随筆 危機

佐藤勝巳

(2010. 8.26)

 

この静けさはなんだ

 古い友人2人と会うため、7月14日川端康成の小説『雪国』の舞台となった新潟県越後湯沢町と長岡市の中間にある上越新幹線「浦佐駅」(うらさえき)に下車した。私のほかに降りた人は3人ほどしかいなかった。平日だから人が少ないなと思いながら駅舎を出て、外で新潟から車で来る友人たちを待つことにした。

 駅前広場には人影はもちろん、バスも自家用車、トラックも走っていない。この緑の中の「静けさはなんだ」と立ちすくんだ。まるで映画に出てくるゴーストタウンに来たような錯覚に、ー瞬とらわれた。

 

参議院選は終った

 突然、携帯電話が鳴った。某参議院議員からであった。

 私は2年前に現役を退いたが、現役時代は選挙のたびに拉致関連議員の応援に方々に行って、車の上から支持を訴えてきた。しかし、7月11日に行われた参院選挙は、肉親、友人、知人、趣味の仲間などに直接候補者の名前を上げ投票を依頼した。その過程で有権者が何を考えているのかが分かり、教えられることが多かったという感想を議員にメールで送った。それについての電話であった。

 

 選挙の話が終わると、議員は「近く、韓国からキム・ヒョンヒさんが来日するという話ですが、何をしに来るのですか」と訊ねるので、「拉致の新しい情報はないはずです。何のために呼ぶのか分かりません。大臣の人気取りではないでしょうか」とこたえ、併せて拉致救出は相変わらず困難な情勢であるとを伝えて、電話を終わった。

 

人影の見えない農村

 まもなく友人の車が到着した。昼食をとる予定のそば屋に向かったが、あいにく店は定休日。どこかにそば屋ぐらいあるだろうと思って走った。尋ねようにも、町の中には人影が見えず、聞くことも出来ない。ようやく人が見えた。車を近づけ食事の取れるところを尋ねようとしたが、東南アジア系の女性で日本語が通じなかった。

 

 仕方なく宿泊予定地の大湯温泉(魚沼市上折立)を目指すことにした。国道の両脇にある段々の田んぼには、まもなく稲穂を実らせるであろうコシヒカリが太陽に向って青々と茂っていた。周辺に点々と農家が見える。すれ違う車も殆どなく、いつごろから地方はかくも閑散としてしまったのだろうかと考えていた。

 

貯蓄率日本一の街

 十数年前に、国民1人当たり貯蓄率全国ーの愛媛県伊予三島市(現四国中央市)に講演で訪れたことがあった。講演が終わった翌日、大王製紙の工場や市内を見てまわった。日本で有数な豊かな町がどんなたたずまい(顔)をしているか、見ておきたいという思いがあったからだ。

 ー番印象に残ったのは、東京都周辺のベットタウンと違い、高級木材に白壁を配した落ち着いた住まいの多いことであった。さらに驚いたのは、大王製紙の年間燃料消費量(約100万トン)と北朝鮮のそれ(130万トン)と、あまり変わりなかったことであった。日本が凄いというべきか、金正日政権が凄いというべきか、考え込んでしまった。

 

凄い地域格差

 その数ヵ月後、土佐の高知市に講演に赴いた。坂本竜馬の銅像に案内されたが、当時はさほど竜馬に関心がなかったこともあり、銅像より周辺の松の木の立ち枯れが気になった。ところが同じ四国なのに、鰹の1本釣りで日本有数の漁港をもつ高知市郊外の農村は全く手入れがされず、垣根が壊れ、壁は崩れ落ち、人影もなく荒涼としていた。鰹の乱獲で漁獲量の低下によるものと聞かされたが、地域格差の激しさに目を見張ったことを記憶している。

 

 数年前、和歌山県那智勝浦で拉致の集会に参加するため白浜空港から串本など南紀を車でまわったときも、その農村風景が高知市郊外と酷似していることに驚いた。咄嗟に「今日の集会は大丈夫か」と不安がよぎった。しかし、NHKが催す素人のど自慢大会のときよりも、沢山の人が拉致問題に関心をもって集まってくれた。

 

