随筆・この国は「共産主義国家では……」

佐藤勝巳

(2008.11.26)

 

ガンワクチンの出現

 11月17日夜9時のNHKテレビニュースで、副作用の無い「ガンワクチン」の開発が進み、臨床実験段階に至っている、というのを聞いたとき、日本の死亡率の第1位がガンであることを考えると、この報道は大きな反響を呼んだのではないかと思われる。

 私も胃ガンで半分切除し、「抗ガン剤」治療を経験していたから、このニュースは人ごとではなかった。

 

抗がん剤服用

 退院を間近に控えたある日、主治医から「手術前に、ガンの大きさをステージ1・5と伝えました。切り取って検査をしたら、ステージ3・5程度でした。リンパ腺を伝って転移の兆候が現われていました。一般論ですが、転移の可能性は35%程度でしょう。<抗ガン剤>を使い、<転移率>を15%程度に抑えたい」という話をされたとき、 咄嗟に、「抗ガン剤イコール髪の毛が抜ける」という話を思い出した。

 「髪の毛が……」と言いかけた私に主治医は、「人間の体は1人1人全部違います。同じ薬を使っても異なる効果や副作用が現れるのが普通です。使ってみないと何とも言えません」と答えた。

 そうは言っても、私の周辺に抗ガン剤を使って、副作用で苦しんでいる人や、医師に抗ガン剤使用を勧められたが、断って、3回もガンの手術をして、十数年も生きた人も身近にいた。勿論、抗ガン剤を使用して元気に執筆活動している人もいる。どうするか、迷った。

「先生、少し時間を貸してください」

 といって即答を避けた上で、抗ガン剤は、錠剤か注射か、抗ガン剤の使用期間はどれくらいか、など幾つかの初歩的な質問をすると、主治医は丁寧に答えてくれた。

 結局、私が抗ガン剤を服用してみようと決めたのは、主治医の「1人1人の体は全部違う。副作用も効果も同じでない」という説明であった。要するに現在の医学水準では、服用(あるいは注射)してみなければ分からないのであり、副作用が酷くなったら中止すればよい、と考えたのだ。

 1950年代初頭、私は肺結核のため国立療養所で療養をしていた。ちょうど結核治療薬ストレプトマイシン(抗生物質・以下「ストマイ」と呼ぶ)が医療現場で使用され出したころである。このストマイは劇的な薬であった。ストマイを注射した患者は、言い合わせたように熱が下がり、食欲が増進、元気を取り戻し、九死に一生を得た経験がある。

 この時点で、大袈裟ではなく人類は始めて結核菌の増殖を抑制することに成功し、結核による死亡率は急速に減少した(当時、私の記憶に誤りが無ければ、日本での死亡率のトップは結核だった)。

 ストマイが使用される前には、極めて短期間であったが、肋骨を切り取り、肺の気管支を押しつぶし、結核菌の増殖を抑える、という胸郭整形術(全国での例証3万件・厚生省)という原始的処置があった。続いて肺葉切除で病巣を切り取る手術に代わり、ストマイの出現で、アッという間に外科治療は姿を消した。

 現在のガン治療現場は、結核治療で外科から化学療法に転換した1952、3年ごろに似ている。

 

ガン治療の歴史的転換点

 これから臨床実験が行われる「ガンワクチン」には、いくつかの解決しなければならない課題はあるようだが、結核におけるストマイの出現にも似た、ガン治療における外科から化学療法へという画期的な転換が、半世紀過ぎた今、実現されようとしている。

 偶然であるが私は、結核とガンの歴史的転換期に患者として立ち会うことになった。医師の間では、かなり前から「ガンワクチンは効果がある」と言われてきたものだという。高価であるが、現在では手に入れることも可能と聞く。

 話を元に戻すと、主治医が勧める抗ガン剤服用を決めた、最大の理由は(患者なら誰もがそうだと思うが)、主治医が信頼に足りる人であったからだ。私の主治医は東京都立豊島病院(板橋区)安藤昌之外科部長である。

