今、金正日政権をどう見るのか

佐藤勝巳

(2008. 1.23)

 

<独裁政治と改革開放は両立しない>

 おと30日間ほどで李明博大統領が誕生する。現在、盧武鉉政権から引継ぎを行っている最中である。

 その過程で色々な動きや発言が現れてきているが、韓国の政権にとって金正日政権をどう捉え、どう対処するかは国家の運命を決する文字通り最重要課題である。李明博次期大統領も同じ課題に現在直面している。

 金大中・盧武鉉政権は、金正日政権を援助することで「改革開放」に誘導できるといって、ここ10年間それを行ってきた。

 中国の経済を「改革開放」と呼ぶのなら、北朝鮮の現状はそれと全く異質のものである。従って、この10年間の金大中・盧武鉉政権の対北朝鮮政策は100%失敗であったといえる。

 個人独裁政治は、独裁者の命令なくしては動けないシステムになっている。嘘か本当か知らないが、金正日を取り巻く女性たちの化粧品購入も金正日のサインを必要とするといわれている。軍事・政治・経済・農業・教育など全ての面で金正日のサイン(許可)を必要とすることは言うまでもない。

 現実に、製鉄所などの生産現場では、僅かな期間に全く矛盾する金正日サイン入りの命令書が届き、生産現場は混乱し動けなくなる、という情報が伝わってから久しい(多分、金正日が権力を掌握した1985年頃からではないかと推定される)。

 それに対し「改革開放」政策は、上からの命令・規制などを排除し、企業活動の独自性を認め、収益の分配も企業の判断にゆだねられる。価格は、市場の需要と供給によって決定されることで経済の活性化を図るというものだ。

 このように「独裁政治」と「改革開放」は基本的な点で、お互いに対立・矛盾する政策で、絶対に両立し得ないものである。

 そのことを金正日政権はよく承知していた。ベルリンの壁が崩壊した1989年11月以降数年間の労働新聞は、「自由化」は社会主義の崩壊を招くと執拗に報道し続け、名指しこそしなかったが、中国の改革開放政策を「修正主義」と批判したことも周知の事実である。「緩めたら政権が倒れる」ことを金正日政権は誰よりも承知していた。

 旧社会主義圏では、国民に食わせることができなくなったとき、ソ連・中国の例に見られるように、政権と政策を変えて、国民生活の相対的安定が図られた。

 ところが北朝鮮では、逆に秘密警察で国民の不満を弾圧、国民を餓死させて政権維持を図ったのだ。この点が旧社会主義圏における金正日政権とその他の国との決定的な違いである。

 

<北の核開発を助けた金・盧政権>

 金大中・盧武鉉両政権は、この構造を無視して主観的意図のみで援助を行った。10年間の韓国からの援助によって北朝鮮内で起きたことは、韓国など外部から援助された食糧などを軍幹部・党高級幹部などが横領、ブローカーを通じ、闇市に流し私腹を肥やした。

 国民生活の貧富の差が拡大、賄賂が更に横行、人心は荒廃、強盗などの暗躍で社会秩序は崩壊している。政治犯強制収容所に代表される人権侵害は全く改善が見られず、工場は動かず、電気も決定的に不足、山も田畑も荒れ放題。その上でミサイル発射と核実験が強行されたのである。

 盧武鉉政権の閣僚たちは、南北を繋ぐ鉄道ができた、開城に工業団地ができた、戦争を防げたなどといって、融和政策の合理化を図っている。が、金正日政権が核とミサイルを持ったことと、南北の鉄道が連結された(列車は走っていない)ことと、どっちが重要なのか。あきれた認識という以外に言いようがない。

 そもそも6者協議は金正日政権に核を放棄させるための協議なのに、金正日がミサイルと核を保有することを裏で援助してきたのが金大中・盧武鉉政権だ。両政権の責任は重大な東アジアの平和への反逆といわざるをえない。

 韓国の左派政権の閣僚たちは、外国からの重油援助に頼らなければならない政権が本当に戦争をできると思っているのだろうか。現在も過去もそうであったが、金正日政権は中国の援助なくして戦争などできない。中国共産党は当面、金正日が核を放棄しない限り援助の意思はない。したがって戦争が出来るのにしないのではなく、出来ないからやらないだけの話だ。誤解も甚だしい。

