救出運動内部から「制裁解除」の声

佐藤勝巳

(2009. 9.28)

 

 「横田滋さん・早紀江さん夫妻が鳩山政権発足後、初めて講演し、北朝鮮が変化を見せている今、民主党政権で拉致問題解決へのチャンスがあると述べ、『圧力を重視しながらも徐々に制裁を解除していく方法でやっていくしかない』との考えを示しました」(TBS News(電子版) ‎2009年9月21日月曜日)という報道に、わが目を疑った。

「北朝鮮が変化を見せている」、だから「制裁を解除せよ」と横田夫妻が言うとは、信じられなかった。私は、横田滋氏と10余年間「救う会」会長として一緒に拉致救出運動をやってきた経緯がある。

 

 忘れもしない2000年3月、当時の河野洋平外務大臣は、日朝交渉再開のため、「まずこちらが誠意を示し、相手の誠意を期待する」と言って、われわれの反対を押し切って、日本人を拉致した金正日政権に10万トンのコメを寄贈した。3ヵ月後の6月、南北首脳が抱き合った。それを見て河野外務大臣は、「今がチャンスだ」と言って、われわれが外務省前に座り込んで反対したにもかかわらず、同年10月金正日政権に50万トンのコメを支援した。金正日政権は日本政府がコメ援助を決定した直後、日朝交渉を打ち切ってきた。

 その後も横田滋氏は、めぐみさんのでたらめな死亡通告や、偽の遺骨問題などで、何度も何度も金正日政権に裏切られてきた。そのたびに深い失望に陥る横田氏の気持ちは、めぐみさんと同い年の娘を持つ私には痛いほど分かった。だが今、河野洋平氏と同質のことを口にするとは……。信じられない思いとともに、横田氏に一体何が起きているのか、不安でならない。

 

 総選挙直後の9月3日、家族会、「救う会」、拉致議連の3団体は「北朝鮮『調査やり直し』破棄1年 拉致を理由に追加制裁を! 緊急国民集会」を東京で開催(集会での模様は9月7日などの「救う会」メールニュースに詳しいから参照してほしい)したが、ここでは多くの発言者から金正日政権批判が展開され、制裁の強化が訴えられた。横田氏も集会で発言しているが、冒頭で紹介したような発言はなかった。

 集会決議は、各党のマニフェストは国の責任で拉致被害者を救出することを明記し、当選議員の6割以上が、「拉致を理由に経済制裁することに賛成した」「我が国新政権は……拉致を理由にした全面制裁を断行」せよと主張している。それなのに横田氏は、冒頭の家族会、「救う会」、拉致議連まったく異なる考えを21日メディアに明らかにした。

 

 ところで、問題の「北朝鮮が変化を見せている」という横田氏の発言であるが、これは横田氏の思い違いである。横田氏の言う「北朝鮮が変化をみせた」真相とは、以下のような背景を正確に把握しておかないと、事態を見誤ることになる。

 金正日政権が、アメリカ人と韓国人を釈放したのは、両国の軍事力行使が背景にあったからだ。米第七艦隊は6月、20日間にわたって北朝鮮の貨物船を公海上で追跡、文字通り軍事力でミャンマーへの入港を阻止した。金正日政権がオバマ政権に話合いを申し入れてきたのは武力行使が終わった直後である。

 韓国について言うなら、金正日政権が李明博政権に軍事挑発をかけ出したのは、昨年末からである。他方、現代・峨山の職員を3月末に拉致して、法外の賃上げなどを要求してきた。これに対して李政権は、いつでも戦争に対応できる臨戦態勢を持続した。この脅しに屈しない対応に金正日政権は行き詰まり、拉致した韓国人を釈放せざるを得なくなったのだ。米韓は、共に北に対して軍事力で対応したから、拉致被害者を奪還できたのである。

 軍事力を行使できない日本のみ、拉致の進展がなかったのである。「軍事力」という冷厳な現実から目を逸らしてはならないと思う。

 

 民主・自民・公明の拉致についての政権公約を見れば明らかなように、横田滋氏が言っているような金正日政権に「変化が見られる」だから「制裁解除」などという認識や主張は皆無だ。かつて横田氏が訪朝を表明した翌日、朝日新聞は社説で訪朝を歓迎した。しかし今回、マスコミは事実上横田発言を黙殺している。ミサイルや核実験を次々と行い、国連安保理を敵に回し、日本や韓国の安全を脅かしている政権に「変化が見られた」「制裁解除」などといわれたら、報道したくても報道出来なかったというのが実情と思われる。それほど現実と遊離した発言である。

 

 多くの国民が拉致救出運動に参加し、10年近く無償で、膨大な時間とエネルギーを費やして600万名以上の署名、加えて活動費のカンパをし、政府を動かした。これは被害者家族だけではなく、社会の底辺で心ある無数の日本国民の戦いがあったからだ。成果は党派を超えた国民の共有財産であり、横田氏個人のものではない。このように考えると「制裁解除」など家族であろうと、なかろうと軽々に口に出来ることではない。

 米韓と違って軍事力行使が困難な日本は、国民の団結が最大の武器である。この武器を使って、拉致などの解決がなければ、日朝正常化交渉に入らない、ことを政府方針として勝取ってきた。金正日政権は、この武器を破壊するために、あの手この手で懐柔策(工作)を、過去そして現在も仕掛けてきているのではないのか。

 

 横田発言は、氏個人の意見なのか、工作の影響を受けた発言なのか。いずれにしても、運動の中で、相反する制裁の「強化」と「解除」という路線の対立が明らかになった。この事態をもっとも歓迎するのは金正日政権である。

 金正日政権の核が、国連安保理や東アジアで大問題になっているとき、いくらなんでも「制裁解除」はないだろう。主観的意図如何にかかわらず、国内外の世論と対立して拉致被害者救出は不可能である。 誤りは躊躇なく正さなければならない。

更新日:2022年6月24日