拉致議連会長、ピョンヤン訪問発言の波紋

洪熒 佐藤勝巳

(2011. 5.26)

 

佐藤 大型連休最後の5月8日、日比谷公会堂(東京都千代田区)での拉致救出のための全国集会が開かれましたが、それに参加されて、どんな感想をもたれましたか。

 

訪朝発言の背景は何か

 国民の関心が東日本大震災に向いているとき、主催者発表1300名も集まったのですから、よかったと思います。集会では、寺越さんを拉致被害者に認定しない政府の態度や、この1年半の間に拉致担当大臣が4人も変わったなどという批判もありましたが、日本政府が人権啓発基本計画に拉致問題を入れることを決定したという、肯定的な動きも報告されました。

救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)は、北側が拉致被害者の消息について「調査のやり直し」の約束を履行していないことを理由に政府に対北追加制裁を強く求める決意を内外に示すために、拉致3団体と特定失踪者調査会が一緒にデモ行進(6月5日午後)をやると宣言しました。金正日政権をテロ国家に指定せよ! という主張も出ました。

ところで、拉致議連の平沼赳夫会長が「家族会の要請によって〝拉致解決のためにピョンヤンを訪問する用意がある〟」と発言されたので、一瞬「え、何だ!? 何か北から接触でも始まっているのか」と驚きました。あの発言の背景に何があるのでしょう。

 

訪朝発言はアドバルーンか

佐藤 「救う会」の動向は、同会のメールニュースしか読んでいませんので全く分かりません。一般論で言いますと、今まで北が何か日本に働きかけをするときは、必ず水面下で、事前に「工作」がありました。平沼赳夫議連会長に工作が始まったのでしょうか……。

いや、それは考えにくいことです。議連の主要メンバーは、自民党、民主党、公明党、立ち上がれ日本、などですが、〝訪朝〟となれば、それぞれの政党の思惑が絡んできますから、議連内で合意を得ることは簡単ではないはずです。何よりも議連に外交権もカネもありません。そんなところに北が接触してくるとは思われません。

あくまでも私の推測ですが、力不足の菅直人政権にとって、福島第1原発放射能汚染と東北大震災復興に精力をそがれ、拉致どころではない、というのが現状ではないかと見ています。国民の関心も拉致より放射能汚染や大震災復興に集中しています。まさに拉致は忘れられる存在になりつつあるなかでの平沼会長の「ピョンヤン訪問」発言は、菅政権攻撃と国民の関心を呼ぶためのアドバルーンだったのかも知れません。

 

説明責任

 それにしても不可解な話です。平沼議連会長は、「家族会の要請により」と集会ではっきり言いましたが、日本政府の基本方針は、拉致救出はもちろん、核、ミサイルの三点一括解決が対北関係回復の前提条件でした。平沼会長と家族会は、拉致を、核とミサイルから切り離して優先解決せよと言っているようにも聞こえます。これは非常に重要な点ですが、日本や東アジアの安全保障問題から拉致救出を切り離して解決するというのかどうか、家族会、「救う会」、議連は、説明する責任があるのではないでしょうか。

 

救出できない理由は何か

佐藤 家族会の幹部の中に、制裁だけではなく話し合いも重要、と考えている人がいることは間違いありません。確か、「救う会」は、最近の運動方針で従来の制裁一本槍から、話し合いも付け加えたように記憶しています。しかし、金正日政権は、過去、彼らにとって都合が悪いと判断すれば、難癖をつけて話し合いを打ち切ります。

また、3年前に拉致被害者を再調査すると日本政府に約束しましたが、全く履行せず、交渉にも応じていません。そういう相手を話し合いに応じさせるためには、より強い制裁をというのが家族会、「救う会」の方針でした。2006年から政府も基本的にはその線に沿って対処してきました。

だが、5年たった現在、何も打開されていません。そこで打開できない理由は何か、ということが家族会、「救う会」の緊急の課題のはずです。課題について詰めた議論があった気配はありません。だったら家族会は拉致議連会長に何を頼むのか、です。依頼の中身も決まっていないのに、金正日政権に「話し合い」提案をするというのなら、それは余りにも無謀すぎます。敵の罠にはまるだけでしょう。

 

 自国民を救出するための日本政府の覚悟や動員が充分だったのかも問題ですが、政府を動かすのは国民の義憤の声、世論です。また、国民の公憤を誰がどのように組織化するかですが、そこに議連会長のピョンヤン訪問が突然、日比谷公会堂の集会で発表されたのですから、一体何が起きているのか、と誰もが思います。

 

