随筆・朝青龍ショック

佐藤勝巳

(2010. 2.12)

 

 今回の朝青龍引退騒動の中で最も印象に残ったのは、「(日本は)民主主義の国と思っていたが、社会主義国と変らない」とNHKの取材につぶやいていた朝青龍の一言であった。これを見ながら、異なる文化と歴史を持つ人たちとの交流の難しさを改めて考えさせられた。

 

民族性は容易に変らない

 私が付き合ってきた在日韓国・朝鮮人の多くは朝鮮半島生まれの1世である。彼ら一人一人の性格はみな違う。日本名を使用しても、発想、価値観、自己主張の仕方、歩き方、食べ物の嗜好にいたるまで、1枚の絵を見ているような(文化)感じがした。外国人から見た日本人も同じなのだが。

 朝青龍もモンゴル生まれの1世である。朝青龍について前々から横綱としての「品格」を問題視する声が日本社会にあった。私の経験からすると、彼ら(外国人)にそれを求めるのは、求める方が無理を言っているという思いがあった 。  

 日本には、「実(みの)るほど頭の下がる稲穂かな」という言葉がある。人間に謙虚さを求める価値観である。こんな価値観を肯定しているのは日本だけではないのか。故人となった元毎日新聞モスクワ特派員の吉岡忠雄氏は、「ソ連において偉くなることは威張ることだ」と喝破していたが、この言葉は北朝鮮、モンゴルなどアジアに大体当てはまる。

 

価値観の衝突

 朝青龍は幕内優勝25回、史上第3位。注目度抜群、角界を背負って立っている感じがあった。彼は、「横綱が威張って何が悪い。酒を飲んで街のチンピラを張り倒して何が悪い」と今でも思っていると思う。

 だが、日本は「偉くなったら何をやっても許される」という社会ではない。暴力を振えば横綱、首相といえども現行犯ならその場で逮捕される。違法行為が確実視されれば、田中角栄元首相でも逮捕する。今、注目の民主党小沢一郎幹事長も脱税容疑が固まれば逮捕の可能性は十分にある。日本は「法の前に平等」というアジアでは異質な国なのである。

 モンゴルは旧社会主義国であったが、偉い人が、偉くないものを殴っても、逮捕など間違ってもされない。金正日の側近が、金正日に反対しない限り、法律などいくら踏みにじっても、逮捕など100%ありえない。 朝青龍はそういう社会と文化の基で生まれ、育っている。

 相手が土俵を割っているのに土俵下までわざわざ突き飛ばす。勝つと派手なガッツポーズをし、「ザマ見ろ」と威嚇する。相手が土俵に手をついているのに足で蹴飛ばす。「池に落ちた犬は棒でたたけ」式の土俵態度が、「品格がない」という表現で批判されていたのだ。そこに場所中の暴力行為が顕在化し、批判は一挙に高まった。

 モンゴルでは問題にならないのに、日本では引退にまで追い込まれた。朝青龍が意識しているかどうかは別にして、今回の引退事件の背後には、文化、価値観の衝突があったことを見落としてはいけないと思う。

 

 この事件を通じ「品格」とは何かが改めて話題になっているが、相撲業界に外国人を迎えるに当たり、朝青龍のような強い力士が現われ、横綱になり物凄い成績をのこし、彼の価値観で思い通りのことを始めた。それが日本人の感情や価値観を逆なでして、反発を呼んだ。文字通り文化摩擦なのだが、相撲業界の誰もがこんなことが起こるなど予想もしていなかったに違いない。

 

 朝青龍の運動神経は誰も認めざるを得ない優れたものである。土俵上では闘争心むき出し、立会い前のにらみ合い、立ち会った瞬間の張り手などは、双葉山時代とは異質な文化が土俵に登場してきた。その存在感他を圧していた。朝青龍ファンが意外に多かったのは、日本の伝統文化にない、荒々しさに魅せられた側面があったのではないか。朝青龍は当然自分の言動が支持されていると理解した。そして俺の相撲で、親方も相撲協会も収入が増えている。相撲界への貢献度抜群という自己認識が作られていっただろう。たかがチンピラ1人を張り倒したぐらいで「引退」に追い込まれるなど想像もしていなかったはずだ。だが、朝青龍はカネを産む土俵を失った。朝青龍は何がなんだか訳が分からず、混乱に陥っているのではないかと思われる。

 

