が死ぬや否や、張成沢が軍服を着て葬儀前に現われるという変化です。彼が大将になったことは何を意味するのか、いずれ明らかになると思いますが、要するに2008年8月、金正日が脳梗塞で倒れた直後から、暗闘が始まっていたということです。

暗闘、権力闘争、そして粛清が限りなく続くはずです。粛清の対象がいなくなるまで、いうなら「金氏王朝」が滅びるまで続くはずです。冒頭で「金氏王朝の終わりの始まり」と言ったのはこのことを指しています

 

一発の銃弾で政権崩壊も

佐藤 中国は、金正日に対して改革開放政策を勧めてきたと同じように、金正恩にも「中国式の改革・開放」を勧めることは明らかです。過去にもこの対談で触れたことがありますが、「金氏王朝」は、「改革開放は自己否定」従来の「先軍政治なら更なる経済困難」という絶対的、まったなしの矛盾に直面しています。放っておけば一人でこけます。会談なんかする必要がありません。胡錦濤主席と野田佳彦首相は、26日の北京会談で「朝鮮半島の平和と安定」を祈願したようですが、現実はあらゆる面で劣化が進み、権力争いから一発の銃弾の発射で、体制が崩れる可能性が高まっています。祈願ではどうにもなりません。

従って、軍事挑発にいつでも対応できる態勢を取っておくことが重要であることは言うまでもありません。日韓の意思統一がもっとも必要なそのときに、あろうことか韓国の大統領が日本との首脳会談(12月19日・京都)で慰安婦問題を云々する始末です。その上、金正日の死亡を公式発表まで知らなかったとは、空恐ろしい怠慢な政権です。

韓国にとって不幸なことですが、大統領には大局を見る目が欠けている危ない政治家ですね。言うべきことを言わない民主党政権にも問題がありますが、日韓の情けない関係は依然として改善の兆しすら見えていません。

 

「王朝」支援は断罪される

 2011年はそれこそ想定外のいろんなことがありました。北アフリカのチュニジアから始まった「アラブの春」も歴史的な出来事でした。先進諸国は独裁者に立ち向かった民衆を声援しました。日本も韓国も、遠いアフリカや西アジアの独裁者たちが打倒されるのを歓迎しました。なのに、なぜ北や中国共産党の独裁に対しては、すべてを変えられないものとして観念するのでしょう。解せない態度です。

「アラブの春」の国々は全部がひどい独裁ではあるものの、王政ではありません。王政でない国では蜂起や革命が起きて、王政の国々では民衆の蜂起を押さえつけているというのは非常に印象的です。

でも歴史は発展します。近代国民国家、自由民主主義は個人の自由と安全の拡大を追求してきました。個人の自由と安全の拡大という流れに逆らうものは、歴史への反動勢力です。

自由と安全を享受している文明社会は、野蛮な暴圧体制の下で苦しんでいる人々と自由や安全を分かちあうように努力する道徳的義務があります。金氏王朝の奴隷になっている北の人民にも人間らしい生を営む権利と自由を保障すべきです。この人間としての最低限の道徳的義務を否定もしくは無視する者も「歴史への反動勢力」となります。

北をはじめアジアの多くの国々で自由が実現されたあかつきには、いま金正恩体制を支持し維持させようとした人々、また戦わなかった人々も、いま抑圧されている北の人民たちから独裁に迎合した“敵”として断罪されるでしょう。

更新日:2022年6月24日