信じがたい家族会の対応

佐藤 政府の拉致対策本部は日比谷集会の直前に、被害者家族に対して「何をやって欲しい、と思っているのか」と意見を個別に求めたのに対して、返事をしたのは、関西の一家族だけだったことを最近の取材で知りました。長期間の運動で疲れ果て、しかも現実は変わらないとは言え、返事をしないということは、家族会は拉致問題が現状のままでよいと思っているのではないか、と受け取られかねない対応です。本当にびっくりしました。政府に聞かれてもなぜ自分の意見を言わないのでしょう。理解しがたい態度です。

 

なぜ、大集会を組織しないのか

かつて「救う会」は、政府と県、「救う会」の三者で、新潟では(政府抜き)6000名、愛媛3500名、和歌山1600名、熊本1300名、福島1000名、岩手1000名、富山1300名、埼玉1500名と集会を組織してきました。各地でこのような運動をおこなうのは、まず当該県選出の国会議員が拉致救出運動を無視できないこと、霞ヶ関、永田町、首相官邸も動かざるを得なくなること、何より、国民の怒りの声が日本各地で起こることは金正日が困るのです。こうした運動は、継続しておこなうことに意義があります。

関係者のあいだでは知られていますが、「救う会」現執行部と家族会の一部は、上記の運動に反対し、ソウルやワシントンで集会を開くことに力を注いだのです。国民の支持があるから政府をはじめ政治家は救出運動に注目し、「救う会」や家族会の発言に耳を傾けます。現執行部はその道を放棄したのですから、拉致救出に国民の関心が薄らいで行くのは自然の成り行きです。

「救う会」主催で、「東京連続集会」を毎月のようなに開催していますが、参加者はこの大東京で50から100名ほど、マンネリ化の見本です。5月7日の「救う会」全国協議会幹事会で、神奈川など幾つかの「救う会」が連名で、全国的に救出運動を盛り上げる必要があるが、長い期間の運動で「疲弊している」ので、地方などで拉致救出の集会を開くにあたり、家族会メンバーの参加などを条件に、集会の会場費などを「補填してはどうでしょうか」と文書で、家族会代表に要請しています。

分かりやすく言うと、家族会に集まったカンパを「救う会」の地方組織にも使わせて欲しい、というものです。こういう信じがたい要請が全国幹事会の席上で提案されています。集会の会場費も集めることが出来ない組織が、拉致救出など出来るはずがありません。疲れている組織は、世間から「拉致を食いものにしている」と言われる前に、進んで運動から身を引くべきです。

民主党政権になって拉致担当大臣が4人も代わるのと、上記の一部「救う会」の言動とは質的にどこが違うのでしょう。運動の現状に憂慮せざるを得ません。拉致が解決出来ないでいる主要な原因の一つは、「救う会」、家族会が、国民の心を捉える運動をやっていないからです。

 

金正日政権の本質をどう捉えるか

 平沼議連会長の訪朝発言ですが、カーター(元米大統領)の訪朝や前原前外務大臣の対北独自接触意欲表明などのケースが連想させられます。昨年の暮、与謝野さんが菅総理に工作され入閣した頃、菅総理が平沼さんに、拉致担当大臣に就任してもらって連立を組みたい、という話が報道されたことがありました。それが裏で再燃したのかという見方も出来ますが、いずれにせよ、言葉は、公の場で口から出たら、独り歩きするようになることがよくあります。気をつけねばなりません。

韓国も日本も同じなのです。金正日を相手にするとき、この集団の本質をどう捉えるのかが、決定的に重要なポイントです。金正日は、同情されるべき哀れな存在や哀願する相手に対して飽くまでも残忍な態度で臨んできます。つまり本性が悪です。それを悪魔と呼ぶか、ゴロツキと呼ぶかは別にして、全く信用できない集団と見るかどうかです。こちらが話し合いたいと言えば、「いくら出すか」ということになります。

 

悪の詐欺集団

佐藤 かつて自民党政権が、金正日に「日朝交渉をやりたい」と言ったら、「コメを寄越したら話し合ってやる」と言われて、同政権は1995年から累計で150万トンのコメを献上しました。その挙句いまだ日朝交渉も開かれていません。要するに「話し合い料」だけただ取られて、交渉を打ち切られたのです。〝詐欺集団〟ということです。平沼先生が話し合いたいと言えば、必ずカネを要求します。家族会は「話し合い料金」を支払う用意があるのでしょうか。議連の交渉に政府が資金供与するなどあり得ない話です。対話料を支払わなければ話し合いに応じないのだということを家族会が学習をしていれば、この期に及んで、平沼会長に訪朝を要請するなどということはないはずです。第一、何を話すのでしょう。

 

騙す奴が一番悪い。騙される人間も同罪だ

 韓国の金大中・盧武鉉など、左翼や左翼民族主義勢力が、金正日も「同族」で「人間」であるはずだから支援をし、話をすれば分かってくれるし通じる、などと彼らはあらゆる手段を動員して、韓国民だけでなく米・日をはじめ、国際社会が金正日を支援するように働きかけました。左翼らは安保予算まで削って対北支援をしました。しかし、結果は金正日の核武装です。騙す方が最も悪いのですが、何度も騙される側にも責任があります。

