米の対北・宥和政策転換の真相

対談 洪ヒョン・佐藤勝巳

(2008. 3. 7)

 

金正日・盧武鉉の連合工作

佐藤 06年秋ごろから米ブッシュ政権の対北朝鮮政策に変化が起きたというのが、専門家の一般的見方です。今日は、この一点に絞って話し合ってみたいのですが、日本では、ブッシュ政権が宥和政策に踏み切った理由は、大きく言って、イラクでの失敗と06年11月の中間選挙での共和党の敗北、の二つが挙げられています。洪さんはこの理由をどう考えますか。

 イラク戦争が上手くいかなかったというのは当たっていますが、時系列的に見ると、後で触れますが、中間選挙はそれほどの理由ではなかったと思います。日本ではブッシュ政権の政策転換の背後には、韓国の左派勢力の対米工作があったという事実、さらにアメリカの対韓半島政策が、対アジア・対中国戦略の次元で大胆に検討されていたという事実に、殆ど気がついていないようです。

 韓国左派政権は、北(金正日)に対して「圧力より対話路線に変えるべきだ」という働きかけを米政権の各方面に執拗に行なってきました。それに積極的に乗ってきたのが表面的には国務省です。

 国務省だけではありません。当時国家安全保障会議(NSC)のアジア担当部長だったビクター・チャは、自分が大統領に対北朝鮮政策の転換をするよう報告書を上げた、と言っています (Foresight、2007年6月号にインタビュー記事が載っている)。

 盧武鉉大統領とブッシュ大統領の首脳会談は、06年9月ですが、その時、ブッシュ大統領は、すでに予想以上の対北宥和路線を闡明(せんめい)しました。つまり、韓・米両首脳が合意した「共同の包括的接近方案」とは、北朝鮮が6者協議への復帰の条件を緩和し、韓・米など6者協議参加国はそれに相応する措置をとる、ということだったのです。

 ここで注目すべきことは、韓米首脳会談から1ヶ月も経たない10月に金正日が核実験をし、国連安保理の制裁措置が取られた直後、つまり、北の核実験のわずか2週間後に、韓米連合司令部の解体を決めたことです。

 金正日の核実験という挑戦に対して、常識的には考えられない決定がどうしてできたのか。たぶん、アメリカは金正日の行動(核実験)に反応したのではなく、金正日からの何らかの(裏の)メッセージに反応したのではないでしょうか。

 引き続きブッシュ大統領は11月のハノイ訪問中に、自ら金正日との終戦宣言の可能性にまで触れます。あえて、力ではなく対話路線を確認し続ける。それは核実験の前から、新しい戦略的構図が描かれていた、としか解釈できません。

佐藤 後で分かるのですが、核実験直後、金正日政権から在米韓国人を通じてブッシュ政権に「トップが中国に殺される可能性がある。助けて欲しい」という趣旨のメッセージが届いたと言われています。勿論、伝聞ですから断定は出来ませんが、同時に朝中関係の緊張が高まっていったことは客観的事実です。

 核実験を敢行したのは、金正日の非核化を目指してきた6者協議への挑戦であり、何よりもブッシュ政権の世界戦略に対する挑戦でした。それで国連安保理は全会一致で金正日政権に対する制裁を決議したわけです。

 なのに、ブッシュ政権の対応は、07年1月ベルリンでのヒル・金桂寛会談での対北経済制裁措置の解除を餌にした米朝秘密交渉でした。そしてこれが、翌月の「2・13合意」に突き進んでいくのです。

 問題なのは、この米・朝接触に盧武鉉政権が関わってきたことです。例えば、韓国の宋旻淳外務長官は1月の下旬、国会での答弁を通じ、韓・米が緊密に連携して北側と接触していると説明しています。すなわちこれは、韓国左派勢力の金大中政権以来の対米工作の「成果」であって、表では「米・朝」ですが、実態は、金正日・盧武鉉の連合勢力がブッシュ政権を工作し、説得したのです。

 