大湯温泉

 地方が疲弊していると言われて久しいが、車窓を過ぎる魚沼市の農村風景も貧しく、伊予三島と高知の中間ぐらいと思われた。民主党政権はばら撒きの目玉のーつとして、農家に戸別補償をするというが、魚沼市の農家も補償されるのか。されるとすればその基準は……などと考えているうちに、ようやくそば屋が見つかった。

 

 目的の大湯温泉「ホテル湯元」についたのは午後2時ごろであった。友人によると、大湯温泉は奥只見(おくただみ)の電源開発に伴って出た温泉で、隣の湯沢温泉などに比べると新しいのだという。「奥只見ダム」は、福島県と新潟県にまたがる阿賀野川水系上流に建設されたダムで、黒部ダムと並んで有名である。1953年に着工し、1960年に完成している。発電能力は56万KW。東京など首都圏に電力を供給している。

 

奥只見ダム

 この奥只見電源開発をテーマに、作家三島由紀夫は、ダム設計技師の青年と人妻の出会いから破局までの愛の軌跡を『沈める滝』という小説に書いている。また、奥只見湖(正式には「銀山湖」)をこよなく愛した作家開高健は、釣り師としても知られており、小説『夏の闇』をこの湖畔に2ヵ月間宿泊して仕上げたものだという。「越後三山只見国定公園」に指定され、観光地としても有名である。大湯温泉は、奥只見ダムの完成後、観光客をダムの方に取られてしまい、かつての賑わいはなく、いつ終わるか分からない不況にあえでいた。

 

寂れる集落

 ホテルの5階の部屋に入り、窓を開けたら、かつて高知市郊外で見かけた農村よりも、さらに寂れた風景が飛び込んで来た。民宿に毛が生えたようなホテルの窓枠すべてが錆び付いている。隣の家の垣根は壊れたまま、板が落ちて壁の地肌が見える。若者はここでは生きてはいけない。都会を目指す。だから人影が見えない。集落に迫っている山の緑だけが、やたらに黒々と見え、集落の貧しさをー層際立たせていた。

 

 大きな浴場と露天風呂が売りのホテルは、数年前まで1泊2食で1万2000円だったが、熱海の大きなホテルが買収し、1泊2食いずれもバイキングに変え、夕食はビールと日本酒が飲み放題で7000円だ。5階のエレベーターホールから外を眺めようとしたが、窓ガラスが汚れていて、よく見えなかった。

 

笑いのないバイキング

 夕食のバイキング会場に、結構な数のお客がいたのに驚いた。水曜日ということもあり、お客の大半は70代以上の高齢者夫婦か、われわれのように友人と連れ立って来たと思われる人達だった。赤ちゃんや小中学生、青壮年層の姿の見えないホテルでのバイキングは、私にとって初めての体験だった。

 

 座るところがなく、私1人中華料理の丸テーブルに座った。同じテーブルに3組の夫婦がいた。言い合わせたように、夫はビールや銚子の酒を黙々と傾けていた。奥さんは、所在なさそうに料理を食べている。夫婦の間に殆ど会話がない。長年、毎日顔を合わせてきて、温泉宿に来てバイキングを食べたからといって、夫婦の話題が弾むはずがないということなのか。

 

 周囲に人が沢山いるのでわれわれは政治の話は控えなければならない。3人ともアルコールは飲まないから、美味しいコシヒカリとアサリの味噌汁、山菜の煮付けなどを皿に取り分けてきて、これまた黙々と食べた。おしゃべりもさんざめく様子もなく食事をするバイキング会場は、物憂く沈滞している。その様子は、活気のない日本社会の現状にそっくりだと私には思えた。

 

死人の目

 ある在日朝鮮人が1980年代初め北朝鮮を訪問した。北朝鮮の一般大衆の乗車している列車と、在日朝鮮人が乗車している寝台車が、ある駅でホームをはさんで止まった。ところが一般大衆は、寝台車の乗客に一切好奇心を示さず「はっきり遠慮なく言わせてもらいば“死人の目”を私たちに注いでいるだけなのだ……暗くじめじめしていた。私は、彼らの視線に、人生に対する諦め、深い失望、強い欲求不満と言うものを感じないわけにはいかなかった」(金元祚著「凍土の共和国」34頁、亜紀書房刊)と記している。私はその後「死人の目」を、モスクワ、北京、ワシントンでも見た。

