対談 なぜ「緊急事態」を宣布しなかったのか

洪熒・佐藤勝巳

(2011. 5. 6)

 

佐藤 今回の東日本大震災は、自然が仕掛けてきた戦争と呼んでいいと思います。洪(ホン)さんは、韓国動乱(朝鮮戦争)、ベトナム戦争と2度の戦争を経験していますが、その経験から見て、 わが国政府の対処の仕方をどう思いましたか。

 

危機管理最大の問題点

 阪神・淡路大震災での最も重要な教訓を生かしていなかった、という印象を受けました。最大の問題点は、なぜ3月11日地震当日の夜の段階で、「緊急(非常)事態」が宣布されなかったのか、という一点につきます。

 

大震災後政府の状況判断に関して新聞報道を調べてみましたが、例えば、地震発生以後警察庁が毎日死亡者、行方不明者などの犠牲者の数字を発表していました。地震翌日の12日には死亡者や行方不明者数の発表がありませんでした。13日の朝刊には死亡者が696名、行方不明者が641名と報道され、死亡者や行方不明者が1万名台になるのは5日後です。死亡、行方不明者の合計が2万7000名台になるのは地震から2週間後の3月25日です。ここに、危機への対処の基本になる危機の認識、判断の失敗が見られます。地震の当日は無理だったとしても、翌日の段階で日本政府はまず人命被害の規模を想定して対応すべきだったと思います。

 

佐藤 どういう方法で判断、想定ができたはずだと思いますか。

 

人命被害規模の想定は可能だった

 莫大な人命被害を出した近年の震災は阪神・淡路でしたが、あのときもインフラが破壊され、行政システムが機能しなくなったのに、現場からの報告を待つばかりで実態を掴むまでに時間がかりました。地震直後の迅速な対応の遅れが、火災による犠牲者を大勢出してしまいました。今回は広域地震と大津波、原発事故です。常識的な政府なら、あの大津波を確認した直後に、まず自衛隊に命令して偵察機を飛ばし広域の被災地の航空写真を撮って、被災地の人口などから犠牲者の規模などを推定して「非常事態」を宣布し、首相が指揮を取り救出に当ったと思います。ところが、こうした積極的な姿勢が必要なのに、それが一切見られませんでした。つまり、阪神・淡路の教訓を全く生かしていないということです。

 

地震後の総務省の発表によれば、今度の大津波による被災地域の人口は震災直前の今年2月の時点で約44万5000人です。被災地の被害範囲や状況は空からの写真で分かりますから、犠牲者の規模を科学的、合理的に推定することは難しいことではありません。その推定によって災害対策基本法などの法律に規定されている「緊急事態」を宣布し、人命救助や原発への対応に集中できたはずです。

 

被災者の救援活動についても、米軍だけでなく先進国の軍隊なら、夜間でも人間の体温から生存者の有無を認識出来る熱映像装備(TOD)を持っていますから、それを使用すれば孤立して救助を待っている人々や生きている人間は探知できたはずです。

 

ところが、危機管理の司令塔がやったことは、現地からの報告待ちでした。首都東京を含む国土の半分くらいが通信も交通も麻痺し、震災地域は行政システムが壊滅的打撃を受けて混乱しているのに、現場から上がってくる報告で判断、対処するなどでは話にならないでしょう。地震から2週間経過して犠牲者2万7000という数字が分かった後では、後の祭りです。これでは危機管理でも何でもありません。

 

「緊急事態宣言」の必要性

佐藤 なぜ「緊急事態宣言」が必要かといえば、日頃の行政が縦割りで行われていることにあります。道路の管理は国と県、市町村の三つに分かれているため、行政機関は自分の担当する道路以外は知りません。今回のような大災害が広範囲に発生したら収拾がつかなくなるシステムになっているのです。港も県が管理していますが、桟橋が地震でやられたら使用出来ませんから緊急に調査が必要です。「緊急事態宣言」に基づいて、総理大臣が自衛隊や警察などに命じて調査する以外ありません。タンカーを入港させ、避難所までの道路を整備、タンクローリーでガソリン、灯油、そしてトラックで食糧を輸送するなどということは、地域の縦割り行政でこんなことが出来るはずはありません。現に阪神・淡路では出来なかったのです。

 

民主党では対応できない

菅政権はこの貴重な経験から得た教訓を何ひとつ学ぶこともないまま、ホンさんのいうように、現場からの報告を待っていたのです。このような大災害が発生した時の「緊急事態」宣言には、地方の行政機関に規制を、国民の自由に制限を加えることも出来ますし、時として制限は必要です。菅民主党政権は「地方分権」「地方主権」を公約に掲げています。「緊急事態宣言」をそれと対立するものと捉え、発布しなかったのではないと推測されます。彼らの考えは国家よりも「地方」「地方より個人」という国家解体の思想が根底にあります。今回のような非常事態にはもともと対応できない政党です。一方、現に出荷自粛だの、計画避難区域だのなどを言っていろんな制限を加えています。自己矛盾も甚だしい。民主党政権の国家観が「人災」を加速させたと断言して言えるでしょう。

