北の哨戒艦攻撃は、起きるべくして起きた

対談・洪熒・佐藤勝巳

(2010. 4.30)

佐藤 韓国の哨戒艦「天安」を魚雷攻撃で撃沈したことを、北はいつもの調子で「デッチ上げ」と言って否定しています。青瓦台(大統領府)からは、事件当初の軍に対しての「証拠を出せ」「予断するな」というような信じがたい発言はさすがに聞かれなくなりました。

 問題は、北がどういう情況の中で韓国に攻撃を仕掛けてきたのか、です。これから韓半島に何が起ころうとしているのか。金正日政権はアメリカに向かって停戦協定を平和協定に替えようと、繰り返し提案していますが、今回の哨戒艦撃沈事件とこの主張との関連はどういう意味を持つのか、なども話し合ってみたいと思います。

 結論を先に申上げますと、不幸なことですが、事件は起きるべくして起きた、ということです。

 

中・朝間の国際認識に大きなズレ

 昨年、ミサイルと核の実験をして国連安保理で北に対する制裁決議が採択された直後に、北は、「ある国はわれわれの前では、われわれを支持し、国連では逆の態度をとっている」と言って、事実上中国、ロシアを名指して「裏切り者」と言わんばかりに批判しました。だが、中国は、北が今ミサイルや核実験で世界を敵にまわすことは、愚か者のやることだと腹の中では思っていると思います。国連において、中国が金正日のため中国自身が困るようなことをやるなどありえない話です。反面、北は宇宙は平壌を中心にまわっていると考えていますから、同調しない中国は「裏切り者」と映っています。

 中国経済は近年、否応なしにグローバルスタンダードという欧米のシステムとの繋がりが深まっていくしかないのが現実です。中国は19世紀以来味わった屈辱を晴らし、復讐するためには力をつけなければならないが、これからも暫くは国際社会との全面的な摩擦は避けなければなりません。ところが、北がやったことは、逆に鎖国、先軍政治、核ミサイル開発政策です。中国とは逆な路線をとっています。中朝間では国際社会をどう捉え、どう対応していくのかで、戦略的・戦術的に大きな差が生じているのではないのか、という印象を受けています。中国と北が生きる生態系は同じものでないと言えるのではないでしょうか。

 

佐藤 昨年末頃から金正日が北京を訪問する、する、と言いながら未だ実現していません。中・朝2国間で解決しなければならない問題も多いはずですが、今指摘のあった国家として、国際社会にどう対応して行くのか、アメリカの評価も含め、埋めがたい溝が生じ、調整に手間取っているのではないかと思います。

 中国から見ると、金正日政権は核ミサイルの開発に全てをかけ、国連の制裁決議に中国が反対しないから「裏切り者」呼ばわりをし、経済が行き詰まると「援助をしろ」と言ってくる厄介で面倒くさい存在だと思っています。また、中国の企業が茂山の鉄鉱石の採掘権(50年間)を北朝鮮から買いました。しかし、金正日政権が契約を実行せず、結果として中国企業が詐欺にかかったようなケースもかなりあります。やりたい放題です。中朝2国間関係でも緊張している問題を沢山抱えています。

 

自閉症的「先軍政治」

 北は、昨年、憲法を改正して「先軍思想」を国家指導理念に、国防委員会を最高権力機関にした。特に注目されるのは、党の作戦部や35号室と人民軍の偵察局などを国防委員会の「偵察総局」に集中させ、統合したことです。1960年代の「対南事業総局」を彷彿させます。組織を改編すれば何かやらねばならない。今回の哨戒艦撃沈事件はそういう背景も見逃すことは出来ないと思います。グローバルスタンダードなどとは無縁な、自閉的「先軍政治」の世界です。「偵察総局」はこれから韓半島の緊張激化の震央になるでしょう。 

 