 

<功名心と主観主義>

 問題は、金大中・盧武鉉両政権がなぜこんな重大な誤りを犯したかである。理由は極めて単純、援助を云々している日本人も同じだが、金正日政権の分析などは殆どなく、関係改善で名声を博す(金大中氏はノーベル平和賞を貰った)とか、利権を手にするという不純な個人的意図が第1である。

 第2には、金正日政権にモノやカネを与えれば考えが変わるという思い込みである。米民主党クリントン政権、共和党ブッシュ政権の06年秋以降、日本の安倍晋三政権以前の歴代政権はみな同じ発想であった。

 援助して金正日政権が変わったのならまだしも、変わっていない。それなのにこの期に及んでなお援助を主張している山崎拓・加藤紘一両議員らは、他に何か意図や思惑があるか、金正日政権の言うとおりに動かざるを得ない関係が存在しているかであろう。

 金正日政権はこの思惑をうまく利用して、日本について言うなら150万トンのコメ(だけではなく総聯系商工人が納税せず、金正日政権にカンパなどしている金額は膨大なものであろう)をただ取り上げた。韓国では莫大なモノ・カネを騙し取られたのである。

 騙される思想の根幹にあるのは金大中氏に代表される①名誉欲である。次に、②金正日政権の客観的分析を怠っている知的怠惰である。その代表が、ライス国務長官・ヒル国務次官補らである。視角を変えていうならアメリカ的価値観で世界を支配できるという大国主義の思い上がりといっても良い。

 日本の場合は、金丸信氏に代表される名誉欲プラス無知と、野中広務氏や和田春樹・田中均氏等に見られる植民地支配に対する③「贖罪意識」である。以上いずれも金正日政権を客観視できないことで共通している。

 客観視すると金正日政権が生き延びるため、国民の1・5%に当たる300万人以上を平気で餓死させて(広島・長崎に投下された原子爆弾6発分の殺傷と同程度)平然としていることが見えてくる。これに怒りを感じないほうが可笑しいのである。金大中・盧武鉉両政権は、金正日政権のこの蛮行に一言の批判も加えず援助をしてきた。殺人の共犯者といわれても仕方あるまい。

 

<圧力なき交渉はナンセンス>

 拉致の解決も金正日政権を非核化させるのも「圧力」以外ない。私が一貫して「圧力」を主張している根拠は以下のとおりである。古いことは省略するが、金正日政権が西側の要求を呑んだことが1900年代以降今日まで3回あった。

 1回目は、核査察問題である。北朝鮮が核拡散防止条約(NPT)に加盟したのが1985年12月。加盟国は1年半以内に国際原子力機関(IAEA)と保障措置協定(査察協定)を締結しなければならないのに、彼らは罰則規定がないことをよいことにして言を左右にして何と92年1月まで6年半も協定に署名をしなかったのである。

 その間色々なやりとりの後、金正日政権は査察協定に署名した。署名した最大唯一の理由は、1991年末の米韓安保協議で、査察協定に署名しなければ、湾岸戦争で使用した先端兵器を韓国に配備する旨共同声明に書き込まれた。金正日政権が査察協定にサインすることを表明したのはその1 週間後である。

 2回目は、国際原子力機関の査察(1992年5月)で北朝鮮が抽出したプルトニウムの抽出期日などを巡って、IAEAとの間で見解の相違が顕在化、IAEAは特別査察を要求した。北はそれを拒否、問題が国連安保理に持込まれ、米国の経済制裁案が通過しそうになったのが1994年5月から6月である。米軍は具体的に戦争準備に入った。これが北朝鮮を巡る第一次核危機である。

 戦争は、金日成主席と米カーター元大統領の会談で回避され、「ジュネーブ合意」となる。米軍が軍事力行使寸前まで行かなければ、金父子政権が態度を変えることがないことがこれで証明された。

 3回目は、ブッシュ大統領が、02年1月の一般教書で北朝鮮とイラン・イラクの3国を指して「悪の枢軸」と呼び、引き続きブッシュ政権内部から「イラクの次は北朝鮮」だと軍事攻撃を示唆する発言が続いた。

