麻生内閣の北朝鮮外交を高く評価する

佐藤勝巳

(2008.12.22)

 

 先頃北京で開かれた6者協議は、サンプル採取などの「検証手順を文書化すべき」という5者の要求を、金正日政権が拒否したため、休会となった。この検証手順の文書化を強くアメリカに迫ったのは、わが国政府であった。

 麻生内閣はわが国の安全を護るために、アメリカに対して断固主張し、ブッシュ政権の同意を取り付け、それが5者の確認事項となったのである。

 麻生内閣はなぜ、ヒル国務次官補が金桂寛外務次官と口約束で「了解」したと言われているサンプル採取などの「検証手続き」について、特に「文書化」を求めたのかということだが、それは今までのアメリカ国務省の金正日政権に対する交渉姿勢が、妥協に次ぐ妥協、譲歩に次ぐ譲歩を重ねてきたことにある。

 金正日政権は6者協議によって、重油合計55万トン(4者合計)、鋼材5千トン(韓国)、食糧50万トン(アメリカ)を獲得している(日本政府は06年10月安倍晋三内閣成立直後から6者協議の中で、「拉致の進展がなければ」日本人を拉致した金正日政権に「油は出さない」と表明してきており、今日まで1滴の油も出していない)。

 金正日政権が失ったものは、ポンコツの古い塔1つ爆破しただけで、10月末に終わるはずの原子炉からの核燃料棒抜き取りも、未だ終了していない。

 敵ながら天晴れな外交手腕と言わざるを得ない。現時点では「勝利」といえる。

 現在6者協議の日本代表を務める斎木昭隆アジア大洋州局長は、2002年9月審議官時代から北朝鮮と交渉してきたので、金正日政権の約束を守らない手口を良く承知している。また、ヒル国務次官補の思惑や作風も熟知している。

 斎木局長はじめ交渉当事者は、「非核化では検証が決定的に重要」「検証は、文書確認が不可欠」と当初から口にしていた。そこで斎木局長は、10月28日ワシントンを訪ね、ヒル次官補と会談して「米朝で合意した核申告の検証手順を確実なものにするため、文書化することが重要との認識で一致した」(朝日新聞10月29日)のである。

 ここで言う「米朝で合意した核申告の検証手順」の核心部分は、「資料採取及び分析活動を含む科学的手段の利用についての合意。検証手順に含まれるすべての方法が、プルトニウム計画、およびすべてのウラン濃縮と核拡散活動に適用されることについての合意。さらに、6者協議の文書との整合性を監視するために6ヵ国がすでに合意した監視メカニズムが、核拡散とウラン濃縮にも適用される」(2008年10月11日米国務省が公表した「検証に関する米朝了解事項」より)というものだ。

 ところが、これはあくまでアメリカ国務省の理解であって、金桂寛次官は「科学的手段の利用」などいくつかの点で異論をとなえており、12月8日からの北京での6者協議代表者会議は、文書化の約束があった、なかったという論議に終始し、肝心の「検証に関する米朝了解事項」(口約束)の中身の論議は何もされなかった、ということが取材して分かったのである。

 この国務省が公表した口約束に対して麻生首相は、「6者協議で公式文書として確認せよと強い指示をした」と聞く。「口頭了解」なら、検証過程で約束があった、なかったと因縁をつけ、容易に査察を止めることが出来る。ならず者の常套手段である。

 案の定、金桂寛次官はこれを頑なに拒否したではないか。本当に非核化をやる気なら文書化に反対する理由などない。麻生内閣の「検証手順の文書化」要求によって、金正日政権が核放棄など考えていないことが改めて全世界に明らかになった。

 もし麻生内閣が、サンプル採取の文書化を要求せず、ヒル国務次官補の言動に追随したなら、金正日政権の核放棄など夢物語となり、日本の安全保障は重大な危機に直面する。

 このたびの日本政府の「文書化が実現できなければ6者協議脱退辞さず」という態度で交渉に臨んだとの噂があったが、麻生太郎総理大臣の強い意向が誤って伝えられたものであったようだ。しかし、この強い態度が、アメリカ国務省ライス・ヒルラインも同意せざるを得なくなったものと考えられる。

 なぜなら、ブッシュ政権は同盟国日本を取るのか、金正日政権を取るのかを客観的に迫られたのである。私は、これほど鮮やかな総理大臣の指導力を見たことがない。

 何度も記していることであるが、金正日政権は、アメリカに届くミサイルはないが、日本に届くミサイルを200基前後持っている。彼らはミサイルの頭に核を搭載(1トン以下に小型化)するために死に物狂いの努力をしていることは間違いない。金正日政権が生き残れる道はこれしかないからだ。

 日本の安保にとって金正日政権に核を持たせないことが絶対的必要条件である。そう捉えた場合、サンプル採取など「検証問題」は、日本政府が譲歩できないぎりぎりの線である。だから麻生政権は頑張ったのだ。

 06年9月安倍晋三内閣が出現して、拉致解決を日本外交の「最重要課題」と位置づけ、拉致対策本部を設置し、万景峰号入港禁止などいくつかの制裁措置を取ってきた。その中の一つが前述の「拉致の進展なくしてエネルギー援助なし」と今回のサンプル採取などの「検証手順の文書化問題」であった。

 確かにわが国の拉致救出並びに対北朝鮮政策は、過去、きわめて不十分、不満の多いものであった。しかし拉致救出を外交の「最重要課題」と位置づけて以来、6者協議の中で核だけではなく、拉致も同時解決する旨了解を取りつけ(議事録に明記されている)、更に「拉致解決に前進がなければ油は出せない」という態度を堅持している。

 そして麻生内閣は、サンプル採取など検証手順をめぐるヒル・金桂寛の八百長芝居を暴露し、待ったをかけた。

 金正日政権はこの日本政府の動向に慌てたのであろう。日本国内の「親朝派」なる各「手先」を使って「制裁解除し、話し合いせよ」と一斉に動きだし、制裁の強化を求めている「救う会」幹部に対し、事実無根の誹謗中傷を従来とは異なる新たな「手先」が攻撃してきている。

 だが、日本政府は、ブッシュ政権のテロ支援国家指定解除の経験から学んで、日本政府の責任で、日本国民の拉致を解決するという、漸く本来の外交に戻りつつある。「検証手続き文書化」問題は、日本の外交史にとって画期的な1歩と高く評価すべき事件だと思っている。

 民主党・自民党ともに、テロ支援国家指定解除の教訓からであろう、拉致被害者救出のための送金停止、輸出品目の全面禁止などの制裁強化を相次いで決定した。

 麻生内閣の決断力に期待してやまない。歴史は遅々としてではあるが、確実に変化してきている。

更新日:2022年6月24日