目立ち出した張成沢の独走

佐藤勝巳

(2012. 1.30)

 

日本の「専門家」の多くは、北の権力移譲はうまく進行しているかのような話をしているが、現時点で朝鮮労働党並びに国家のトップも決まっていない。決まっているのは軍のトップだけである。

 

それなのに権力の移譲がうまく進んでいる、ということはどういうことか。金正恩は、父金正日がやってきた、党中央委員会や政治局会議などの党機関を開催せず、独裁政治への移譲がスムーズに行なわれているという話なのだろうか。正恩は、父金正日のように個人独裁を行う能力も実績もない。こう見てくると現在の北朝鮮には、権力の空白が進行中と言うのが実態である。それなのに「権力の移譲がうまく進んでいる」という話は、現実とあまりにもかけ離れた分析といわざるを得ない。

 

北朝鮮内において、最高権力者から数えて何番目に偉いのかを示す「序列何位」という言葉がある。北の政治を分析するとき、この“序列”は見逃すことの出来ない重要な要素である。金正日が死亡してからの張成沢の序列は注目すべき動きを見せている。この序列には、表面的なものと実質的なものと2種類ある。表面的なものは〇〇大会に幹部が参加したとき労働新聞などに公表される順番(序列)である。実質的な「序列」は、直近な例で言うなら、金正日の棺に誰がどの位置に立って送ったか、である。

 

棺前方右側には金正恩、その後ろに張成沢、左側前方には李英浩、その後ろに金永春であった。葬儀委員会の序列19位で、政治局員候補にしか過ぎない張成沢が、葬儀のときには妻である金正日の実の妹金敬姫をも飛び越えて、実質序列3位になっていた。葬儀委員会の名簿のトップは金正恩であり、他の子供は葬儀委員にも入っていない。一体誰が、金正日の棺を送るときの順番を決めたのか。

 

金正恩は、新年早々軍の指導に駆け巡っている。その中で大変注目される変化が現われてきた。正恩の現地指導に随行者のトップに労働新聞(1月22日)は、「朝鮮労働党中央委員会の政治局候補委員であり国防委員会副委員長である張成沢同志、朝鮮人民軍大将である金明国同志、金元弘同志、朝鮮人民軍中将の李・ドゥウソン同志が同行した」と報道した。

 

随行者の中で張成沢の党内序列が一番高いからトップに報道した、との解釈も可能であるが、金正日時代の随行者は、金正日の秘書室が選定したものに金正日のサインをもらって決めていた。これが踏襲されているとすれば、正恩の秘書は、張成沢がトップになるように案を作り、正恩のサインをもらったか、そうでなければ、正恩が張成沢を随行するよう逆指名したかであろう。

 

絶対権力者に随行することは、権力者の部下に対する信任の度合いを示している。これこそが実質的序列(信任)なのである。分かってきたとは、張成沢の存在がここに来てにわかに露出してきたことである。昨年12月25日、葬儀の直前に張成沢が大将の軍服を着用してTVに現われた。28日の葬儀では、金正恩の真後ろで金正日の棺を送り、金正恩の現地指導には随行者のトップになっている。

 

この現地指導の随行者を誰にするかを、誰がどんな規準と手続きで決めているのか。金正日の現地指導の際、誰を随行させるかは、前述した金正日の秘書たちといわれてきた。推測であるが、金正恩になってから、金正日時代の秘書は大幅に入れ替えられた可能性が高い。その根拠は、張成沢の突出ぶりだ。張成沢は金正日時代現地指導に随行していたが、その他大勢の一人として扱われていた。

 

張成沢は、かつて「党の中の党」といわれている「組織指導部」の事実上のトップである第1副部長経験者である。現職は行政担当(治安、監察関係)の「組織指導部副部長」だ。彼は、実務者を握らなければ組織を動かすことが出来ないことを熟知している党官僚である。だから、金正恩周辺の実務者を彼の子分によって固めた、と私は見ている。更に張成沢の強みは、金正日の「後継者」という“玉”を叔父という立場で手中に収めていることにある。

 

このたび文藝春秋から出版された五味洋治著『父・金正日と私 金正男独占告白』のなかで、正恩の腹違いの兄、正男は北朝鮮の国民の生活をよくする道は「中国式改革開放」しかないと言い切り、張成沢と近い関係にあることも隠そうとしていない。正男は、中国との関係について「監視か保護か不明だが、護衛されている」(同書)とも語っている。要するに彼は、中国に保護されているのだが、金正恩がこの本を読めば、張成沢に「利用されているのではないか」という疑念が当然わくであろう。張成沢の突出は、このような情勢の中で進んでいるのだ。

 

張成沢を快く思っていない勢力は、中国と金正男、張成沢の関係を「遺訓」に背くものと問題にするであろう。第1ラウンドは、張成沢がポイントを稼いだように見えるが、何がどう展開するのか、全く予測できない。断言できることは、権力の世襲どころか、空白が生まれたままであることだ。また、張成沢の突出振り一つ見ても「集団指導体制」などありえない絵空事であることが分かるであろう。

更新日:2022年6月24日