裸の王様

佐藤 次に、「通貨改革」で分かったことですが、昨年6月の国連の制裁決議などで、経済が急速に行き詰まり物価が高騰し、通貨価値を百分の一に切下げ、市場の閉鎖を命じました。この一連の措置の中で、とんでもない事実が判明してきました。軍も党も傘下の商社を使って中国からモノを仕入れ、市場を通じ利益を得て、軍や党を維持していたことです。金正日の命令通り市場を閉鎖したら、党も軍も維持できなくなったため、金正日の命令が覆されて、完全ではないが市場が約2ヵ月で復活したのです。

 金正日の命令が通じなくなった。金正日は鳩山由紀夫氏と違って、深刻な危機意識を持ったと推測されます。ホンさんが指摘された国防委員会の組織改編に伴う成果主義と、特に金正日の場合は落ちた独裁者の権威を復権するためには哨戒艦を撃沈する必要があった、ということでした。

 

 北の経済的困難打開の道は、取りあえず、中国からの援助を手にするか、李明博政権から騙し取るかです。金大中・盧武鉉政権の時は、南北会談で援助を騙し取るのが北の常套手段でした。水面下で李明博‐金正日会談の話が進められていたことは間違いありません。4月16日の佐藤先生との対談「哨戒艦撃沈事件で、怖気づく青瓦台」で触れましたが、李明博大統領は、危機・緊張状況に直面すると怖気づく様子を見せます。韓国の哨戒艦を魚雷で攻撃したら、北の潜水艦基地を報復攻撃する姿勢の韓国政権でしたら、簡単に軍事攻撃をするでしょうか、出来ません。水面下でトップ会談の事を打診しながらも、金正日は李明博政権を甘く見て、脅したら屈服させられると考える。そして今回のような事件を起こすのです。もう一つ、共産主義の本質は、ご存じの通り強硬挑発のときはいつも対話などを平行させて相手側の油断を誘うものです。

 

深刻な体制危機

佐藤 今回の事件でいわゆる「唯一独裁体制」が存続する限り、野蛮的暴力性は変らないことと、こういう集団には力で対処する以外ないことも改めて明らかになりました。 李明博政権を見ていると、日本の進歩派が権力の中枢にいる、そんな印象を受けました。

 しかし、金正日政権の方は比較にならないほど体制的危機に陥っています。軍、党、住民のすべてが市場(資本主義)に頼って生存していることです。経済の仕組み(下部構造)は人間の考え(上部構造)に必ず影響を与えます。市場機能の拡大によって人民は金正日や党が示す社会主義文化でなく、ほぼ時差なしで流入された韓国の映画、流行歌などを秘かに楽しんでいることです。また、党の役職よりカネが力を持つ拝金主義が蔓延していることです。金正日独裁体制は文字通り体制的危機に直面しています。最近平壌側が警察にあたる「人民保安省」を「人民保安部」に変えたのも人民弾圧のためですし、哨戒艦攻撃は危機の反映に他ならないと見ています。

 

「天安」撃沈に賭ける金正日

 北は、先軍政治と言いながら、西海のNLL(海上北方限界線)で韓国海軍に何度も敗北を喫していますから、国内的には名誉回復を、そして韓国内の「従北勢力」(北の手先)を使って、だから緊張緩和のためトップ会談が必要と言わせ、アメリカに向かっては、停戦協定を早く平和協定に変える対話をと、中国には援助しないと何が起きるか分からないと恫喝をかけるなど、いつもの多目的挑発であると言えます。

 李明博政権内部やその周辺の金大中路線支持勢力、青瓦台の安保首席(金星煥)、統一秘書官(鄭文憲)、国民統合特補(金徳龍)、そして国策研究所である世宗研究所(宋大晟所長)などは南北トップ会談が開かれると言い切っていました。李明博政権を恫喝して援助を手にしなければならない危機が迫っているからです。

 

黄長燁氏来日の狙い

佐藤 韓国に亡命した元朝鮮労働党書記の黄長燁氏が、中井拉致担当大臣に招請され4月上旬アメリカからの帰りに日本を訪問しました。日本では拉致関係の国会議員などに会ったようです。会った人を取材して判明したことですが、氏の話の内容は拉致の話はなく、北を20年ほどかけて「中国式の改革・開放」に導く、ということに力点があったということです。金大中は金正日政権に援助して、黄氏は金正日を排除しての違いはありますが、太陽政策(援助)と言う点では同じものです。氏が韓国に亡命してきた時の主張とは明白に違っています。しかも今なぜ日本に来てこんなことを拉致関係者にしゃべる必要があるのか、です。

