『凍土の共和国』(復刻版)を読んで思ったこと

佐藤勝巳

(2008. 5. 7)

 

 上記の単行本が、28年ぶりにこの3月、復刻された。

 初版は1984年3月25日亜紀書房、(現住所〒101-0051東京都千代田区神田神保町1-32 、(現☎03-5280-0261)から出版された。

 

 改めて読み返してみて中身の新鮮さに驚いた。金日成父子独裁政権の実態をこれほどまでに冷静かつ的確に暴いたレポートは、本書以外に知らない。活字の持つ力を改めて認識させられた。

 内容は、日本から北朝鮮に帰国した実の姉や兄、従兄弟に会うため、在日朝鮮人が北朝鮮を訪問したときの顛末を報告したものである。

 肉親に会いに行っているのに、来る日も来る日も金日成の銅像にお辞儀をさせられ、金日成とその一族が如何に偉大な人たちかの「学習」を強いられる。 

 ようやく肉親に会うことが出来ると、肉親を使ってあれを寄付せよ、これが欲しいと幹部たちがたかってくる。その困惑と苦痛、焦燥と失望を、終始抑制した表現で綴っている。

 しかし、バスの窓越しに見える風景の描写を通じ、「主体(チュチェ)の国」北朝鮮には、外国車が溢れているが国産車はほとんど見当たらないことや、主体塔の解説者の「自己陶酔」の表情などを生き生きと伝えている。

 本書の中で私が最も衝撃を受けたのは、祖国訪問団の乗っている特別列車が、東海岸の鏡城駅に停車中、北朝鮮の一般大衆の乗車している列車と駅のホームで出会ったときの描写であった。

 「彼ら(北朝鮮の大衆-佐藤注)は例外なくうつろな目をしていた。……好奇心や羨望の感情は垣間見ることができなかった。ハッキリと遠慮なくいわせてもらえば、“死人の目”を私たちに注いでいるだけなのだ」(復刻版49頁) 

 私は、1975年中国を3週間訪問しているが、そのときも同じ“死人の目”を見ている。当時は、それが何を意味するのか理解できなかった。1984年『凍土の共和国』の中で上記の記述に接して、一党独裁、つまり恐怖政治、自由のない社会と関係あるのではないか、との仮説を持った。

 私は、1990年ソ連崩壊の直前にモスクワを訪問している。そこでも“死人の目”を見た。あの暗さと無気力、瞳が全く輝きを失っている年配者たちの表情は、わが国では見たことのない異様なものである。

 “死人の目”の背後には、公開銃殺や国民の1%、20万人を絶えず政治犯強制収容所内で恣意的に虐殺されている恐怖政治を抜きにしては考えられないものである。

 核兵器やミサイルを生産し、日本人などを平気で拉致する政権が、北朝鮮を訪問した在日朝鮮人をどう扱っているかを通して、暗黒政治の背景を知るために是非とも読んで欲しい本である(定価2300円)。

 

 この北朝鮮訪問記は、在日韓国人が発行している週刊紙「統一日報」に1983年100回にわたって掲載されたのを単行本に纏めたものである。

 単行本化にあたって、亜紀書房の棗田(なつめだ)金治社長(当時)から要請を受け、「解説」を書いたところ、本が出版されると同時に「あのような、いかがわしい本の解説を書くと佐藤の経歴に傷が付く」と、ごく身近の友人から「注意」された。

 昔、朝鮮大学校の教員をしていたホ・ドンチャンという人がいた。この本が出版された頃、ホ氏は既に総聯を離れていたが、それまで北朝鮮を何度も訪問していた。小此木政夫(現)慶応大学教授は、ホ氏に、「あの本の中身は本当か」と尋ねたという。小此木教授ですら信用できなかったのだ。

 多分、本書が出版された1984年の時点では、このレポートを信じた日本人は皆無に近かったと推定される。その大きな要因は、それまで誰ひとりとして北朝鮮の真の実態を知る術がなかったから、信じないのが普通であろう。

 今でこそ拉致は金正日政権の仕業と国民全部が知っているが、日本的価値観では日本人を暴力で拉致するなど想像も出来ない。それほど北朝鮮と日本とでは落差が大きい社会なのだ。

 棗田社長が私に「解説」を書かせたのは、日本人の解説がないと信用されない、という状況が日本社会に厳然としてあったのだ。実際どれほどの効果があったか不明だが……。

 しかし、在日朝鮮人社会では日本社会とは全く異なる反応が起きていた。本は店頭に並ぶやいなや、1週間ほどで売り切れ、全国の書店から注文が殺到したのである。北朝鮮を訪問したことのある在日朝鮮人から「俺が見た北朝鮮と全く同じだ。著者に会いたい」という電話が版元の亜紀書房に次々にかかってきた。

 著者はペンネームで執筆していたので、会わせることは出来ない。そこで出版社は、かかってきた電話はすべて私のところに回してきた。

 近畿地方からの電話が多く、そのほとんどが「ここに書かれているのは本当だ。書いた人は勇気がある。会いたい」と言った後、「総聯が如何に出鱈目なことを言ってわれわれを騙したか」と、延々と憤懣を述べた。

 北朝鮮を訪問した在日朝鮮人たちは、本書に記されたのと同じ体験をし、それまで抱いていた幻想が無惨に打ち砕かれたが、肉親を人質に取られているので、誰にも語ることができない。本書が出版されるまで、苛立ちと絶望の中で悶々と過ごしてきたのだという事実を、私は彼らの長い話から十分すぎるほど教えられた。

