緊張感を欠く拉致救出運動

佐藤勝巳

(2009. 9.14)

 

 金正日政権が民主党の勝利を想定して総聯に対し、民主党に「万景峰号が入港出来るように働きかけよ」と指示を出していた(9月6日付産経新聞)という報道に接したとき、ピョンヤンの朝鮮中央テレビが、ある日いきなり、北朝鮮を訪問した横田滋家族会(前)代表の顔がアップに映し出したシーンがよぎり、緊張が走った。

 

 北朝鮮の工作活動は日本のあらゆる方面で行われている。そのことは本欄でも何度か書いてきたが、それは拉致救出運動も例外ではない、ということを紹介したい。拉致被害者5名が帰国した2002年の12月19日、横田滋家族会代表(当時)が突然、報道関係者のぶら下がり取材のとき「北朝鮮を訪問する」と言い出し大騒ぎとなった。

 

 横田氏がこんな発言をするなど家族会、「救う会」、政府の誰も知らなかった。勿論、その直後の会議で、訪朝反対の声が相次いだが、横田氏は考えを翻す様子はなかった。横田発言の直後、朝日新聞の記者から「実は、昨日部が違う同僚記者から明日、横田さんが訪朝の態度表明をする、と聞かされていたが、信じられないので聞き流していた。ところが事実だった。うちの同僚にしゃべった人間は、元国会議員の秘書で、北と貿易のようなことをしている日本人だ。そんな人物に心当たりはないか」という取材を受けた。

 

 横田滋氏の背後に、訪朝をうながしている〝日本人〟がいることを、そのとき初めて知った。この人物こそがNGO法人レインボーブリッヂの小坂浩彰氏であった、と知るのは1週間後頃と記憶している。

 

 横田滋氏の訪朝の目的は「孫に会いに行く」ということであったが、誰を通じてどういうルートで北に行くのか、当時は勿論、今日に至るも横田滋氏は何も語っていない。小坂氏と知り合った経緯についても完全黙秘の状態であるから、現在横田氏と小坂氏は繋がりがあるのかどうかも皆目分からない。

 

 当時、安倍晋三氏が官房副長官で、総理官邸で拉致問題を仕切っていた。その下で被害者家族との窓口として、中山恭子氏が内閣府参与の肩書きでいた。平沢勝栄自民党衆議院議員が議連事務局長として、「救う会」会長が筆者、家族会の代表が横田氏であった。横田滋氏の訪朝に対してはあらゆる意味で関係者全員が反対であった。安倍晋三、平沢勝栄、中山恭子の3氏は個別にまたは共同で横田滋氏に会って訪朝を思いとどまるように説得した。しかし、横田滋氏の意志は固く、説得を受け入れなかった。

 

 そこで家族会は総会(03年1月)で、横田滋氏の訪朝の賛否を採決した。結果は、賛成は滋氏のみで、全員が反対であった。家族会として否決されたので、横田滋氏の訪朝はここでようやく中止となった。この時点でも私は、横田滋氏と小坂浩彰との関係を具体的に知らなかった。

 

 ところが、2003年7月末、小坂氏が蓮池、地村、曽我氏ら帰国した拉致被害者の、いまだ北に残っている子ども達の写真と手紙を持って横田滋氏を訪ねて、家族に直接渡したいから紹介して欲しいと要請する事態が起きた。

 

 最終的には当時の内閣府中山恭子参与が責任をもって預かり、渡すということで解決したのであるが、小坂浩彰氏について何も分からなかった私は、この事実を知って息を呑んだ。彼は北朝鮮の謀略機関が入っている3号庁舎幹部に極めて信用の高い人物である、と確信した。なぜなら、日本人が拉致されている極秘事項を知っているのは、3号庁舎担当の書記と金正日・金日成の3人程度であるからだ。

 あとは、直接日本人を拉致した部署の幹部と拉致実行犯、拉致被害者を監視している秘密警察関係者、金正日政治軍事大学などで拉致被害者を使っている工作員養成機関の幹部、招待所関係者など非常に限定されている。

 

 にもかかわらず、北朝鮮を裏切る可能性の高い日本人小坂浩彰を、ピョンヤンのホテルで拉致された日本人家族に会わせ、写真や手紙が渡している。つまり北の工作機関から見て小坂氏は、北を裏切らない信頼関係があるという証明だ。いままで短くない期間朝鮮問題に関係し、怪しげな日本人を数多く見てきたが、日本人でこのような北朝鮮工作員は初めてである。

 

