結局、病気は自分で治すしかない

佐藤勝巳

(2011. 6.27)

 

6月14日、腹壁瘢痕(ふくへきはんこん)・鼠径(そけい)の二つのヘルニア(脱腸)手術を受けるため東京都板橋区にある医療公社「豊島病院」に入院した私は、術後心配された幻覚症状もなく、6月20日に無事退院することが出来た。

今回の手術は、昨年末腹膜炎のとき、手術した傷口周辺の腹壁が風船のように膨らみ、そこに腸が入り込むのを塞ぐ手術であった。

 

昨年末入院したA病院も、今回入院した豊島病院も、病室は4人部屋で、ベッドとベッドの間はカーテンで仕切られているだけなので、室内の患者と医師、看護師、面会に来た人の話は、聞きたくなくても聞こえてくる。プライバシーのないところでの入院生活で、私はこれまで経験したことのない貴重な体験をすることになった。

 

とにかく「退院させて欲しい」

2010年12月25日A病院で手術した私の隣のベッドに、27日、ガンを手術した患者が移ってきた。彼はベッドに横たわってまもなく、看護師に「これから退院をする。その旨先生に伝えて欲しい。俺がいなかったら会社の資金繰りは誰も分からないため、従業員の給料が払えなくなる」と言っているのがカーテン越しに聞こえて来た。声の響きから50歳前後と推定された。

中年の女性看護師は「夕方、担当医が来ます。その時、直接話をして下さい。われわれ看護師に言われても……」と困惑しながらも、あわてる様子もなくゆったりと話している。私は自分の病気のことも忘れ、現実社会が病室の中まで追いかけてきている生々しさに息を呑んだ。 

 

翌朝、隣のベッドは空になっていた。すぐ新しい患者が入って、手術は31日に行なわれた。彼は、映画「男はつらいよ」の主人公“とらさん”の実家の隣の印刷屋の「タコ社長」を彷彿させる60代の小企業の経営者風であった。

その彼が1月3日頃から、執拗に「退院させて欲しい」と看護師に要請し出した。まもなく担当医がやってきて、「今退院したら生命に危険が及ぶ」と病状を説明して入院の必要性を説いたが、彼は無言だった。退院しなければならない、のっぴきならない事情があるのか、突然、「とにかく、先生退院させて下さい。お金がなくて入院費が支払えないのです」と言い出した。仕方なく担当医も、A病院が退院をさせたのではなく、自分の意志で退院する旨の文書に署名捺印することで、患者と病院の間で退院の合意が成立した。

 

ガン手術の直後、自分の治療を犠牲にして、従業員の給料を工面するため退院していった50代の男。主治医から治療を中断したら命の危険があると告げられても、なお退院しなければならなかった60代の男――。年末年始の病院で、偶然とはいえ、もれ聞こえてきた不景気の深刻さに、自分の病気も忘れるほど、私はショックを受けていた。

 

患者の責任

話を元に戻す。二つの病院では、休日を除く毎朝、医師の“回診”が行われた。この回診は、担当医が上司の医師に担当患者の病状を報告するという“儀式”のようなものなので、患者が医師に質問できるような雰囲気ではない。だが、回診とは別に主治医は必要に応じ、担当患者のベッドを訪問してくるので、そのとき当然病状について会話がなされる。ところが、患者から医師に対して質問が殆どなされていない、ということに暫くして気づいて、愕然とした。

 

 A病院の同室者に、24時間点滴をしているBさんという患者がいた。あるとき私が「Bさん、なんの点滴ですか」と尋ねると、「胃ガンの手術をしたのだから、抗ガン剤かも知れない」という。「手術前のステージはいくつと言われましたか」と聞くと「そんなことは聞いていないから分からない」「手術は成功されたのですか」「聞いていないから分からないが、術後2ヵ月間点滴を続けている」というのだ。自分の病状や治療について関心を示さないBさんの態度は、私には全く予想外で、びっくりした。

 