 そこに本書が出版された。総聯系在日朝鮮人社会は騒然となったのである。

 「これから本を買いに行く。今、九段下にいる。亜紀書房の場所を教えろ」というような電話がひっきりなしにかかってきた。出版社も騒然となった。

 今とは違って、総聯は当時、気に入らないことを書かれると、当該報道機関に組織的に「抗議行動」という名の暴力をふるった。

 言論の自由を公然と妨害する力をもっていた。日本の報道機関の多くは、その暴力に屈して筆を折った。

 本書は、北朝鮮にあっては神と同じ存在である金日成個人神格化を、真正面から批判している。出版社は、抗議行動という営業妨害を覚悟しなければ、出版には踏み切れない。

 事実、「統一日報」に連載されているルポを出版関係者は読んでいるにもかかわらず、誰も出版しようとしなかった。出版と同時に総聯中央から「抗議」の電話が亜記書房にあった。棗田社長は断固として「抗議」を拒絶した。棗田金治社長の勇気こそ、出版ジャーナリストの鏡とすべき行為であった。

 初版をどれくらい刷ったのか忘れてしまったが、多分、3000部ぐらいではなかったかと思う。読者カードが240枚返ってきた。「こんな事実があるのに日本のマスコミはなぜ報道しないのか」という趣旨の強烈なマスコミ批判が多かったことを記憶している。

 マスコミは金正日が拉致を認めるまでは、われわれがどんな資料を提供しようと、お願いしようと報道しなかった。ところが、金正日が拉致を認めた途端に、手のひらを返したように、今度は節度を越えた北朝鮮批判をはじめた。

 今、テレビのどこのチャンネルを回すと同工異曲のお笑い番組を放映している。あれで視聴率が取れるからだろう。結局、国民の「民度」がマスコミや政治の質を決めていくのである。

 亜紀書房の棗田社長の偉さは、時流や社会状況、大衆に迎合せず、ことと次第によっては会社が潰されるかもしれないのに、出版を決断したことである。  

 彼の英断によって本書が世に送り出され、総聯系在日朝鮮人たちの「金父子政権はとんでもない政権である」という認識の共有化を図ったのだ。総聯の崩壊はこの時点から始まった、と私は見ている。

 同時に、活字の持つ力の凄さである。今回復刻された『凍土の共和国』は、大変読みやすくなっている。著者が亡くなっていることもあり、多分、編集者の筆が入ったものと思われる。在日朝鮮人の苛立ちと苦悩がここまでリアルに描かれた「ルポ文学」と言ってもよいのではないか、と私は思っている。

 最初の本が出版されて1年ほど経過した頃、著者金元祚氏が、私に会いたいと人づてに言ってきたが、即座にお断りした。

 会えば口にする可能性が生じる。知らなければ口にしようがない(ソウルでのある会議で会った在日朝鮮人の話を聞いていて、多分この人ではないかと思ったが、お互いに挨拶も交わさなかった)。

 著者については次のような話が伝わってきていた。「週刊朝日」が、北朝鮮を批判する記事の中で『凍土の共和国』を引用した。すると総聯は「あれは韓国情報部(KCIA)のでっち上げだ。それを使うとは怪しからん」と週刊朝日に組織をあげて抗議した。

 総聯機関に勤務していた著者の妹さんも、自宅から著者の目の前で週刊朝日編集部に「KCIAのでっち上げ」と抗議電話をかけた、というのだ。まさか自分の兄が著者だとは思っていないからであるが、著者は堪らず屋外に出て嗚咽した、という。その著者も故人になって久しい。

 これまで金正日政権と総聯は、彼らにとって不都合のことや、説明のつかない不利な事件が発生すると、金大中政権前は「KCIAのでっち上げ」というのが常套句であった。

 だが、金大中が2000年6月金正日と抱擁した後からは、日本人拉致云々は、KCIAから、「日本人極右」の「デマとでっち上げ」に変化した。金正日政権はある面では非常に分かりやすい政権でもある。

 それはともかく、だれだれの「デマとでっち上げ」と言っていたら幹部は誰も責任を取らなくてすむ。幹部たちにとってこのセリフは、保身のお守り札でもあるのだ。

 悪いのは他人であるから、自分たちは変わる必要がない、という党官僚たちの愚劣な言い訳である。だから今日のような世界中から支援を受けないと政権維持すら困難という、みじめな「もらえ政権」になりさがったのである。

 それにしても“その国の未来は、当該国の国民の瞳の輝きと比例している”というのが、私の持論でもある。

 著者・金元祚氏は、ようやく北朝鮮を離れ、新潟港に向かう万景峰号のデッキで「共和国訪問中の全期間に渡って背負っていた、あのいいようのない重圧感、重苦しい束縛から解放され、自由になれるのだ!」と心の中で叫んでいる。

 訪問団の仲間たちも、明日は自由になれるということで、飲み屋の話で盛り上がっている(325~326頁)。

 共産主義、いや個人独裁政権というものが、人間性をどんなに破壊するものか、本書を読んで改めて怒りを抑えることが出来なかった。また、帰国者が政治犯強制収容所にぶち込まれ、沢山殺戮されている事実や、ストレスのため沢山の帰国者が早死にしていることを誰よりも知っているのは総聯系在日朝鮮人だ。金正日政権や総聯に対して、どうして戦わないのか。

 不正義に対して、なぜ立ち上がらないのか。一貫して、「なぜだ」という疑問は消しがたく残った。人は、不正義に対して戦わない限り人権を語る資格も、進歩もないことを知るべきだ。

更新日:2019年4月18日