 話を元に戻すが、朝鮮労働党工作員小坂は、上述の写真持参事件でマスコミに追われ、同年8月1日共同記者会見となった。その会見の中で彼は、横田滋氏とは2000年5月にNGO法人を立ち上げた創立総会のときからの知り合いであり、年に数回飲食を共にしている関係である、と自慢げに語った(記者会見出席者の話)という。

 

 工作員小坂のこの話を聞いて驚いたのは私たちである。恥ずかしいことに私をはじめ関係者は、横田滋氏と小坂が2ヶ月に1回ほどの頻度で、飲食を共にしていることをこの時点まで知らなかった。横田滋氏が工作員小坂と飲食しながら何をしゃべっていたかは、現在も分からない。横田氏は一言もわれわれに語っていないからだ。ただ工作員小坂は、横田滋氏の話をまる3年間細大漏らさず、小坂を指導している金正日政権の謀略機関幹部に報告していたであろうと憶測できる。

 

 理由は、かつて北は1960年代末まで日本共産党、1970年からは日本社会党、1990年からは自由民主党に接近し、利用してきた。小坂浩彰は政党に所属しているわけでもない、日本国内で誰も知らない無名の人物である。加えて詐欺罪で実刑に服した経歴を持つ人物でもある。権威主義の権化と言える金正日政権が名もなき日本人を利用している理由が分からなかった。小坂の記者会見の記録を読んで、工作員小坂を通じて家族会代表から直に情報を取っている価値ある存在(工作員)ということが分かり、金正日政権との繋がりが解明された。

 

 それを知った私は「進んで情報を提供していなかった(不作為)としても、家族会や運動関係者に知らせず、小坂に3年余会っていた横田滋代表の行為は敵を利するもので責任は極めて重大、家族会の代表を辞任してもらうべきだ」と周辺に秘かに提案した。

 すると、誰もが「会長それだけは口にしないで欲しい」と一斉に反対され、横田氏の責任は公式・非公式にも不問に付され今日に至っている。

 

 2004年4月「救う会」家族会、議連3団体共催の金正日政権に対する経済制裁を求める日比谷野外音楽堂での国民大集会が開催された。その席上で、突然、蓮池父子が小泉首相は訪朝し、拉致被害者の家族を連れて帰るべきだと、集会テーマとは全く異なる提案をし、騒然となった。

 恥ずかしいことに、このとき蓮池透氏と工作員小坂が裏で通じていることに誰も気づいていなかった。あとで分かるのだが、2004年1月あるテレビ局で当時家族会事務局長の蓮池透氏と小坂が一緒になり、以後両氏は連絡を取り合ってきたことを蓮池氏本人が認めている。つまり2004年4月時点で、家族会の代表は、不用意にも敵に情報を提供し続け、事務局長は小坂や北朝鮮の意に沿った小泉首相訪朝を上述のように、集会趣旨と反する主張を展開したのである。現在蓮池透氏は「制裁を止めて話合いで拉致解決」をと、北朝鮮と同じことを単行本で主張している。工作員小坂の工作成果であろう。

 

 小坂の工作の手は、現在の家族会増元照明事務局長に対しても伸びていた。論旨が拡散するのでこれについては別の機会に触れるが、要するに家族の一人ひとりを個別に工作(一本釣り)して、孫や肉親に会いに来い(いわゆる寺越方式)、ということで篭絡すれば、容易に家族会を解体、救出運動を潰すことが出来る、と彼らは考えている。このことを家族会並び運動関係者は、過去の工作にかき回された経験を踏まえ、警戒心をもって金正日政権と戦う必要があるのではないのか。

 

 政権交代した民主党や報道機関にも工作がかけられることは必至だ。当然、横田滋氏に対しても訪朝工作が一層強まるであろう。金正日政権は死にもの狂いで、工作の手を伸ばしてくる。冒頭に書いたようなことがある日突然不幸にして実現するようなことにでもなったら、当選議員のアンケートなど何の役にも立たない。過去10年余の救出運動は一瞬にして吹き飛んでしまう。「救う会」メールニュースからは、そのよう問題意識も緊張感も伝わってこない、と感じるのは私の読み違いだろうか。政権交代を期に、救出運動は重大な危機に直面しているのが客観的状況だと思う。

 

 ▼小坂氏が拉致問題で何をしているのか詳しく知りたい方は本ネット2008年3月4日付「小坂浩彰氏に見られる『拉致ビジネス』」に佐藤勝巳が具体的に紹介している。

更新日:2022年6月24日