 それによって、北朝鮮政治上層部に通じている在日朝鮮人の話によれば「金正日政権は文字通り恐怖に陥った」という。そこで金正日政権が打ち出してきた安保政策は、日本人拉致を認めて小泉内閣を日朝正常化交渉に引きずりこみ、日米を分断、米の攻撃を回避しようとした「肉を切らせて骨を切る」捨て身の外交政策であったのだ。

 金正日が日本人拉致を認めたのは、ブッシュ政権の軍事攻撃から身を守るためのものであって、小泉政権の外交的勝利と思っている人が多いが、それは全く誤解である。ブッシュ政権の軍事恫喝が結果として日本人拉致を認めさせたのである。

 以上3事案以外に金正日政権が、国際的あるいは南北関係で約束(条約・協定、共同宣言など)を守った事例があるだろうか。寡聞にして知らない。アメリカは、前述の知的怠惰なるが故に金日成・金正日との戦いで、相撲(圧力)に勝って勝負(交渉)に負けている。

 これから6者協議がどう展開するのか分からないが、軍事的圧力の伴わない金正日政権と交渉が成功するなど極めて疑わしい。

 

<軟着陸政策のなれの果て>

 援助によって国際社会に誘導する「軟着陸政策」つまり「関与政策」で何とかなるようなことを、米、日、韓3国の国際政治学者たちは、十数年前のクリントン政権誕生以来主張し続けてきた。金正日政権は国際社会に出てきただろうか。出てきていないではないか。要するに彼らは、出鱈目なことを吹聴してきたのである。日本では、小此木政夫、伊豆見元、小牧輝夫、谷野作太郎、和田春樹、田中均氏らがその代表である。

 事実は何であったのか。1994年ジュネーブで米朝は北朝鮮の非核化について「ジュネーブ合意」をした。ところが金正日政権は裏で核開発を続けてきた。クリントン政権は毎年50万トンの重油をただ取りされ続けた。これが「軟着陸政策」のなれの果てであったのだ。

 今度も表で6者協議をやりつつ、裏でシリアに核移転していたではないか。これが金正日政権の本質であり正体である。目的のためには手段を選ばない政治集団なのである。

 「話し合いも戦いである」から否定はしないが、テロ集団の手足を縛るという明白な目的を持たない話し合いは時間の浪費であり、北朝鮮国民の累々たる屍を作る犯罪に加担しているだけのことである。

 

<李明博氏の不安な金正日政権認識>

 問題は、次期李明博大統領は金正日政権をどう捉え、どう対処するのかである。色々な人が発言しているので、どれが李明博次期大統領の真意なのかよく分からないので意見を言うのは慎重でなければならないが……。

 気になることの一つは、金正日政権が昨年末までに、寧辺の核施設の「無能力化」と「全ての核施設の正しい申告」を約束に違反して実行しなかった。それに対して李明博次期大統領は、「『少し遅れても誠実な申告が重要ではないか』としながら、『申告の期限を守ることより、確かに申告することで信頼ができ、真の廃棄への第一歩になり得る』と言った。期間より申告が重要だという認識だが、それなら当初から締め切り期間をなぜ設定したのか」(「李明博の初めての『対北』が不安だ」(朝鮮日報 金大中顧問 / 編集・翻訳 洪 熒・2008.1.6、本ホームページ掲載)と指摘している。

 事実に即していうなら、金正日政権が約束した「無能力化」と「正しい申告」が実行されるという前提ですでに合計20万トンの重油が、韓国、中国、米国、ロシアから各5万トン北朝鮮に搬入されている。加えて、韓国は昨年12月鉄鋼材5010トン、金額に換算して約12億1000万円を援助している。

 4カ国からモノを取るだけ取って、土壇場にいって寧辺の核施設の「無能力化」も「核施設の正しい申告」もしなかったのだ。裏切りである。李明博氏は「申告の期限を守ることより、確かに申告することで信頼ができ」という楽観論を述べている。

 あれほど大騒ぎして6者が合意した07年の「10・3」合意を簡単に反故にする政権に対して「正しい申告」を誰がどうやって保証するのだろうか。李明博氏の金正日政権認識は、金大中・盧武鉉のそれと異質なものを感じさせない。

 また、李明博次期大統領は、北の核放棄を前提に400億ドル(4兆3000億円)の援助を国際協力基金で行うとの検討を始めたという(産経新聞1月5日)。これもモノやカネを与えたなら金正日政権が考えを変えるという米国型、金大中・盧武鉉らと同じ金正日政権認識ではないのか。