 

「報道談合」があったのでは

他方、あれだけ自衛隊が一生懸命に活動しているのにマスメディアは、初期段階では言い合わせたように報道しませんでした。すべてのインフラが破壊され、危険な環境の中で人命を救助し被災民に物資を緊急に届けることが出来るのは、統一された命令指揮系統と航空機など各種装備を持つ軍隊しかないのです。兵力だけでなく装備も動員しなくてはならないからです。ところが報道機関は「死臭」漂う被災地で来る日も来る日も風呂にも入らず、乾パンをかじって死体収容作業に従事している自衛隊の若者の姿を、全くといってよいほど報道しませんでした。自衛隊に「市民権」を与えてはならないという「無言の合意」、「報道談合」が言わず語らずに存在していたのではないかとすら感じました。戦場を知らない記者たちであればあるほど、戦場の怖さを報道すべきであったのに、しなかった。

 

首相官邸が分かっていない

また、首相はやるべき事をやらずに、被災地の視察に執心し、内閣官房長官は、農林水産省の担当課長の仕事ではないかと思われる野菜の出荷規制地域だの、洗濯物の室内干しだのを一々記者会見で告知する。

 

そしてテレビは、かつての社会主義国のプロパガンダのような無味乾燥な中身の公益広告(AC)を流し続ける。災害による非常時にあるというのに、ただマニュアル通り貴重な電波やエネルギーを垂れ流す無神経さ。

すべては危機管理の杜撰さの反映ということです。首相官邸が自分たちの職責すら分かっていない。だから政治家がテレビに露出したいためのスタンドプレー、選挙活動という声がいたるところで聞かれたのです。

 

危機を危機として認知できない自己欺瞞

 残念ながら総理などの言動からは、国民の生命を守るという緊張感を感じ取ることができませんでした。また3月11日の午後から、首都東京は電車が止まり、電話は通じなくなり、完全にマヒ状態に陥りました。家族にも、仮に盗難や火事など緊急状況が発生しても110番や119番に電話しても通じない。震源地から遠い首都ですら電話がほとんど通じない状況が一週間も続いたという事実だけでも「緊急事態」なのですが、政府にも国民にも、そういう受け止め方がほとんど見られなかったことが不思議な気がしました。

 

火事に備えて家や車などに消火器を買っておきながら、いざ火事が起きたら消火器まで使う必要はない、もっと大きな火事が次に起きたら消火器を使おう、あるいは、自分は消火器を持っていることすら忘れているのではないか、と思ってしまいます。災害対策基本法や警察法などの中の「緊急事態」というくだりが、「千年に一度」の大災害に見舞われた時も適用されないなら、どういう状況を想定して作ったのか。理解できません。

 

自衛隊の動員だけでは対処しきれず、史上初めて予備自衛官まで招集しながらも「緊急事態」を宣布しないのは自己欺瞞も甚だしい。「緊急事態宣言」なしに国民の身体の自由と財産権を制限するのは、どう考えても非正常です。法律を適用・発動すべき場面で法律を適用・発動しないのも法治の破壊と言えるでしょう。支離滅裂と言われても仕方がないと思います。私は、今度の3.11大震災を忘れないためにも、救援活動に動員されて献身した(戦った)自衛隊、警察、消防隊の全員に特別記章を授与すべきではないかと思います。

 

ゲリラに攻撃されたらどうするのか

佐藤 電車が止まり、電話が通じなくなったのは地震が原因と分かっていたことと、短期間で回復、正常化するという経験則があったからでしょう。地震国日本の特徴だと思います。しかしテロやゲリラに送電線が切断され、電車が動かなくなり、電話が通じなくなったら、情況は全く違ってきます。大混乱に陥ることは間違いないと思います。

 

私は十数年前から北の独裁政権は日本の原発を狙うだろうと想定して、知人の紹介で柏崎刈羽原発を1人で勉強に行ったことがあります。日本の政治指導者は、特に民主党政権では、わが国がテロにやられることを想定して安全保障を考えるという発想は皆無に近いと推定されます。

 

危機管理は最悪の事態を予測して対策を立て、行動すべきものです。このたびの未曾有の被害から沢山の教訓を引き出すべきではないでしょうか。

 

危機を危機として捉えられない

 危機の中で最も致命的なことは、危機を危機として捉えることができないことです。ですから危機管理システムの不在、不全ということになったのです。残念ながら今度の大災害で、日本の危機管理の司令塔(司令部)がうまく機能したとは言えません。危機管理の司令塔に経験のある人や訓練を受けた人が見えませんでした。そういう側面で天災に人災が重なったという叱責はその通りだと思います。

