金正日、権力世襲の意思はなかった

佐藤勝巳

(2012. 2.13)

 

金正恩が父金正日の権力を世襲したことが事実かのごとく広く流布されているが、最近調べて違うのではないかと思うようになった。

 

金正日の言動

まず、金正日は後継者を金正恩と指名しなかったのは何故なのか、と素朴に疑問を感じている。本ネットで繰り返し指摘してきたように、金正日は朝鮮労働党規約に明記されている党大会や中央委員会総会を一度も開催することなく、独裁政治を行なってきたのだから、「俺の後継者は正恩だ」と宣告したら、独裁者金正日に反対する幹部などいるはずがない。

 

金正日は、金日成の後継者になったとき呉振宇人民武力部長(当時)をキャップに、延享黙(当時政治局員候補)を事務局長とするプロジェクトチームを編成し、数年間「帝王学」の教育を受けている。しかし金正日は、子供の誰に対しても後継者教育を施そうとしなかった。それは何故なのか。

 

次に、金正日が正恩後継説を否定していたことにある。2010年9月6日アメリカのカーター元大統領が中国の温家宝首相と北京で会ったとき、温首相は「金正日総書記が訪中した際、ジョンウン氏が権力を継承するという見方について、“西側の噂”と一蹴(いっしゅう)したと語った」とカーター氏が自分のホームページに掲載した(同年9月18日付韓国・朝鮮日報)というニュースが流れた。このニュースソースは、金正日、温家宝、カーターの実名入りのものであり、これ以上確かなものはない。

 

この報道を受けて、私は2010年9月24日付本ネットで「金正日、ジョンウン後継者否定」と、自分の考えも付して「ジョンウンへの後継はない」と書いた。

ところが同年9月28日、党大会に代わる党代表者会が終わるやいなや、正恩が大衆の前に顔を見せたこともあって、韓国から「正恩後継者に決定」との報道が洪水のように流れ出し、日本の専門家たちの多くもこれに合流した。

 

労働党の権力構造

しかし、正恩の党内の地位を見たら、これが見当違いの見方であったことが分かる。例えば、1980年に金正日が第6回党大会で公に登場したときは、政治局常務委員、党書記、軍事委員で序列4位であった。朝鮮労働党の権力は、政策を執行する政治局と総書記直属で、党の人事、組織を掌握・指導する書記局(10名)の2部署にある。従って、書記と政治局員の肩書きを持つ幹部こそが労働党内のパワーエリートなのである。

 

この規準で正恩の肩書きを見ると彼は、書記でも政治局員でもない、新設された軍事委員会の副委員長だ。金正日の後継者が権力中枢から遠いところに配置されている。父・金正日が後継者になったときと正反対の現象である。この事実は、金正日が正恩を後継者にする意思がないことを内外に表明した人事と見て間違いなかろう。労働党の権力構造を知っていたら、「正恩に後継者決定」に騙されなかったであろう。

 

しかし、正恩擁立派が、正恩をテレビカメラにアップで写させ、韓国には意図的に「正恩後継者に決定」とリークして、既成事実化を図った可能性は消せない。韓国メディアは、北の権力構造に知識が不足しているから、労働党の権力争い、暗闘にうまく利用されたという姿が浮かんでくる。金正日は本当にどこで死亡したのだろう。

 

息子に権力世襲させない

そしてこのたび金正日の長男、金正男にインタビューと長い期間をかけてメール交信をしていた東京新聞編集委員五味洋治氏が『父・金正日と私』(文藝春秋)という本を出版した。その中で正男は、金正日は「息子には(権力を)継がせないと繰り返しており、私も直接聞かされた」(19ページ)と五味氏のメール問い合わせに答えている。さらに正男は五味氏のインタビューに「三代世襲は社会主義理念とは合わないと、わたしは以前も指摘した。そういう選択をしたのは北朝鮮としても特徴的な内部要因があったと思います。そういう要因があったため、内部の安全と順調な後継を実現するため、三代世襲を行うしかなかったのではないですか。何よりも重要なのは北朝鮮の内部の安全でしょう。そういう理由で北朝鮮が三代世襲をしたなら、そうするのは北朝鮮としての役割でしょう」(前掲書108ページ)と、かなり率直に三代世襲になった理由を語っている。  

 

「北朝鮮内部の安全」とは、つまりは「混乱を回避するため」ということであろう。しかし、この点についての私の考えは、正男と異なる。私は、前述のように金正日が生存していれば正恩への権力継承はなかった、と考えている。金正日が死亡した現在、正恩が金正日の代わりを務めることは誰が考えても困難であり、北朝鮮内部の安全を保つのは難しいからだ。

 