相手の正体が悪であることが分かった後も悪と妥協し、取引する者は金正日と同罪です。歴史的に悪と妥協することで勝ったという話を聞いたことがありません。

 

救出の戦略・戦術なし

佐藤 北はカネが欲しいから非公式に、拉致被害者を帰すからカネを出せ、と幾つかのところに話を持ってきている感触が伝わって来ています。当然、政府にも来ていると思います。

それはさておき、総理大臣を本部長とする拉致対策本部は、官房長官、外務大臣、拉致担当大臣(事務局長)の4人で構成され、その下に事務局があります。問題は、拉致がなぜ解決しないのかということです。その重要な理由の一つに、政府の拉致被害者救出のための「戦略と戦術」の欠如があります。悔しいことですが、過去も現在もこれからも当分作れないと思います。前述のように当事者である被害者家族がどうして欲しいのか考えていないからです。政治家も官僚も、拉致は主権が侵された重大事件であり、戦争を仕掛けられているのだと、本気で受け取っている人はごくわずかです。

 

カネを使うノウハウもなし

ビン・ラーディン射殺で見られるように、国家情報機関を持っているアメリカでもテロリズムとの戦いは難しいのです。日本人などを拉致している同じ金正日政権は、韓国の哨戒艦を撃沈し、大砲で延坪島を攻撃、正規戦を仕掛けて来ています。それに対してわが国がやったことは、元工作員キムヒョンヒを軽井沢のブルジョワの別荘に招待、料理を作り、ヘリコプターで首都圏を遊覧させたのです。家族会や「救う会」は、政府の馬鹿げた行為に一言の抗議もしませんでした。この政府にしてこの運動ありです。こんな状態で拉致が解決できないのは当然のことではないでしょうか。

独裁国家相手の拉致解決は情報が決定的に重要です。国家情報機関はすぐ設置できませんから、次善の策が必要となります。ところが拉致担当大臣が4、5ヵ月ごとに交替しているのですから話になりません。しかし政府は、キムヒョンヒ招請に見られるように信じがたいカネの使い方をしました。情報収集についてのカネの使い方や、ノウハウを分かっていないといわれても仕方がないと思います。こういう現実の中で拉致議連会長がピョンヤンに行って何か解決できると考える家族会の現状認識は、余りにも雑で無責任過ぎます。

 

拉致問題は戦争だ

 金正日は、拉致問題で日本側が疲れ果てて無関心になるか諦めるのを待っています。金正日ももちろん疲れています。しかし、金正日は「我慢くらべ」では絶対自分が勝つと信じているはずです。

何度も話したことですが、北側による「拉致」は、日本の国内法が定めている刑事事件ではありません。この問題はテロリズムを道具とする戦争なのです。刑事事件は法律や裁判というルールがありますが、戦争では基本的にあらゆる手段・方法が正当化されます。例えば寺越さんのケースを、日本当局が証拠を云々し、拉致として認定しないことは、責任のがれや偏狭な法治主義であり、敵の戦争攻撃を弁護士に相談するのと同じナンセンスな話です。

つまり、日本側は未だ拉致問題の本質も、金正日体制の本質も、そして金正日を庇う中国共産党の属性も分かっていないだけではなく、今までの学習成果はゼロに近いと言わざるを得ません。

戦争は、勝利のために敵の強さと弱さを冷徹に捉えることです。このことに本当に気づけば勝てる手段と方法がいっぱい見えてきます。日本当局はその材料を沢山持っています。なぜそれを使わないのかです。

 

佐藤 結局、やる気がないというか、政治家も官僚も断固として原則を守り、戦い抜くという闘争心がないからです。関係各省庁には拉致についてのいろいろな情報があるのに、セクト主義で全くと言ってよいほど共有化されていません。ピョンヤンやアメリカに行く前に、国内の改革が先なのではないか、と思います。

 

 自由と正義は妥協や譲歩の対象でないという原則を堅持することです。最近聞いた、在瀋陽日本総領事館が、これからは脱北者を庇護(受け入れ)しないと中国当局に約束したという噂が事実でないことを願います。

 

メルトダウン

佐藤 えぇ、なんですって! 日本の瀋陽総領事館が脱北者を保護しないことを中国当局に約束したというのですか? 総領事館がそんな重大なことを決められるはずがありません。ここでも何が起きているのか。メルトダウン(原子炉の中で核燃料が溶ける最も危険な状態)しているのは福島第1原発だけではなく、菅内閣を先頭に、外交、東京電力、運動体など、いろいろな分野で起きているということですね。

更新日:2022年6月24日