 ガンの手術は1000件以上手がけている経験豊富な医師である。手術に際し「輸血による副作用はゼロではない。ゼロではない以上、出来るだけ使わないで手術をしたい」と言って、輸血はしなかった。何よりも有難かったことは、私の質問には懇切丁寧に答えてくれたことである。

 服用したのは「テイエス・ワン20グラム」のカプセルで、朝晩2カプセルずつ3週間服用、1週間休むという組み合わせでスタートした(途中で2週間休むよう変更)。説明書には、副作用の症状が30以上記してある。これを読んだだけで、健康な細胞に相当なダメージを与えることが容易に理解できた。

 毎月主治医の診察、薬が投与される前に必ず血液検査が行われた他、転移をチェックするための超音波、MRIの検査も必要に応じて行われて、予定の服用期間の2年が今年の8月末で終了した。

 副作用として、若干の口内炎が出たが、幸い食事が出来ないほどのものではなかった。後は、転移しないことと、新しくガンが発生しないことを祈ることである。が、それも今は余りこだわらないことにした。

 なぜなら、人は必ず死の世界に旅立つ。死から免れられない以上、病名などどうでもよい、と思うようになったからだ。

 

幸福な日本社会

 哺乳類が地球上に発生してから2億年。現在の人口約65億人、年間数千万人の人が増えているという。温暖化による砂漠化、水と食糧危機、石油の枯渇化など地球規模の危険な状況が繰り返し指摘されている。

 アフリカなどの発展途上国ではガンの死亡者はゼロに近い。ガンになる前に幼児期に法定伝染病などで死亡しているからだという。

 循環器内科の主治医との間で、高齢化社会の出現で医療費や社会保障費が破綻するのではないか、ということが最近の診察の際話題となった。

 主治医は、「これは最近の話ですよ」と断って「アメリカで盲腸の手術のため2、3日入院すると日本円で250万円取られる。全世界でそうなのだが、医療費を自己負担するのか、税金で納めるのか、いずれかであるが、日本は自己負担を増やさざるを得ないのではないか」と予測を述べられた。

 私が06年夏、胃ガンの手術で2週間入院したとき、完全看護で病院に支払った金額は合計6万円弱であった。冗談ではなく、「地球上に初めて共産主義国家を作ったのは日本ではないのか」と本気で思うようになった。

 

米のモラルハザード

 世界で餓死している人は、アフリカだけではなく、アジアでも金正日政権下で、10年前の1990年代後半に国民300万人以上を餓死させられている。今年の冬も餓死者が出そうな気配である。

 われわれ日本国民は、腑抜けにはなっているが、ただ同然で高水準の医療を受け、長寿が問題化している。一方では、食べないで捨てる食糧が年間100万トンにも達している。

 このたびの世界金融恐慌の引き金になったサブプライムローンについて言えば、アメリカ合衆国は、返済するあてもない人たちに住宅ローンを組むことを認めた。

 証券会社は、その住宅を証券化して世界に売り飛ばした。返済能力がないのだから返済が出来なくなる。この事実はカネを貸す方も借りる方も、詐欺行為を承知の上で行ったことである。アメリカ資本主義の倫理観の欠如、モラルハザードそのものである。

 自動車産業の経営者達は、経営が上手く行かないからカネを貸して欲しい、と議会に陳情するのに自家用機に乗ってワシントンに乗り込む。

 破綻した証券会社の経営者達は天文学的収入を手にしている。しかし刑事・民事とも責任を問われていない。他方、国民は健康保険制度も不十分のまま放置され、カネがないため助かる命も助からないでいる。

 アメリカは、われわれの常識では考えられない格差を容認している社会であるが、これが文化の違いと言うなら、この違いこそがこのたびの金融恐慌を引き起こした重要な要因の一つではないのか。改めてもらわなくては困る。

 アメリカは、こんなとんでもない格差社会を維持するために、日本に郵政民営化などを求めてきたのだ。われわれは自信を持ってアメリカに対して物を言うべきだ。卑屈な態度は、もうほどほどにすべきである。

更新日:2022年6月24日