張成沢・呉克烈の降挌の訳

私がそう考える根拠は、まず2010年9月の党代表者会での張成沢の序列問題にある。彼は、金正日が2008年夏)脳梗塞で倒れて、金正恩が後継者云々と取り沙汰され出した直後の2009年4月、国防委員会の委員になり、2010年6月副委員長に昇進している。そして金正恩の義理の叔父でもある彼が後見人となるであろう、と関係者の誰もが思った。

 

ところが労働党代表者会では、意外外や意外、政治局常務委員どころか政治局員でもなく、決議権のない同候補委員に留まった。今一人、国防委員会副委員長で軍の最重鎮の呉克烈元総参謀長が、ヒラの中央委員として発表された。この二人の序列は全く私の予想を裏切って低いものであった。それ以来私は、張成沢と呉克烈の二人が何をして金正日の機嫌を損なったのか、と関心を持ってきた。

 

ここから先は、私の推測であるが、張成沢と呉克烈の二人は、「正恩を後継者にしない」という金正日の考えに同意しなかったのではないか。代表者会は当初9月上旬開催と告示されていた。にもかかわらず、開催は28日と約2週間も遅れた。その理由はいまだ明らかにされていない。幹部の人事や序列の決定は最終的に金正日のサインが必要であるから、二人の序列の低さは懲罰措置と思わざるをえない。

 

代表者会の目的

子供に権力を世襲させないと考えた金正日は、党中央委員会を軸に、政治局が全党を指導していくための体制作りの第一歩として、2010年9月の党代表者会を開催したと考えられる。だが、党大会も中央委員総会も政治局会議も開催しないで党を破壊したのは金正日であることは天下周知の事実である。ここに来て息子に権力を継がせないと決めて、党機能の回復を考えるという、党と国家の私物化、独裁政治の見本であるが、次回の本ネットで、金正日がなぜ息子に権力を継がせなかったのかをめぐって、東京新聞五味洋治編集委員との対談で検討してみたいと思っている。

 

だが、独裁者金正日の死で事情は一変した。今まで、党、政府、軍のトップに君臨してきた独裁者金正日の死は、扇のカナメが飛んだのと同じ現象である。言葉を替えて言うなら、一瞬にして権力に空白が生じたのだ。これは彼らにとって大変な事態だ。だから慌てて正恩を軍の最高司令官に就任させたと思われる。

 

権力の空白をどう埋めるのか

例えば、空白を埋めるためには、党総書記を至急選出しなければならない。政治局常務委員会が中央委員会総会を招集し、投票で総書記を選出するだろう。トップを決めるには当然、政策が伴ってくる。従来のような先軍政治で行くのか、中国型「改革開放」に転換するのか、いやおうなく“食糧”の解決が問題になってくる。政治局内に意見の対立が生じた場合、多数決で決めるということになる。だが、現在の政治局員たちは、金日成、金正日の命令に忠実に従ってきたから、幹部になれたのであり、異なる意見の調整などの経験は勿論、発想すらない。北の政治文化は、常に「敵か味方か」「白か黒か」で、中間は存在しない。だから統治のために独裁政治が生まれた、という背景があるのだ。

 

不透明で何も見えない

張成沢が金正恩を前面に立てて突出して来たことは本ネット「目立ち出した張成沢の独走」(1月30日付)に書いた通りである。問題は、政治局員や書記クラスが、張成沢のこの言動をどう見ているのかである。張成沢は、前述のように正恩に権力を掌握させるためには、党中央委員会総会を開催し、正恩を総書記に選出しなければならない。国家のトップにするためには最高人民会議を招集し、トップに選出する必要がある。これで初めて形の上で権力の継承ということになるのだが、これは金正日に対する張成沢の反逆である。反張成沢派はこれを見過ごすのかどうか、現時点では何がどうなるのか、私の目には、不透明で何も見えていない。

 

反動的な権力世襲

親子三代の権力世襲など、これ以上の反動はない。ナンセンスの一言に尽きるが、今、世界の最大の関心はヨーロッパの金融危機やシリア情勢に注がれている。東アジアでの関心は、北朝鮮の独裁者の死で半島情勢がどう展開するのかにある。五味洋治氏の前掲書が15万部以上売れていると言うから、関心は低くない。

 

日本のメディアの主流は、北の権力継承はスムーズに進んでいると言うものであるが、これは能天気的過ぎる。他方、「救う会」の西岡力会長は、4月以降北朝鮮内部で、混乱が起きると断定している(救う会ニユース)が、起きて困るのは北の指導部と中国共産党、そして李明博政権だ。野田政権も内心困ると思っているから、昨年暮れ北京に赴き、茶番劇の6者協議再開を口にしたのだ。この動向に全く触れることなく、混乱云々は主観的で軽薄過ぎる分析である。

更新日:2022年6月24日