日本的民主主義

 朝青龍に対して、親方や相撲協会はもっと教育すべきだった、という指摘が多くなされている。相撲は白星が支配する世界である。仮に指導しても、白星の原動力である朝青龍の激しい気性と価値観は指導など受け付けなかったと思う。あの親方だったから横綱朝青龍が生まれたので、厳しい親方なら相撲を辞めていた可能性がある。

 

 彼は、日本を「民主主義社会と思っていた」と発言したが、騎馬民族のモンゴルと違って、日本は移動しない農耕民族である。神代の時代から、狭い農村社会で生活して来た。生活の知恵でストレートな表現を避け、間接話法が確立され、批判は言外に匂わせるだけ。それで和を保ってきた。近代になって日本文化の上に民主主義制度が持ち込まれた。 外国人、特に相手を徹底的にやっつける、騎馬民族の末裔、そして社会主義国で育った朝青龍にこの微妙さを理解させるのは不可能に近いと思う。

 

 親方や相撲協会幹部は、朝青龍にストレートに物を言わず、日本的接し方をしたことはほぼ間違いない。 つまり、全く会話が成立していなかった可能性が高い。この推測は、私が約50年間に亘り韓国・朝鮮人と付き合ってきた経験から引き出された推測であるが、相撲業界は、国際化の中でこの文化摩擦にどう対処していくのか、大きな課題を突きつけられたと言える。

 

民族的英雄、力道山

 1945年8月の敗戦直後、相撲界に「力道山」(1924年11月14日~ 1963年12月15日)という力士がいた。1950年9月相撲を突然廃業したが、その時は関脇であった。

 彼は相撲をやめた後、プロレスラーに転向、日本に初めてプロレスなるビジネスを持ち込んで成功した、歴史的人物である。

 1953年、日本でテレビがはじめて放映されたのと重なって、敗戦で白人コンプレックスに陥っていた日本に、白人レスラーを空手チョップで次々と倒し、たちまち民族的英雄となった。彼の最絶頂期は「1963年5月24日、東京体育館で行われたWWA世界選手権・ザ・デストロイヤー戦は平均視聴率で実に64%を記録、これは今日においても歴代視聴率4位にランクされている。現代に例えると2002年の日韓サッカーW杯の日本―ロシア戦の66.1%に匹敵するものであり、いかに力道山の人気が絶大であったかがうかがえる」(フリー百科事典「ウィキペディア<Wikipedia>」)

 

悲劇の力道山

 私が、力道山が北朝鮮生まれの在日朝鮮人1世で、日本国籍所有者であったことを知るのは、1963年12月8日、東京赤坂のキャバレーで足を踏んだ、踏まない、肩が触れた、触れないなど些細なことで、暴力団員と争いとなり、ナイフで刺されて死亡(12月15日)した後であった。「力道山は気性が粗暴で感情の起伏が激しく」しばしば「暴力沙汰を起こしていた」という(前掲)。

 北辰一刀流千葉道場切っての剣の使い手、坂本竜馬は激動の幕末にあって、終生剣を抜かなかったと言う。剣は人を切るものではなく、己を高めるものという哲学があったからであろう。哲学なきプロ剣士、プロレスラー、プロボクサー、プロ力士は単なる凶器にしか過ぎなくなる。朝青龍は、力道山を反面教師として学んで欲しい 。

 

祖国発展に尽くして欲しい

 朝青龍は現在、日本ではモンゴルを代表してしまっている。引退理由となった 暴力事件を日本で再び起こせば、自分だけではなく祖国モンゴルを傷つけ、モンゴル出身力士に片身の狭い思いをさせる。 モンゴルはソ連から開放されて僅か18年。課題は山積している。あの素晴らしい闘争精神で祖国の発展を促し、モンゴルの坂本竜馬的存在になって欲しい。日本相撲界に衝撃を与えた朝青龍に心から謝意を表したい。

 

パワー劣化

 傍若無人、ルール無視の朝青龍になぜ人気があったのか。相撲協会は真剣に検討する必要があろう。サッカー界には外国人選手が少なくないが、選手の「品格」など求めていない。朝青龍のような事件も起こしていない。相撲の番付から外国人力士を除いたら、相撲ファンを繋ぎとめておくのは困難なほど日本人力士のパワーは劣化している。相撲界だけではなくあらゆる分野で同じ現象が起きている。朝青龍事件は、日本民族のパワー劣化を改めて浮き彫りにした。パワーなき民族に未来はない、という深刻な事件であった、と私は受け取っている。

更新日:2022年6月24日