 日本は、ここ3年ほど拉致解決を北朝鮮外交の最重要課題と位置づけ、原則的態度を取り続けてきました。この日本の原則的態度は南北トップ会談を予定した李明博政権にとって歓迎すべきものではありません。黄氏の日本での言動は拉致関係者の失望を買ったようですが、黄氏の目的は、青瓦台から頼まれて、強硬な外交姿勢をとる日本にブレーキをかける任務を帯びた来日であったのではないかと推定しています。

 黄氏来日に道をつけたのは中井大臣・李明博大統領の兄、韓日議連会長の李相得議員ルートと言われています。ところが黄氏来日直前に哨戒艦撃沈事件が起き、南北トップ会談は難しくなりました。日本での黄氏の話に今ひとつ迫力がなかったのはそのせいではなかったのか、と思って見ていました。

 

韓国保守派と黄長燁氏の違い

 黄長燁氏は金正日の「首領独裁」を否定し、金正日死後の北は中国式の改革開放へ進むべきだと言います。「金氏王朝」3代目の後継体制を作るべき責任を負う忠誠分子からすれば、黄長燁が到底赦せない悪質かつ危険分子ということで「刺客」を送るわけです。

 黄氏の主張は、中国のように労働党の指導下で中国式の改革開放で北を救えるということです。黄氏のいう民主主義とは共産党の「民主集中制」のことで、労働党を解体どころが、中国式の改革開放を指導すべき主体ということです。だから、100年植民地の北を解放せねばならないと信じる韓国保守派とは、金正日の退場後の韓半島の進路に対して考えがまったく違います。 

 南北統一、北の解放は、共産党一党独裁を打破して自由を拡大することが前提です。労働党の存在を容認するなど論外です。

 

前途多難

佐藤 黄氏の日本での講演録を読んでも、中国式改革開放を繰り返し強調していますが、誰がそれを進めるのかに全く触れていません。中国式改革開放とは共産党指導の下に改革開放を行なうことです。諸悪の根源は共産主義の独裁にあることは多言を要しません。北の場合は労働党を基盤とする金正日個人独裁です。労働党の廃棄を認めるのかどうかがリトマス試験紙です。黄氏の中国式改革開放云々に対して参加者の誰からも疑問や質問、哨戒艦撃沈についても質問が出ていませんせんでした。要するに何が問題なのか、わかっていないということです。また、黄氏訪日の意味も知ろうともしていません。この水準で核や拉致が解決できるはずがありません。日本の前途は多難です。


< 解説>「NLL(海上北方限界線)」

停戦協定(1953年7月27日発効)には海上境界線は明示されていない。停戦当時韓半島の制空権と制海権を掌握していた国連軍が北側の全ての島々を確保していたためだった。それで停戦協定の発効直後、クラーク駐韓国連軍司令官が停戦管理のため一方的に設けた境界線がNLL。

国連軍司令官がこの事実を北側に通報した時、北側の明確な異議の提起もなく北側はこれを遵守した。北側は1973年から西海の韓国領土の白翎島など5つの島の周辺水域が北の沿海であり、この水域の航行のためには事前承認が必要だ、と主張して南北の艦艇が衝突する事故が起きはじめた。

1992年合意した南北基本合意書の11条に「南と北の不可侵境界線と区域は、1953年7月27日付け軍事停戦に関する協定で規定された軍事境界線と今まで双方が管轄してした区域とする」となっている。したがって韓国政府はNLLの侵害は停戦協定精神の違反として対処している(解説・洪熒)。 

 

▼ 1頁の写真は白翎島の位置

▼ 最後のページ右の写真は、海上北方限界線を拡大したもの。

▼ 左の写真は、西海の南北軍事力の現況。1~4は南北間海上交戦位置。4番が天安沈没場所。

更新日:2022年6月24日