 

佐藤 確かにご指摘の通りなのですが、なぜ「危機を危機として捉えることができなかったのか」です。洪さんも私も戦争を体験していますが、個人が戦場で判断を誤ったら命を失います。

部隊長が判断を誤ったら部隊は殲滅されます。政府が判断を間違えたら、国家は敗北没落します。民主党政権にこの認識が決定的に欠如しているからです。

 

「平和憲法」から危機意識は生まれない

菅直人首相をはじめ全閣僚たちは、「平和憲法」のもとで、日本近代史を全否定した「平和と民主主義」の教育を受けただけではなく、それを推し進めることが正義と思って運動を昨日までやってきた人たちです。外交スタンスは、中国や北朝鮮に媚、日米安保を否定し、軍隊を否定してきた日本社会党の亜流です。今、洪さんが指摘した「危機を危機として」受け取る素地などあの政党には全くないのです。この点自民党も不透明なのですが、こんな民主党に多数の議席を与え、政権の座につかせたのは有権者です。文字通り「民族的(国家的)危機」なのです。しかし最近の選挙で、民主党が敗北を喫し続けていることは、有権者がようやく民主党の正体と自分たちの不勉強さに気がつき出したということかもしれません。

 

迫られている価値観の転換

今回の震災に遭遇するまで、この国では電力を贅沢に消費し、食べ物を年間2000万トン以上も捨ててきました。そして「高蛋白・高脂肪」の贅沢な食事日常化し、糖尿病、高血圧、ガンなどの生活習慣病を激増させ、医療費が国家財政破綻の主要な原因となりつつあります。生活全般の見直し、価値観の転換が迫られていることは間違いないと思います。今回の巨大地震はわれわれに、「贅沢はいい加減にしろ」という警告だったと捉えるべきではないでしょうか。これとは別に、4つものプレートが交錯する地震列島日本が、主要エネルギーを原子力発電に依存することの可否をめぐり、この際大々的に議論すべきときです。

 

原発が攻撃を受けた最初の例

 韓国も日本と似たところがありますから深刻です。責任の大きさは権限の大きさに比例するという常識から言うと、今度の人災の最大の責任は、民主党政権が「政治主導」を掲げて官僚を極力排除してきた、その独善的体質や姿勢にあると言わざるを得ません。

 

システムとしての危機管理にはマニュアルが必要ですが、今度、特に原子力(核)発電所の放射能漏れを通じて日本の危機管理マニュアルの弱点や限界が明らかになりました。「福島第1原発の事故」は、チェルノブイリやスリーマイル島原発事故とは原因が違います。福島原発事態は事故によるものでなく、原子力(核)発電所が(自然からの)攻撃を受けて起きた重大な事態です。つまり、これからのマニュアルは事故によるものだけでなく、攻撃による破壊をも想定しなければならないことが明確になったことです。

 

中東の津波はアジアにも波及する

予測・想定外に起きるのは、地震や津波だけではありません。今年に入ってからの中東の事態を誰が予測できたでしょうか。中東で起きた〝津波〟が東アジアにどう及ぶか分かりませんが、歴史的な大津波をもたらした「3・11地震」も震源地は日本の領土の外です。マグネチュウド9の規模になったのは複数の地震が連動して起きたためでした。

金正日独裁体制や中国の軍拡路線が東アジアの深刻な不安要因となっています。テロリストの首魁ビンラーディンがアメリカの特殊部隊に射殺されましたが、この種の要因が加わりますと、どれほどの津波が発生するか予測はむつかしいです。しかし津波は目に見えるところまで来た時はもう遅すぎます。普段から充分に想定して備えねばならないと思います。

 

求められる行動

佐藤 菅政権は、限りなくゼロに近い落第点です。だから政治空白を覚悟で倒閣すべきなのか。しかし、緊急な復興が求められているとき、今、総選挙が妥当な選択肢なのかどうかです。選挙をやってよりましな政治家が現われる保証でもあれば別ですが、それも分らない。実に難しい局面です。

 

幕末の薩長連合が実現したときは、倒幕側に危機感、エネルギーとパワーが溢れていました。現在の日本の社会からは、菅直人、鳩山由紀夫両氏に代表されるように危機感もパワーも伝わってきません。伝わってくるのは自信のないうろうろとした表情だけです。また、いろいろ言う人は不足しませんが、しかしこの人達も肝心の行動がともないません。

当面、1000年に1度の災害の復興に集中するしか無いのかも知れません。だが、考えてみると、3・11大震災の復旧、復興だけでなく、日本の海岸、特に太平洋側はどこでも全海岸線をこれから高さ15メートルの津波を想定して災難対策を進めなければならないと思います。それは、まったく新しい生き方、文明を目指しての前進です。

更新日:2022年6月24日