 李明博次期大統領は、1月中旬ヒル国務次官補、バーシュボ駐韓大使に会った。韓国・朝鮮日報(1月14日)の報道によると、「米国に対して北朝鮮軍部と対話を持ち、体制崩壊への北朝鮮の懸念を払拭させるよう要請した」という。この報道が事実なら金大中・盧武鉉と同じ認識である。

 李明博次期大統領は、「実用主義」「先進化」を主張しているが、その中身は、クリントン・ブッシュ両政権ができなかった「軟着陸政策」(ソフトランデグ)だということだ。言論・政治活動の自由のない社会で、平和裏に政権が交代するなどありえない話である。こう見てくると李氏の金正日政権認識は、左翼と低通する観念論であるといわざるをえない。

 

<民族主義の危うさ>

 1992年2月大統領に当選した金泳三氏は、就任演説で「金日成主席に言いたい。われわれは協力の時代に向けて進んでいる。異なる民族と国家間でも、多様な協力がなされている。しかしいかなる同盟国も、民族に勝るものはない。いかなる理念(イデオロギー)や、いかなる思想も民族より大きい幸福をもたらしてくれない。金主席が真に民族をより重要と考えるなら、そして南北の同胞の真の和解と統一を望むなら、これを話し合うためわれわれはいつ、どこでも会うことができる」と声高に述べた。

 正直言ってこの演説を読んだ時、これが韓国の文民大統領の金父子政権認識か。朝鮮戦争などで同じ民族を大量に殺戮し、南北に抜きがたい不信感を作り出した独裁者と、北朝鮮国民が同列に扱われている。結果として独裁者を免罪している演説に、深い失望感に襲われたことを忘れない。

 この金泳三演説が引き金となって金父子政権の対南政策が、軍事路線から包摂(取り込み)政策に戦術転換がされたのだ。それは1994年4月7日の金日成が最高人民会議で発表した「祖国統一のための全民族大同団結十大政綱」である。

 1989年11月ベルリンの壁が崩壊、ソウル五輪を契機にソ連・東欧が韓国になびき、1990年6月、韓国とソ連が国交を樹立した。91年ロシアは金父子政権に対し、貿易決済でハードカレンシー(交換可能な通貨)を要求、金政権は絶体絶命のピンチに立たされていた。

 ピンチ打開のための手段の一つが金丸・田辺訪朝団の受け入れ、日朝国交正常化交渉の提案であった。そこへ上記の民族主義を謳いあげた金泳三大統領就任演説が出た。金父子政権は渡りに船と十大政綱という名の「包摂政策」を打ち出し、本格的に韓国乗っ取りに動き出した。客観的には溺死寸前の金父子政権に救命ブイを投げてやったのが金泳三演説であったのだ。

 つまり、1988年7月7日の盧泰愚政権の「北朝鮮は敵ではなくパートナーとみなす」といういわゆる「7・7宣言」が、韓国国民の北朝鮮に対する警戒心を解除した。次いで金泳三大統領演説である。2000年6月には「金大中と金正日の抱擁」という「悪魔と詐欺師の抱擁」が実現したのだ。引き続き盧武鉉政権という金正日政権の家臣のような政権が出現、事実上韓国は金正日に乗っ取られる寸前まで来ていた。

 こう見てくると、確かに金正日政権の工作もあったが、韓国指導層の側に、金正日政権に対する客観的分析はなく、ただただ功名心に基づく主観的判断のみで対北朝鮮政策を進めてきた重大な思想的弱点が存在していることがわかる。従ってその根は深い。

 李明博氏が530万票の大差をもって、左翼候補を抑えて当選したといっても、李明博次期大統領が金正日政権の本質を正確に捉えていないから、上述のような発言になるのだ。韓国情勢は楽観を許さない。

 金正日政権の生き延びる道は、李明博政権を「第二の盧武鉉政権化」する以外ないはずだ。韓国ではこれから韓国内部の思想的弱点と、金正日政権との戦いが同時並行で始まると見るのが妥当であろう。心ある韓国人に頑張って欲しいと願うことしきりである。

更新日:2022年6月24日