「南北政権がそこまで言うなら」

佐藤 今の話を聞いていて改めて思うのは、金正日政権が盧武鉉政権をオルグし、盧武鉉が米国務省などを工作するというのは、かつての日本も同じであったということです。自分たちに知識がないから、北の工作員である在日朝鮮人の話や総聯幹部の情報に簡単に騙された。ヒル国務次官補などを見ていると、加藤紘一・山崎拓氏らを彷彿(ほうふつ)とさせる。それにしても、韓国の左派政権の工作活動はあなどりがたいですね。

 だが、金桂寛は6者協議と無関係なバンコ・デルタ・アジア(BDA)の約30億円の黒い資金の送金問題を持ち出してくる。色々紆余曲折がありましたが、結局、アメリカは北側の主張を呑み、送金を認めたでしょう。あんな無茶苦茶な話はない。

 どうしてこんなことが起きたかと言うと、青瓦台や外交部の高官らが頻繁に米国を訪問し、対米接触(工作)をしたのが効き目があったのでしょう。これは、何も秘密ではなく、前述した韓・米首脳会談(2006年9月)に同席した青瓦台の秘書官などが書いた「韓半島の平和へのロードマップ」(『韓半島平和報告書』)の中に、彼らの戦略的意図や対米接触(工作)の方針と重点などが詳述されています。

 金大中政権は、左翼が権力を手に入れたものの、何もかも初めてで、対米工作も「未熟」だった。が、盧武鉉政権は左翼2期目ですから、豊富な情報と対米工作の要領が分かってきたという事情もあったと思います。

 また、アメリカ政府は、(南北韓の)当事者がそこまで言うなら、イラクも大変だし、ということで、「濡れ手に粟」というような感覚で宥和政策に切り替えられていったというのが、この理解し難い現状の背景にあったと思います。

 

米朝接近と中朝離反

 さっきのBDAの問題ですが、ヒル国務次官補は、北の黒い資金を中国銀行にある朝鮮貿易銀行の口座に移せば解決できる、と安易に思っていました。しかし、中国銀行が受け入れを拒否しました。あれで朝・中関係が緊張していることが隠せなくなった。米・朝の接近は、中国から見ると北朝鮮が中国から離反していく「裏切り」「背信行為」であり、容認できないという「帝国主義的(大国主義的)」論理が厳然と存在していることが分かります。

佐藤 北朝鮮の動きを見ていて前から感じていることですが、日本国内に北の手先を、アメリカ国内にもそれを使って工作していく。工作の仕方を見ていると、国会議員に対して「先生だけが頼りです」いう類の「殺し文句」をうまいタイミングで使う。

 現役を退いた元社会党の朝鮮問題特別委員長が北朝鮮を訪問すると、○○先生歓迎集会と称して2、3千人の集会を組織します。日本にいたら社会党の元代議士など訪問する人は決して多くありません。北朝鮮に行くと、党が集会を持ってくれる。それに若干のカネでも渡されれば、どんな要求が裏でなされても忠実に従うでしょうね。

 外交というのは、表の交渉など氷山の一角にしか過ぎないのであって、実は、水面下の外交なり工作が最も重要なのです。しかし日本はどこの国に対しても何もやっていない、と言っていいでしょうね。

 冷戦時代から今まで、日本はそのような骨の折れる「外交工作」の必要がなかったのではないか。しかし、韓国や台湾などは自国の安全を守るために、誤解を恐れずに言うなら、アメリカからの安保上のコミットメントの確保を必要としました。だが米国は、出来れば当該国に防衛を任せて撤退したい、というのが本音です。

 だから韓国(たぶん、台湾も)は米国に対して安保上のコミットメントを撤回しないように、あらゆる働きかけが必要となってきます。場合によっては、アメリカから武器を買うのにも、(米側が)簡単に売ってくれませんから、こういうことにも説得工作が必要だったのです。

 国の安全保障に極端な負担を抱えてきた、台湾・イスラエル・韓国などは、戦略的に情報収集や判断を誤ったら国の安保が危うくなります。真剣にならざるを得ないのです。端的に言って日本は、冷戦時代に(日本の安保の外堀である)韓国や台湾などの必死の対米外交(あるいは工作)のお蔭で、アメリカに対する「同盟管理」がすごく楽だった、と言えるのではないか。安保のための情報収集や政治工作をせずに済んだから。

 