また、A病院の同室の胃ガン患者Cさんの手術の前日であった。担当医が手術の説明を、病室の中で患者と家族に行なっているのが聞こえてきた。私も4年半程前に別の病院で胃ガンの手術前日に、担当医から説明を受けたことを思い出していた。私の場合、手術の結果、切除した胃を調べたら思ったよりガンが進行していて、抗ガン剤TS1を2年間服用した。服用が終った直後、腸の内視鏡検査を行なったら8ミリの悪性ポリープが出来ていることが分かった。勿論カットしたものの、このときからガンは切除すれば治癒すると信じていた私の認識は激しく動揺した。抗ガン剤を服用していたのに腸にポリープが出来たということは、素直に考えて、抗ガン剤は全く効かなかったのではないのか。

 

ガン手術患者の50パーセント近くが5年以内に死亡

「現代医学でガンは本当に治癒するのか」という疑いを常に感じながら、再発しないと信じて暮らしていた私は、2008年11月27日発売の『文藝春秋SPECIAL』(季刊冬号)に依頼されて、病気とは関係ない随筆を書いた。雑誌が送られてきたので、ぱらぱらとめくっていると、元・都立大塚病院副院長、千葉大学医学部臨床教授済陽(わたよう)高穂氏の「がん再発を防ぐ食事法」という論文が目にとまった。

「私は消化器が専門の外科医です。三十年間に四千例以上の手術をし、その後……消化器がんの症例千四百二例について術後成績をまとめてみたのです。その結果を見て愕然としました。 五年生存率で、五十二パーセントの患者さんは生還を果しましたが、残り四十八パーセント、およそ半分の患者さんが五年以内にがんを再発し、亡くなっています。

手術という身体に大変な負担を強いる治療を受けても、その半分しか助からないという現実。完全にがんの病巣を取ったと思っても、数年でがんが再発しまた入院してくる。外科医として私は打ちのめされました。どうすればよいのか悩んでいた…… 」という下りで、思わず私は「えーッ!」と驚いて、息が止まりそうになった。

 

自律神経免疫療法

済陽(わたよう)氏の論文に衝撃を受けた私は、それから真剣に新潟大学の安保徹医学部教授など現代医学のガン治療に疑問を持つ研究者や医師たちの出版物を読みあさった。その結果、ガン治療、特に、手術などを受けたガン患者のガンの転移、再発に対して現代医学は対処方法を持っていないことを知ったのだった。インターネットで調べていくうちに、『がんを治す「仕組み」はあなたの体のなかにある』(現代書林刊)の著者、「素問(そもん)八王子クリニック」院長真柄俊一医師にたどりつき、「自律神経免疫療法」を受けて、ガンを克服に努めてきた。

 

こうした私の問題意識から、A病院の医師は、ガンの手術を受ける患者Cさんにどんな説明をするのか大変興味があった。要約して言えば、手術の手順の説明に大半の時間を費やし、「1ヵ所難しいところがあるが、そこは執刀医の腕の見せ所だ」ということで説明は終った。医師が部屋から出て行くと、「何となく納得がいかないんだなあ……」とCさんがつぶやいている。Cさんは手術の翌々日、集中治療室で亡くなった。

 

人間の神秘性

上述のように私も、ガンは切除すれば治癒する、と根拠もなく現代医学を無邪気に信じていた多くの患者のなかの1人であった。手術直後から2年間、抗ガン剤を服用していたのに、腸に新たにポリープが出来た。この事実に直面、慌てて関係文献を読み、2年3ヵ月前から「自律神経免疫療法」と食事療法を選択したのだった。8月になると手術後5年が来る。検査の結果、「当面、転移や再発の可能性は低い」というところまでたどりつくことができた。

 

私の妻は骨粗鬆症による圧迫骨折でA病院に入院し、寝たきりの状態に近くなった。担当医から手術を勧められたのが2月上旬であった。長男は大学のスポーツ学科で筋肉トレーニングの勉強をしていたこともあって、すぐ医師に面会、母親に必要なのは手術よりも筋肉トレーニングではないかと問題提起をするー方、母親にはベッドの上で寝たまま出来る筋トレを考え、医師の了解のもとで指導した。妻は、腰痛は簡単に取れなかったが、歩行はたちまち可能になった。私と長男は担当医、そして妻と何度も話し合、最終的に、手術ではなく、筋トレで回復を図る道をわれわれは選択した。退院時100歩しか歩けなかった妻が、現在2000歩まで歩けるようになり、近くのコンビニに買い物に行けるようになった。数ヵ月前まで、妻の口に食事を運んでいた私から見ると奇跡のような変貌である。