 幸い日本の劣化はそこまで人間性を破壊していない。この国に希望が持てるとすればこの一点ではなかろうか。

 

龍宮城の終焉

 日本国民の預金高1500兆円で、今年度の予算額は92兆円という日本は、国連が世界ー豊かな国だと評価しているところだ。確かに、食糧不足で餓死している人がアフリカなどには沢山いる。そういう人達から見れば、食べたいものを自由に口にし、ビールや酒を飲みたいだけ飲める日本の現状は龍宮城にもひとしい光景かもしれない。だが、好きなだけ飲めるお酒があるのに、どこからも笑い声は聞こえてこない。滅び行く龍宮城の終焉に立ち会っているような気がし出してきた。

 

この国はどうなる

 われわれの年代の人間が集まると病気が話題の中心となるのが普通だ。睡眠時間を除き、3人は十数時間話し合った、その殆どは、「この国は大変なことになっている。政治はどうなるのか。鳩山は論外として、菅は大丈夫か。小沢一郎復活の可能性は」「自民党のあのだらしなさの原因は何か」「蓮舫候補の171万票は何を意味するのか」「立ち上がれ日本は思ったより振るわなかった。理由は何か」「政界再編はあるのか」「明治維新のようなことが期待できるのか」などなどに終始した。

 

 3人は数十年来の友人である。誰に気兼ねすることもなく、思っていることを率直に話し合った。拉致は殆ど話題にならなかった。久しぶりに充実した気分になり、再会を約し、元首相田中角栄氏の銅像が建つ浦佐駅で分かれた。

 

地方経済は酷い

 帰りの新幹線の中で、昨日見た異様な「静けさ」と寂れた光景が思い出された。バブルが弾けた90年代半ばから感じていたが、新潟市のメーンストリート古町も閉めた店が多い。講演などで地方に行くたびに、繁華街でシャッターを下ろした街が増えていった。首都圏は例外で、それ以外の日本は日を追って不景気になり、決定的な追い討ちをかけたのがリーマンショックだった。

 

経済の活性化を急げ

 デフレを止めることが焦眉の課題だ。デフレは相対的にカネの価値が上がり、モノの値段が下がることで買い控が起きる。消費が進まなくなるからモノの値段がさらに下がる。われわれの宿泊した周辺の、弱小ホテルは早晩閉鎖されるであろう。同じことが、あらゆる分野で起きているのだ。それなのに民主党は、子ども手当で経済の活性化を図るという。余りにも軽い、現実を何も分かろうとしていない政党だ。

 この悪循環を断ち切るのは、素人の考えであるが、貨幣の価値を下げ、相対的にモノの値段を上げるしかない。紙幣を多く刷って政策的インフレを採用すれば、人はモノを買うようになる。基本的にはデフレを止めるのに、これしか方法がないのではないのか。

 

国家財政の危機

 2007年度の国民医療費総額は約34兆1000億円。このうち国が約4割を負担するのだが、国の税収は38兆円と比較したら、国民医療費は危険水域をはるかに超えている。高齢者はますます増え、生まれる子どもは減っている。随所に見られる寂れた集落の背後には、国民に生活習慣病が蔓延し、医療費が国家・地方財政を脅かしている危機の現われに他ならないのだ。

 

高齢者の覚醒期待

 財政危機の解決は、国民が医療機関に通わないですむように生活習慣を変えること、これが最優先課題である。具体的には歩くなど体を動かすことである。今からでも遅くない。それは政治のリーダーシップと高齢者の自覚ですぐ実現することが出来る。

 

 高齢者は、直接生産に関与出来ないが、体を動かすことで赤字財政の克服に寄与できる。880兆円もの天文学的な累積赤字(赤字国債)を子ども達、次世代に残してはならない。これはわれわれ高齢者の最低限の義務であろう。高齢者の怠惰な生活態度と、社会に対して甘えが、財政危機を招いていることを直視すべきであろう。

更新日:2022年6月24日