戦略的意図を見抜くこと

佐藤 アメリカ下院で日本の「従軍慰安婦糾弾の決議」がなされ、その後ヨーロッパでも同じ決議がなされるなど、日本人から見れば「今頃どうして」どころか、理解不能な事態ですよね。また最近では、米政府の「テロ国家指定解除」の動きが顕在化して、関係者の間で大騒ぎになりましたが、洪さんの立場から見るとどんなふうに映っていますか。

 それが日本の文化の問題なのかどうか分かりませんが、また、いつからこうなったのかも分かりませんが、日本は、いわば受身の文化ですよね。ふつう、相手がテーブルに乗せたものに対応し、テーブルの下に何を置いてあるのか、後ろに何を隠しているのかにあまり注意を払わず、相手がテーブルに載せたことに対してのみ「いやそうではない」とかいう単純な反論、反応を示すように見えますね。

 「従軍慰安婦問題」や「テロ国家指定解除」の問題において、反論は必要ですが、文明社会の普遍的価値や秩序とか、そういう基準を基にして交渉に臨むより、相手が問題にしたことへの反応を中心に対応するケースが多いという印象を受けます。

 金正日政権にしても、米国にしても、何かを持ち出すときは、戦略的な意図というか、目標があるのです。だから、その戦略的目標が何かを捉えずに、「従軍慰安婦」があったか、なかったか、だけで反応すると、国際社会から見れば、日本は言い訳をしているとしか映らないかも知れません。

 金正日の狙いは、自分の指令で行われた「拉致」という国家犯罪を打ち消すためのカウンターキャンペーンなどの戦略的目的で、国際的に「従軍慰安婦」を利用しているのに、日本はそこが見えないか、分かっていながらそれには触れない。そんな印象がありますね。

 もう一つ日本にはお互いに顔を見合わせ、頷くことだけで意思疎通ができますが、それでは国外では通じませんね。国際的にはより戦略的、論理的に話すことが望ましいですね。

 

勝手な日本の主張

佐藤 「テロ支援国家指定解除」の問題はどう見ていますか。

 そもそもアメリカがなぜ「テロ支援国家」に指定したのかという問題があります。覇権国家は、国際法のみでなく、自国の国内法も国際規範化が出来ます。だから、アメリカは「愛国法」を武器に対テロ戦争を戦うのです。金正日政権もテロ支援国家の対象ですから、特にドルの偽造・流通までやったから、「解除」は常識的には説明が出来ません。

 米国務省はイラク戦争での読み違いなどの政治・軍事的な疲れから、金正日政権をテロ支援国家リストから外すと言い出した。金正日は何も変わっていないのに、金正日に対する評価や情勢分析や解釈を変えることで、自らの恥を隠すわけです。だから、ただ「解除は困る」と言うより、アメリカに、「テロ支援国家」指定の維持の名分を与える努力が必要でしょう。

 日本の対応は、熱が出ると熱を下げるという対症療法に終始している。発熱の原因は何かを追究し、対策を講ずるという姿勢が不足な気がします。正直に言って、日本の政治文化そのものがどういうものなのか、よく分かりません。

佐藤 専門外のことで自信はありませんが、1945年の敗戦は日本国民に色々な意味で自信を喪失させました。アメリカの占領目的は、日本軍国主義を殲滅(せんめつ)するというものです。他方、日本の左翼は過去の「帝国主義」の否定、占領軍と左翼の「日本軍国主義」否定という点で一致を見る。当時、日本共産党が米軍を「解放軍」と規定した時代でした。近代史の全否定ですね。

 その後の日本は日教組などの左翼が教育現場を握り、子供たちに徹底的に自虐史観を教えてきました。その実態はいまだ変わっていません。右のほうから歴史認識などをめぐって反撃の動きを示していますが、教育界を変えるまでにはなっていません。結局、私も含めてそれだけの力しかなかったということです。

 その結果、自信の喪失ですね。右顧左眄(うこさべん)する体質が身に付いたのではないかと思います。それから洪さんは言及しませんでしたが、最も重要なことは一人ひとりの国民が自分の頭で考えるのではなく、力のあるものになびく。これは軽佻浮薄(けいちょうふはく)であり、自我が未成熟だということです。

