金正日病気説の行方

佐藤勝巳

(2008. 9.22)

 

 自分の国の絶対的権力者の病気を認める役人など、いるはずがない。

 9月19日、朝鮮半島の南北実務者協議が板門店で開かれ、経済・エネルギー支援について話し合いが行われた。玄鶴峰・北朝鮮外務省米州局副局長は、金正日総書記の健康悪化説について、「わが国がうまくいかないように願う悪人らの詭弁(きべん)だ」と記者団に語った。

 玄副局長の発言はどうでもよいのだが、病気説を流した韓国国家情報院や米情報関係者から、病気説を補強する情報より、打ち消す話が目立ち出している。結局、あの情報は何だったのか、ということになりつつある。

 韓国人は気分を害するかも知れないが、ソウル特派員経験者数名に「あの情報の出所は韓国らしい」と言うと「それは、やばい」という反応が、言い合わせたように返ってきた。

 この種の韓国情報には、質の問題が確かにある。しかし、それを鵜呑みにする日本の方にも問題がないとは言えない。

 というのは、自分の反省も込めて書くが、1986年に「金日成死亡説」に私自身がまんまと引っかかったからだ。これは忘れることが出来ない苦い思い出だ。

 「金日成死亡」情報が流された直後、金日成がモンゴルの大統領を空港に出迎えに現れたのである。死亡説を信じて報道した新聞各紙、それに同調した私などは大恥をかいた。

 この事件は私に、朝鮮問題情報の吟味の重要さを骨身にしみて教えてくれた。

 では、北朝鮮はなぜ「金日成死亡」情報を流したのであろうか。みごとに騙された私は、北朝鮮の謀略機関は、二重スパイを摘発するために「金日成死亡」というショッキングな情報を何カ所かから同時に流したのではないか、と推測している。

 その情報は、まずハノイと吉林省の2カ所に現れた。多分、北朝鮮情報機関はこれで目的を達することが出来たのではないかと思っている。

 実は、このようなことは、戦前の日本の情報機関もやっていたし、戦後もやっていたのである。

 今回の金正日病気説が、スパイ摘発の情報操作であったかどうかは知らない。私が本欄で金正日の病気説に、終始どちらとも断定した書き方をしなかったのは、86年金日成死亡説の苦い経験があったからだ。

 周知のように、以前から金正日氏が死亡しているという説を唱えている専門家がいる。私は、金正日氏が生きていると思っている。その根拠は、いたってシンプルだ。朝鮮民族は秘密を守ることが得意ではないので、一国の最高責任者の死亡を何年も秘密にするのは至難のことだ、と思っている。まして、後継者も決まっていない状況下での秘密の保持は、きわめて難しいからだ。

 今回の病気説が流れて、金正日氏の死がこれほどまでに多くの日本人に期待されていたことを知って正直言って驚いた。

 前にも書いたが、体調が悪くなっても不思議ではない年齢と環境である。金正日氏に限らず人間は誰もが死に至る。その時期が遠いか近いか、死を喜ばれるか、悲しまれるのかの差だけだ。

 6者協議は非核化が目的であるが、本心は北朝鮮に混乱を起こしたくないと、米中をはじめ韓国も日本も考えている。この流れから見て、ポスト金正日をめぐって、水面下で米中の話し合いが当然進んでいると考えるべきだ。

 米中が一人の後継者を決め、支持すれば混乱を最小限に防ぐことが出来ると言うシナリオで動いている可能性が考えられる。

 だが、米中の利害、後継者を目指す各派の利害が絡み、それが上手くいくのかどうか、神様でもわからない、というのが私の見方である。

更新日:2022年6月24日