 

迷惑を掛けない旅立ち

この背景には、長男が毎週の休を利用、われわれを訪問、妻の筋トレを指導し、マッサージを繰り返し施してきた努力があったからだ。長女は介護の申請手続きや電動ベッドの貸与、買い物、家の中の整理整頓、週2回ほどいろいろ煩雑な仕事を処理してくれた。精神的なサポートも含めわれわれ夫婦は2人子供の援助がなかったら、どうなっていたか。高齢者の最後は、出来るだけ人に迷惑を掛けず、健康で、旅立つ道の創造にあるということを改めて痛感させられた。

 

人間の体はそれぞれ異なり、緻密かつ複雑、精神と肉体が相互に作用しあって凄い生命力を発揮したり、しなかったりする神秘的な存在である。妻の例は偶然かもしれないが、同時に、現代医学に無条件で依存するのも如何なものかと思われる体験でもあった。

 

自分の病気になぜ無関心なのか

患者が医師に対して病状などについて質問しないのは、病気への関心が薄く、あまりにも容易に医師に頼りきっているからではないのか。結果として、自分の命を粗末にしていることになるのではないか、という印象を拭いきれないでいる。

 

われわれの周辺にはガンの罹患者が沢山いて、抗ガン剤などを使っても死亡している例は珍しくない。それなのになぜBさんのように自分の病気に無関心でおれるのか。豊島病院でも医師に、自分の病状を質問する患者はまれだった。この現実は何を意味するのだろう。また、ガン治療の最前線で執刀している医師たちは全国に沢山いる。前述の済陽(わたよう)高穂氏のようなことを誰も感じていないのだろうか。これらの諸現象は、人間の生き方として「自主的」に生き、現実から学ぼうとしない愚衆社会の現われなのか。それとも資本主義の利益追求の中で起きてきている「豊かボケ」ということなのか、現在のわれわれに重大な問題提起をしていることは間違いないと思う。

 

今回、「腹壁瘢痕ヘルニア」がどんな病気かよく分からなかったので、3人の医師に別々に発病の原因、形態、処置など質問し、ようやく理解することが出来た。さらに手術前に外科、麻酔科、薬剤科の担当者に幻覚症状の経緯を正確に説明、三度起きないように要請と提案を行い、幻覚、幻聴を回避することが出来た。

 

自滅政策を採ってはならない

私が知ることにこだわる理由は、何よりも自分の病気であるからだ。82歳になって全身麻酔で3時間を要する2ヵ所のヘルニア手術など再びしたくない。また、高齢者は保険財政を圧迫しないための自助努力が必要というのが持論であるからでもある。

繰り返し書いてきたことであるが、生活習慣病の激増で医療費がかさみ、国と地方財政を破綻に追い込みつつある。その背景には、高齢者に代表される国民の医療制度に対する甘え、病気や薬剤に対する無知、無自覚がないのだろうか。現在の医療機関や製薬会社は、この患者の無知、無自覚を利用して利益を追求している、という側面がないと言えるのだろうか。

 

政党は票が欲しいから、高齢者などに迎合して医療福祉分野の「作業仕分け」をしないで、最近は「税と福祉の一体化」改革の中で増税などと言い出している。国民の生活習慣を変えれば、医療費は二分の一以下に削減できるはずだ。税金の無駄遣いをこれ以上続けてはならない。

 

シンプルで、厳しく、困難なもの

ここ数年間、胃ガンとの戦いから得たものは、現代医学の進歩は目覚ましいもので、その恩恵に浴する部分は大きいが、結局は、「ガン(生活習慣病)は患者の判断と行動で治すもの」ということを知ったことだった。

われわれは健康で他人に迷惑を及ぼさない生活するためには、一定の勉強と食事についての規制など最も困難な生活習慣の改善が必要不可欠であることも、あわせて教えられた。

更新日:2022年6月24日