 それと困難に立ち向かう気概と気迫の欠如です。辛いことですが、このような国民的弱点を抱えている民族からは、自主的外交の戦略・戦術は産まれてきません。だからオドオドした言い訳外交に終始するのです。

 金正日が日本人を拉致したと認めているのに、5年間も解決できないでいることが、残念ながらそれを裏付けて余りあると思います。

 自分が「救う会」の会長として代表団をアメリカに送り出しておきながら、こんなことを言うのは矛盾しているのですが、日本の国内政治情勢を理由にインド洋から海自を引き揚げ、国際テロとの戦いから撤退しておいて、他方、ブッシュ政権の都合で「テロ支援国家指定」解除をしようとするのに、「拉致は現在進行形のテロだ」「リストを解除しないでほしい」と言う。

 日本はテロとの戦いから手を引き、アメリカだけにテロとの戦いを要求しています。これは余りにも勝手な言動であり、こんな誇りなき言動をわれわれは恥と認識すべきです。

 参議院で民主党が多数を占めた。そして恥ずべき現象が促進した。これも国民の選択です。国民の責任を不問にすることは出来ないと思っています。

 私は、アメリカの青年たちのイラクでの戦死を耳にするたびに、彼らの血でわれわれの平和な生活が守られているのではないか、と本当にそう思っています。

 なぜなら、もしあの青年たちが血を流すことを嫌ってイラクから引き上げたら、イラクや中東、世界はテロに支配されないまでも、間違いなく混乱するであろうと思っているからです。

 ブッシュ政権のイラク政策が万全であったかどうかは別にして、テロとの戦いにブッシュ政権と違うどんな手段があるのか。インド洋からの給油撤退は、人に血を流させ、その血の上で惰眠を貪る無責任な集団に成り下がったということです。民主主義諸国への裏切り以外の何物でもないと思っています。

 

平和は空気や水のように自然には存在しない

 戦後の日本は、アメリカが安保を保障していました。冷戦後期になりますと日本の政治は金丸・田辺コンビに代表される「国対政治」で済ませてきたという経緯もあります。それは何かが衝突すると、「足して2で割る妥協・馴れ合い」であり、摩擦を避けての「問題の先送り」という、与野党の「野合」のようなものの累積であると言えるのではないでしょうか。

 金正日の工作員が日本に来て日本人をさらって行く。これは、戦争じゃないですか。しかし、日本ではそう反応しませんでした。イデオロギーや価値観の衝突を取り敢えず消してきた国会対策的発想からは、安全保障という考えが生まれてくるのは構造的に難しいです。

 ですから、平和や自由を守るために人が血を流す意味や必要性が理解できない。平和や自由は、空気や水のように自然に存在しているという意識になる。それは現実と全く違うのです。日本も韓国も中東から石油を輸入して生活を維持しているのですから、石油を輸送するためにはシーレーンの安全を確保しなければならない。

 さっき指摘されましたように、日本はインド洋で安全を保障するための艦船の燃料を給油してきたのに、国内政治事情を理由に突然放棄したのです。我々の豊かな生活は、シーレーンの確保なしではありえないことを、未だ多くの政治家は理解できないでいるのでしょうか。

 韓国も事情はまた違いますが、予想もできなかった冷戦の遺産で混乱を経験しています。つまり、冷戦も総力戦だったので、その下では、政府がイデオロギー闘争の中心になったのですが、その分、民間のイデオロギー的免疫力は出来ていませんでした。そのうち共産独裁体制の政治心理工作により、免疫力の弱い韓国社会の左傾化が加速され、ついに、金大中・盧武鉉という親北政権が誕生しました。「失われた10年」という時代ですが、実は、左傾化はすでに全斗煥大統領時代から、ポピュリズム(大衆迎合政治)と共に始まったのです。

佐藤 長時間、興味あるお話有難う御座いました。

 なお、この続きにご関心のある方は、雑誌「正論」08年3月号に洪さんが韓国の政権交替の意味を書いた論文「現状固定を狙う金正日一味の“巻き返し”を許すな」が掲載されています。お読み頂ければより詳しくご理解頂けると思います。

更新日:2022年6月24日